「いまはもう、人生を語ろう」#02 洋楽とギターの目覚め
なぜかトランペットを吹きたくなった、というのが第1回の話だったが、遠因としては浜松まつりという地元のお祭りがあって、そこで「激練り」があり、その時に信号ラッパに憧れたってこともあったと思う。
そしてギター、ポップス系の目覚めも、今こうやって思い返してみると父の死に関係がある。
父が亡くなって母がしばらく実家に戻ったとき、小学生中学年の僕と小学校に入ったばかりの弟もいっしょに母の実家にお世話になった。
その頃母と寝るときに、母は眠れなかったのか、ラジオを欠けながら寝るのを習慣にしていた。同じ部屋で寝ていた僕も当然聞くわけだが、ポップス番組がかかっていて、そこでふとんで聞いていたのが、今思えば宝石のような70年代のポップスだ。俺が1963年生まれだから、あの頃母のトランジスタラジオかからかかっていたのは1975年ぐらいのアメリカンポップスだったはずだ。
思い出すのは、スタイスティックスの愛がすべて、シュガーベイビーラブ、カーペンターズのプリーズミスターポストマン。
あとはポプコンの名曲たちだ。僕が初めて買ったシングルレコードは小坂明子の「あなた」だった。そのあとあのねのね、とか、海援隊の母に捧げるバラードとかも好きだった。
アメリカンポップスとは別枠で日本のフォークも好きなのだった。
しばらくしてもとの家に戻り、吹奏楽部に入って本格的にトランペットを吹き始めるのとほぼ同時に、アコースティックギターを買いに行った。最初からエレキ、という選択肢は当時ほとんどなかった。
・いまほどロックが一般的ではなかった
・まだエレキはめちゃくちゃ高かった(当時1970当時でも4,5万以上、しかもアンプもいる)
・「まずは基本から」とアコースティックギターから始めることをほとんどのギターの上級者が言っていた(今では信じられないが)
そこで買いに行ったのが、浜松のヤマハかじまち店、丸井の楽器売場、そして西武の楽器売場だった。予算はお小遣いでためた15000円。それまで貯めていたお金はヤマハのコルネットで使い果たしていたので。
で、お店を回って結局買ったのが、ヤマキの15000円のD-18タイプのギター。西武の楽器売場で買った。
この西武の楽器売場のギターの担当が、当時キャッツアイブランドのアコギを作っていた東海楽器からの出向のお兄さんで(残念、名前を失念したか ヤマモトさんとかいったかな)この人からヤマキを買ったのが俺のギター人生の始まりであって、しかもこれがきわめてラッキーで幸運なスター&だったことが、このあとでわかるのだった。本当に多くの人のお陰で今もギターが弾けていると、これを書いていると痛感する。感謝の念に堪えない。
続きます
ちなみにこちらが、私のアコースティックギターの最終到達点であった、マーティンのD-35。いいギターです。最近全然弾く機会がなくなってしまって、倉庫に入っていたのでもったいないと思い、友人の中古ギターショップに委託販売品としておいてもらっている。売れたら嬉しいが、売れなかったら一緒に燃やしてもらうか。いや、もったいないので、誰かに弾いてもらいたい。響がギターを弾ければ喜んで譲るんだが。
ギターショップ浜松ビレッジにある俺のマーティン D-35
https://village335.jimdofree.com/martin/
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