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中国のゼロコロナ対策は共産主義の主知主義、知性第一主義の悪い点である。2
コロナウィルスという自然の猛威を人間の知性で押さえ込めるという考え方は、人知への価値が異常に高い共産主義の悪い側面がよく出ている。
の補足。その1
ピュシスとは自然そのもののことである。ピュシスとは、ロゴス(言語=論理=構造)と対極にある生命そのものの広がり、自然のありのままの姿のことであり、まさに、私が、このガラパゴスの旅を通じて、見つめ直したい核心的なテーマである。生理学(physiology)、 内科医(physician)、物理学(physics)、これらの言葉の接頭辞のphysi-とは、まさにピュシス(physis=発音によってはフィシス)というギリシャ語を語源としており、それはつまり世界のそのままの様相、天然あるいは自然、ということである。
ピュシスの全体像は、ロゴスの枠組みからこぼれ落ちやすい。なぜならロゴスは、人間の脳が、世界を切り取り、線分を引き、論理を抽出して、都合よく構築した、整った人工物だからである。この点は、別の項でも本格的に考察していくつもりだ。
ここでは、ダーウィンもドリトル先生もへイエルダールもちゃんと言語化できていないピュシスについてぜひ一言、触れておきたいのだ。と、大上段に振りかざしてしまったが、生命のもっとも端的なピュシス=自然といえば、それはつまりトイレ事情のことである。ではない。おそらく集団免疫を得た民族こそが、早期に立ち直るだろう。
ロゴス、論理、人知と、コロナが象徴するピュシス。人間はロゴスによってピュシスを征服して人間文化を創った、とはいえ、人間は命あるものであり、ピュシスの営みでもある。
共産主義はある意味でロゴスを最上価値に置いた知性主義であり、人知によってピュシスを屈服させるのだ、という意志を持つのではないか、それが中国共産党首脳部による、ゼロコロナ政策の核心にあるように思える。
そして中国の市民によるゼロコロナ政策への反対運動は、その共産主義的ロゴス主義への反対のように思える。
意志は肉体を越えることができるだろうか。