
サイニック理論と1970年
サイニック理論が1970年という年に発表されたことは、非常に象徴的だと思っています。
その年に史上初めて『リサイクリング』という言葉が登場したからです。
アメリカ、ニクソン大統領の『公害教書』という書類の中でした。
1960年代を通じて盛り上がった近代主義批判の成果を、その言葉に感じることができます。
それは、右肩上がりの直線的な時間意識に対する懐疑と反省だったと言えるでしょう。
科学は人を幸せにするはずだったのに、結局行き着いたのは『公害』と『世界大戦』だったではないか……と。
『消費』とは、モノを消し費やすことですから、崖っぷちを目指す活動だったのです。
「それではまずい」「このままでは終わってしまう」ということで出てきたのが、『リサイクル』という考えでした。
リサイクルとは『END/終わり』を『START/始まり』に結び直し、「もう一度循環させよう=持続可能性に重きをおこう」とする活動です。
一方、日本では、1970年には大阪万博が開かれ、世俗的にはまだまだ『行け!行け!ドンドン』の機運が主流でした。
ベンチャーズの同名(邦題)曲が発売されたのが1963年というのも、ちょっとした奇縁ですね。
というのも、1963年には、梅棹忠夫さんの『情報産業論』が上梓され、ミルチャ・エリアーデ氏の『永遠回帰の神話』の邦訳が出版されたからです。
それらは、文化・文明のあり方を見直す重要書籍でした。
つまり、表面的な『進歩主義』が叫ばれる一方で、もっと深い部分での『進歩主義への反省』が、それぞれに流れていた時代。
それが1960年代であり、1970年はそうした二面性が交差する年だったわけです。
ちなみに、1960年代には、建築の分野でポストモダン(近代以降)というムーブメントも起こりました。
「無味乾燥な鉄とガラスの空間ではなく、暖かみのある懐かしさを大切にしよう」とする考えです。
が、その発想が学術分野で本格的に展開されたのは1980年代でした。
一般的な展開という意味では、昨今ようやく定着を見せてきているので、『最先端の発想が浸透するには半世紀近くを要するなぁ……』というのが、わたしの感想です。
その意味では、DAOやティール組織といったシステムが当たり前になるのは、2070年あたりでしょうか?
1970年からすると、ちょうど100年後ですね 😊
文責:杉岡一樹