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残りの人生で最も重要なのは「健康」だそんな当たり前のことをリアルに突きつけれた寝正月と誕生日であった。ChatGPTに下書きしてもらった偽造日記2025/01/05 あるいはChatGPTとClaudeとGeminiを飼い慣らす441
正月早々風邪に罹患したことで「今後、というか非常に近い将来体力が低下したらこうなる」をリアルに体験させてもらった誕生日なのだった。
さて今日はChatGPT4oに書いてもらうのではなく、自分で書く、しかしネタだけ投げて構成案と下書きをやってもらう、というよりライター的には実戦に近い形で使ってみた(というか、もう日々使ってはいるが)
残りの人生で最も重要なのは「健康」だ
そんな当たり前のことをリアルに突きつけれた
寝正月と誕生日であった。
2025年の幕開けと同時に久々の風邪。
久しぶりに、3日間も寝込んでしまった。
体温もたいして上がらずインフルエンザでも
コロナでもなさそうな軽症ではあったが
還暦超えとなると結構堪えた。
家族全員一網打尽に罹患したため、
この正月はおせちもお汁粉もなしの
徹底的な寝正月なのだった。
体力を失うと、気力まで失う。思わぬ気づき
風邪が引き起こしたのは、体調の不調だけではなかった。
そこには今までに感じたことがないほど大きな「気力の喪失」があった。
昨年は、日本中を飛び回って仕事をし、合間をぬって音楽もするという忙しい毎日が続いていた。まだまだできると思っていた。
でも、風邪をひいてみると、それがいかに脆いものだったかを痛感する。
元気を失うと、気力を喪失する。まったくやる気がすっかり消えてしまう。
何をやろうとしても、「まあ、今じゃなくてもいいか」。
トイレすらそう思える自分がそこにいた。
あっさりと中断したNoteの毎日更新、その後悔はゼロだ。
ああ、ここまでやる気がかくなるのだ。体の自由度が下がると。
これは近い将来の自分への警告のように感じられた。
健康あってこその活動だと、心底感じた。
回復して気づく、自分の「老い」を予感させる瞬間
少し回復したころ、外の空気を吸いたくなり、少し遠いいつものスーパーへ散歩に出かけた。その時、ふと感じたのは、自分の歩みの遅さだった。
体力を使わないように足を大きく開かず、意識的に体重移動を 最小化するような歩き方になっていた。 当然姿勢も悪い。
私は心の中で呟いた。「これって、まさか…老人の歩き方?」
自分の体力の衰えに、いわば未来の自分を見た気がした。
これから年齢を重ねるにつれ、少しずつ体力や気力が落ちていく。それは当たり前のだが、 リアルに、それは体験できる機会が、このタイミングで訪れるとは思ってもみなかった。
私は正月の生まれである。 ようやく回復してきた今、 新たな年を重ねることになる。 今回の誕生日前に痛感したことは、体力と健康が何より大事だという 当たり前のことだ。
ただし、それを風邪をひいたということで、極めてリアルに体験することができた。この シリアスな危機感を得ることができたのは、 実は非常に有益なことだったのかもしれない。 もしかしたらこれが神様のプレゼントだったのだろうか。
上記は筆者の執筆。
下記が筆者がChatGPT4o-miniにインプットした情報とそれにも続く構成案と下書き。
プロンプト
#日記風エッセイを執筆するのでその大まかな構成と下書きを出力せよ
#内容は以下である
年始に風邪をひいた、久しぶりに3日ほど寝込んだ
とはいえインフルエンザなどの強い風邪ではなかったが。
お陰でしょうが辛いしことは全て吹き飛びおせちもお汁粉もなしだった。
正月休みに稼ぐつもりの仕事のおくれもすべてパー
昨年はかなり仕事に追われつつ、音楽もやったりよくばりだったが
風邪になってみるとわかるのが、体力ななくなると気力もなくなりやる気が喪失されること
このNoteの毎日更新もあっさりと中断したが、健康なときの悔しさはゼロだ
仕事のおくれも、ギターやラッパの練習のことも
まったくやろうとおもわない
そして回復期にちょっと遠めのスーパーまで散歩にいったんだが
その歩みの遅さ、体重移動をあまりしたくない故の姿勢の悪さなどがひどかった
これは老人の歩き方だなと思った。
遠くない将来、気力も落ち、体力も落ち、こうなるのだ、とリアルに感じさせられた。
回復したら誕生日。
すこしでも元気で健康でいられるように、体力作りと健康維持を最大の目標にすべし、と考えたのだった。
大まかな構成
はじめに(序章)
年始に風邪をひいて寝込んだことについて
風邪の軽さ、しかしそれによる影響の大きさ
正月休みに予定していたことができなかったこと
風邪による体調の影響
体力が奪われると気力も落ちることに気づく
健康なときの「やろうと思っていたこと」がまったく思い浮かばなくなる
健康と体力の喪失
体調が回復し始めて、遠くのスーパーに行ってみると…
歩みが遅く、姿勢が悪く、まるで老人のように感じた瞬間
これからの年齢を重ねる過程における不安
結論(考察)
健康維持と体力作りの重要性を再認識
自分の体調が元気を取り戻すことで「目標」が変わる
誕生日を迎えたことを契機に、生活習慣の見直し
下書き
新年、まさかの風邪。計画が吹き飛ぶ瞬間
2025年の幕開けとともに、私に訪れたのは予想外の風邪。久しぶりに、3日間も寝込んでしまったのだ。インフルエンザではないものの、どこかでこの「風邪」の影響がしっかりと現れた。年始に抱いた、今年こそはという目標も、気づけば霧の中に消えていった。おせちもお汁粉も、結局食べることなく、健康を損ねたことに対する反動で、全てが一気に流れていったような気がした。
体力を失うと、気力まで失う。思わぬ気づき
風邪が引き起こしたのは、体調の不調だけではなかった。そこには、「気力の喪失」という大きな波があったのだ。昨年は、音楽に没頭し、仕事に追われ、忙しい毎日が続いていた。自分の体力を信じて、いくらでもできると思っていた。でも、風邪をひいてみると、それがいかに脆いものだったかを痛感することになった。体が元気を失うと、気持ちもすぐに沈み込み、やる気がすっかり消えてしまう。この経験が、何かの警告のように感じられた。何をやろうとしても、「まあ、今じゃなくてもいいか」と思える自分がそこにいた。あっさりと中断したNoteの毎日更新、その後悔はゼロだ。健康あってこその活動だと、心底感じた。
回復して気づく、自分の「老い」を予感させる瞬間
少し回復したころ、外の空気を吸いたくなり、近所のスーパーへ散歩に出かけた。その時、ふと感じたのは、自分の歩みの遅さだった。あまり足を前に出すことができず、体重移動を意識的に避けるような歩き方になっていた。姿勢も悪い。途中、私は心の中で呟いた。「これって、まさか…老人の歩き方?」と思った瞬間、自分の体力の衰えに、いわば未来の自分を見た気がした。
これから年齢を重ねるにつれ、少しずつ体力や気力が落ちていく。それは当たり前のことだと思うが、実際にその予感を体で感じる瞬間が、こんなにリアルに迫ってくるとは思ってもみなかった。この時、ふと気づいたのは、今後の自分がもっと体力と気力を維持するためには、どう生きるべきかを真剣に考える必要があるということだった。回復した自分にとって、誕生日はただの「お祝い」の日ではなく、次のステージに進むための気づきの日でもあった。
誕生日を前に、自分に誓うこと
風邪で痛感したことは、体力と健康が何より大事だということだ。もちろん、忙しい毎日がある中で、健康を守るのは簡単ではない。でも、自分の体がどんなに大切なものかを再認識し、少しでも元気で健康でいるために、今後は体力作りと健康維持を最優先の目標にしようと決めた。誕生日を迎えたことを契機に、これから先、体調を崩すことなく、元気な自分でいられるように、意識的に生活習慣を見直していくつもりだ。
健康でいることで、初めて自分ができることがある。それを忘れずに、これからの一年を生きていこうと思う。