雑誌はレガシーメディアとして葬り去られるのか
アナログレコードの録音技術が最高だったのは、CDが生まれ、レコードとの地位が逆転する頃だったと訊いたことがある。マイケル・ジャクソンのスリラーとか。
同じように、雑誌メディアのキャッチコピーや写真、レイアウト、デザインは、たまに見ると実に素晴らしいと思えるのだった。このままレガシーメディアとして葬り去られるのか。
もちろん雑誌がなくなることはないのだろうが、メディアとしての地位が下がれば広告が集まらない、したがって制作費が削られる、ギャラが安く未来もない業界になってしまえば(もうなっているのか)若くて才能のある人間が集まらなくなってくる。そしてゆっくりと凋落していく。たとえばこの見出しも職人的に非常に上手いと思うが、多分書いている人はご同輩ぐらい、つまりバブル入社近辺で、会社員ならそろそろ定年が見えているぐらいの方ではないだろうか。デザイナーも。
今ならキャッチコピーはSEO的にはH1なのでそこには検索で引っかかるキーワードが入っていなくてはならない。「将来の夢は軍人だった」ではダメなのだ。箱根駅伝だの、人名だの、そんなのがはいったキャッチコピーは、コピー的にはダサイわけだが、以前ウェブマガジンの編集会議で言われたように「検索で10位以内に入らないのなら、雑誌で言えば本屋の棚にないのと同じ」というわけだ。
そうなるとコピー作法もガラっと変わってくる。
ご同輩、今まで培って来た手練手管は、これからも使い物になるのだろうか。まぁ、最終形態は変わったとしても、そこに至るまでの発想、仕込み、思考プロセスなんかは同じなのかもしれないけどな。