ブライアン・イーノ アンビエントキョート展にいってきた。泣きました。
灼熱の大阪の出張の帰り、灼熱の京都ではあるけれど、京都駅から歩ける距離でもあり今日しかチャンスはないと思って、行ってきました、ブラアンイーノ展。
思い起こせば、私が初めてCDを買ったのは、ロック大好き人間であったにもかかわらず、ブライアン・イーノのThuersday Afternoonという1時間1曲もののアンビエントだった。
展示が行われたいた元銀行の建物は、古くて非常に素晴らしい空間で、ブライアン・イーノの卓抜したセンスを感じさせます。展示は3階から見るのが順路で、まず3階へ。ここでThe Shipという展示を見ます、というか体験します。
靴を脱いで上がると、そこには冷房が効いた、しかも外界から入ると暗すぎて何も見えないぐらいの漆黒(しばらくすると目が慣れて見えてきます)の中、ブラアンイーノのThe Shipという音楽が、まさにサラウンド、イマーシブ空間で鳴らされています。
わたしは正直いって、このShipだけでいいというぐらい、深い、大きな衝撃を受け、そして気づいたら泣いていました。
わたしはアンビエントミュージックを盛大に消費していて、毎日、数時間、仕事をしながら聞いています。いろんなものを聞きますが、やはりアンビエントミュージックの始祖であり、私個人としても最初に聞いたブライアン・イーノが最高です。よく聞いています。
なぜ泣けたのかというと、なにかをしながら流しておくというサティの家具の音楽を始祖とするアンビエントミュージックですから、きわめて個人的で、内面的なものだったのに、これを大勢が暗闇の中で思い思いの姿勢で黙って快適に聞く、という環境が衝撃的だったし、ひょっとしたらこんな個人的な音楽を聴いているのは自分だけではないかと(ありえないですが)感じていたわけです、おそらく、無意識に。でもこれだけ多くの人がブラアンイーノの音楽を愛し、聞いているという事実が、ああ、ひとりではなかった、という暖かい共有感、連帯感につながったのです。あのほとんど真っ暗でわずかに人が見えるという、暗くて涼しくて快適な空間、誰一人言葉を発しない、あの空間が、その時の僕の感情を、そのまま体現していました。
正直言って、私はあそこに一生居られるとも思いましたし、その意味では比喩的ではなく、まさに天国なのかもしれなかった。
村上龍の小説に、急に出現するジャズバーがあって、そこには何年もそのバーに居座り続けている客たちが描かれていますが、まさにそんな感じがしました。
書き切れません。続きます。
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