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お葬式がない、のは辛い。
仕事仲間が急逝した。コロナ禍もあり、家族葬となる。家族以外は葬式に立ち会えないとすると「嘘だろう」「信じられない」「生きているように感じる」と言った思いを断ち切ることができない。
ネット上でのメッセージのやりとり、つい先日までの元気そうな投稿は、そのままネット上に浮遊している。
「実体」よりも「情報」にリアリティを感じてしまう今、彼の存在の消失はなかなか信じることができない。心から人を弔うためには、お葬式が必要だし、それができないコロナ禍の今は、非人間的な時代だと思う。あるいは情報化、デジタライゼーションのしっぺ返しかもしれない。それとも葬式だって会議のようにズームでやれよ、という時代なのか。