6/7 エゴの暴走

感情日記 6月7日


心の中の感情が書けなくなってきた。
色々思い出せないというか、書き込めない。
思ってることはあるけどそれすらも吐き出していくのが怖い

ほとんど誰も見ていないここにさえ自分の言葉で書くことが怖くなってきた。未来の自分のために書き残しているものだけれど、

未来の自分が想像することもできなくなってきた。
生きる道が想像できなくなってきた。

今日はいつまで経っても動けないから、とりあえず外に出てスタバに行った。食事をちゃんとしようと言われながらもほぼ砂糖と氷の抹茶フラペチーノを頼んだ。

もうなんか、生きていたいという気持ちすらもなくなってきた。メンタルのこととか、色んなことで「生きていたい」と思えなくなってきた。

お金が減っていく。今週予約した美容院の代金も払えないのに、友達のお土産は買ってしまった。
人に嫌われるのが怖いから、信用されなくなるのが怖いから、
いくら相手が「いいよ」と言ってもそういう所に対してのお金は怖くて払ってしまう。


自分の中のエゴが暴走している。

というか、自分が自分でエゴが暴走することを許可している。もっと暴れろもっと暴れろ。そうやって、自分で許可してる。「あれをしないとやばいぞ」「これをしないとまずいぞ」「それをしないと大変なことになるぞ」そうやって毎日毎日掻き立てて、今は生きてる。

そりゃ生きていたくもなるよな。未来が楽しい想像なんて微塵もできないんだもの。

楽しみなんて感じてる余裕はなくて、人に嫌われないようにすることと、自分の信用を失わないようにすることに必死で生きてるからだ。


よくよく考えれば、これはもう小学生のころから変わらなかった。

「楽しい」なんて感じる瞬間はほんと少ししかなくて、

毎日相手を不快にさせないように必死だった。

不快にさせる自分が嫌だったから、どのみち"自分の為"だった。



昨日はレコーディングと撮影をした。
中々ハードな一日で、帰ってきたのは夜中の11時半だった。

こんなこというと一緒にやってもらってた人に申し訳ないんだけれど、レコーディングはもう半ば投げやりだった。
その場がなんとか終われたらそれでよかった。今までは譲れない部分はいい感じになるまで絶対やってたけど、時間上ある程度の部分で終わった。それでも1時間伸ばしてその分金額も増えた。でも、そんなこともどうでもいいくらい、本当に目の前を何とかトラブルなく過ごすことで私は精一杯だった。

そのあとに場所を変えて行った撮影は、BARでだった。私はめちゃくちゃビビった。バーなんて初めてだったし、何よりかなり雰囲気のある場所だったから、思いっきり人見知りを発揮した。
あとは「今何してんの?」って聞かれることが、とてつもなく怖かった。

だって何もしてないから。

何もしてない自分って開き直れてるわけでもないから、
「夢追い人です」とだけ答えた。
芝居がやりたいのには間違いはないし、でも自分でも無理だって思ってたりするから未来の話をすることが私にとっては一番の苦痛だった。

だって未来に希望を持っているほど今の私は生命力を持っていなかったから。

でもBARのオーナーさんたちはめちゃくちゃ良い人たちだった。撮影に凄く協力してくれて、お客さんもいるのに色々と気を使ってくれた。ストーリー性のある撮影だったから、色々と演出に悩んでいるときも沢山アドバイスしてもらって、凄くいい雰囲気だった。強面風の人だったけど、撮影で使ったノンアルコールのドリンク代をもらってそこからギャラとしてこちらにそのまま払うことをするとてもとても男前の人だった。私は外見や雰囲気に飲まれてビビッていたからあんまりちゃんと話せなかったけど、こういう漢の人を目の前で見ると、より私は委縮してしまう事がわかった。良い人すぎて、自分の弱さや不甲斐無さを叩きつけられてる感覚に陥った。

でも今の私が生きてるのが苦しいって感じてるのに気づいてる人ってどれくらいいるんだろうか。
実際人ってそこまで他人に関して興味なんてないし、あとは私は私で対面で自分の感情を隠すのは上手いのかなあなんて感じたり。

結構傍から見ると「元気そう」に見えるんだと。

人に自分が困っていることを悟られたくはないのと、自然と人前ではスイッチを切り替えてしまうからわからないんだろう。
言ってこないだけでバレてるのかもしれないけど。


みんな色んな肩書があったりだとか、夢があったりだとかしてる人たちの中に入ると、どうしても自分が「人生なんてどうでもいいと思ってる」なんて言えなくなってしまう。
どこか未来に希望を持っていて、夢を抱いている自分にならないといけない気がしてしまう。人に自分の弱さを見せたくない気持ちがめちゃくちゃ強いんだろう。

人に弱さをみせるってことは、
それでも大丈夫であることを信じる、ということ。
世界を信じること。人を信じること。自分を信じること。

今の私にはそれがない。大丈夫だなんて思ってないし、大丈夫だと思われる気もしていない。人に優しくされることを望むことが怖いし、それに期待することも怖い。人を信用できてないし、世界も信用できてない。

全ての現実は自分で創っている。自分で自分の機嫌を取れ。今まで自分が散々言ってきたことだ。でも、今はそれすらもどうでもよくなっている。


自分で創ってるかどうかとかどうでもよくて
自分で自分の機嫌を取れるとかもどうでもいい。

それをすることを「頑張って」いた。
そして、その「頑張り」に疲れた。
「頑張る」ことを諦めた。

自分を犠牲にしていた「頑張り方」も
自分を大切にして周りも大切にしようとする「頑張り方」も
誰かを頼って生きようとする「頑張り方」も
誰も頼らずに生きようとする「頑張り方」も

私には無理だった。


すなわち”それイコール死”を意味するんじゃないかと考えてしまう。



でも、それでも昨日の撮影に呼んでもらえたのも

一緒にレコーディングをしようと声をかけてくれるのも

本当に不思議だと思う。



今の自分なんか本当に友達の価値もないのに。

こうやって「私なんて」って言う人ほどうざったいのは
自分が一番知ってるしわかってる。

だから友達がいなくなるのも時間の問題だとも思う。

それでもいいと思ってる自分と、やっぱり一人になるのは寂しいし
そのまま死んでいくのは怖いって思ってる自分がいる。





楽して生きたいくせに人を信じることはできなくて
自分で生きていく決心もできなくて。

何とかして生きていたいって気持ちと
もう全てがどうでもいいって気持ちが両方あって

夢とか希望とかも全部いらんって気持ちなのに
そういう人に出会ったら「いいなあ」って羨んだりして

生きていたい気持ちと、生きていたくない気持ちが両方あって

自分でもわかんなくなってるから

とりあえず目の前にくる出来事をこなすことで必死で

未来をより良く生きるためのことだとか、
練習するだとか、何かを進めるだとか

そういうこともできないんだよなあ。






・・・なんか自分でもよくわかんなくなってしまった。



段々自分の本音が見えなくなってきた。

そりゃそうだ。隠してるから。自分で隠してるから当たり前だ。
本音よりもエゴ(自我)の声を選択してるんだから当たり前だ。


・・・でも本当に見えなくなってきた。


この先どうなるのか本当にわからなくなってきた。





とりあえず今はここまでにしておこう。

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