私たちはロゴスの中に生きている 緊急事態宣言 day2
緊急事態宣言が発出された二日目、オフィスに行く。街並みは一見普通に見えたが、やや人数が少なく、やや緊張感があるように見えた。
でも、それは気のせいかもしれない。
実際は昨日とも一昨日ともそんなに変わらない今日。目には見えないが感染状況だって大きくは変わらない。
昨日と今日は犬やパンダだったら区別は付かないだろう。だが、人はロゴス、つまり言葉の中に生きている。ロゴスを通じてしか意味が理解できない。意味自体がロゴスだ。だから意味づけなしに視覚も理解=処理できない。
どうしても「今見ているのは緊急事態宣言下の東京である」という意識から抜け出して見ることはできない。
宣戦布告下、戦争下、などもきっとそういうものだろう。全ての意味を剥奪すれば、見た目にはほとんど変わらないものだが、ロゴスの中に生きる我々人間には、意味という尺度でした「見る」ことができないんだな。
以下蛇足。
ひょっとしてこういうことが「アプリオリ」というカントの認識論なのだろうか。
以下引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/認識論#:~:text=カントによれば、「時間,だということになる。
カントによれば、「時間」と「空間」、「因果関係」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであり、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる