1日一編の詩を読む。「わたくしという現象は、ひとつの青い照明です」宮沢賢治
初めて読んだのが大学の頃か、もっと後なのか覚えていないが、
宮沢賢治の「春と修羅」の序文、特に「私という現象」という部分に深く感銘を覚えた。その時は理由は良くわからなかったし、この言葉自体も日々の暮らしの中ではたまに思い出すだけだ。
でも今は思う。私とは、現象に過ぎない。不思議な分子の組み合わせで「私」という意識は発生しているが、それすら恐らく奇跡的な確率で生まれた現象に過ぎない。
万物は流転するし、水は常に元の水にあらず。私という現象も、ひとときの分子の戯れに過ぎず、せわしく明滅する1つの青い照明なのだろう。
宮沢賢治の慧眼には本当に恐れ入る。