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音楽仲間で仕事仲間の前原利行さんは、アクロス・ザ・ユニバースが流れるなか、旅立っていった。旅行ライターはやることが粋だ。

良いお葬式だった。
早すぎる旅立ちではある。61歳。
昨年末までは普通にしていた。
AktioNoteの旅の原稿も書いてもらっていた。
年明けぐらいに、急に入院となったので
旅の原稿の締切を延ばしてほしいと連絡があった。

ほどなくFaceBookに病状を説明する投稿が載り、
かなり厄介なことになっていることがわかった。
そして少し前に峠を越したというニュアンスの短い投稿があったので
回復に向かっているのかと思ったのだが、
急に亡くなったという連絡が入った。

非常に残念だ。
前原さんは、仕事仲間である以前に音楽仲間であって、
しかも音楽の恩人だ。
が、そのことはまた別途書く。

葬式のことを書きたい。
時節柄もあり家族葬であった。
ただ非常に近しい友人だけには葬儀の場所と時間を教えてくださった。
迷惑かと思ったが、押しかけた。
亡くなった顔を見て最後のお別れをしないと、
中途半端な気持ちのまま、まだどこかにいるのではないかと思ってしまうから。僕の中でそういうケースはいくつかある。

眠っているような安らかな前原さんにお別れを告げた。
葬儀の住職も後藤さんも、前原さんの同級生であり、バンド仲間で、
僕も一緒にバンドをやった。
心のこもった読経、そして前原さんとの関わりのお話もあった。
病床に伏せっている時期から「もうすこし命を永らえてほしい」とお祈りしてくださったようだった。

部屋にはバンドの写真、家族との写真が飾られており、
前原さんが大好きだったボブ・ディランのCDが流れていた。
前原さんはボブ・ディランの来日公演には全部行くぐらいのファンだったのだ。

読経が終わると、住職の後藤さんは、葬送の曲として、前原さんが好きだった曲を流してくれた。ディラン、ビートルズ、モンキーズ、ビーチボーイズ。その音楽の中で参列者は棺の前原さんを花で埋めた。棺にはライブでよく被っていた帽子を被った姿の前原さんがいた。
奥さんが「病室にまで持ち込んでいた」というセッション用のコード譜を手書きで書いてある小さなノートも棺で入れた。
天国でもコードの迷子にならず、すぐにセッションできるように。

そして棺は綴じられ、親族と友人に支えられて車へと運ばれた。
その時の音楽は、偶然だったがエルトン・ジョンのグッドバイ・イエロー・ブリック・ロードだった。
そして車に乗ったところで、ビートルズのアクロス・ザ・ユニバースに変わった。後藤さんも驚いていたので、偶然だったのだろう。
最後の最後に神様は粋な計らいをする。

そしてアクロス・ザ・ユニバースが流れる中、車は火葬場へと出発していった。

前原さん、ありがとうございました。
そして、また会いましょう。ギターとラッパ、練習しておきます。
そしてできたら、追悼のセッションも、西荻のHeavens Doorで開催したいです。
そのときは、フラッと現れてください。
待ってます。

俺が取材して書いた(撮影も俺)、前原さんのインタビュー記事(珍しいパターン)イエノミスタイル。

mahaera.exblog.jp 前原さんの映画ブログ。この写真も同じ時に俺が撮った。


イエノミスタイルの取材で俺が撮った、前原さんのプロフィール写真。
気に入っていろんなところで使ってくれていた。


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