ロックバンドはカレーライスで、ジャズバンドは幕の内弁当であることが、バンド歴50年でやっとわかったのだった。あるいは偽造日記2024/08/17 そしてChatGPTとClaudeと#Geminiを飼い慣らす362
ロックバンドはカレーライスで、ジャズバンドは幕の内弁当であることが、バンド歴50年でやっとわかったのだった。
50年、バンドをやっている。ロックもジャズも。最初はただの音を楽しむだけのガキだった。楽器を片手に、ただがむしゃらに音楽を奏でていた。でも、歳を重ねるにつれて、音楽に対する理解は深まり、同時に新たな疑問も生まれてきた。
ある日、ふとそんなことを思った。「ロックバンドはカレーライスで、ジャズバンドは幕の内弁当だ」。
何とも突飛な比喩だが、僕にはこれが一番しっくりくる。
ビートルズもストーンズも、サザンオールスターズも、彼らは完成された状態でバンドを組んだわけではない。まだ学生どうしで、熱い音楽の初期衝動を共有しつつも未熟なまま、一緒に音楽を作り、成長していく。まるでカレー鍋のように、様々なスパイスや食材を煮込み、一つのおいしい料理を作り上げるようなものだ。
一方、ジャズは違う。マイルス・デイビスやウェザー・リポートのように、一人ひとりが完成された音楽家が集まり、それぞれの個性を出しながら音楽を奏でる。まるで幕の内弁当のように、様々な料理が一つの箱に詰め合わせられているようなものだ。メンバーの入れ替わりも頻繁で、バンドマスターが中心となってバンドを率いることが多い。
若い頃は、「バンドっぽい音」という言葉の意味がわからなかった。でも、井上陽水のバックバンドと安全地帯のバックバンドを聴き比べて、その違いに気付いた。セッションミュージシャンは、それぞれが独立した個体だ。しかし、バンドは一つの生命体のように、全体で一つの音楽を作り出す。
後年ジャズをやるようになって、そのことがより鮮明になった。ジャズは、セッションミュージシャンの集まりであり、それぞれの個性が際立つ。一方で、ロックは、一つの目標に向かって全員が同じ方向を向いている。
カレーも幕の内弁当も、どちらも美味しい。どちらが優れているとか、そんなことはない。ただ、違うだけだ。
バンドをやってきて、色々なことを学んだ。音楽は、単なる娯楽ではない。それは、人生そのものだ。喜びも悲しみも、怒りも哀しみも、すべての感情が音楽に込められている。
そして、AIの発達によって、音楽の世界も大きく変わろうとしている。ChatGPTやClaude、Geminiといった大規模言語モデルは、作曲や作詞を補助したり、新たな音楽ジャンルを生み出したりする可能性を秘めている。
僕は、そんなAIたちを「飼い慣らす」つもりだ。人間とAIが協力し合い、より素晴らしい音楽を作り出す。それが、僕の次の目標だ。
(この文章は、Geminiによって生成されたものです。)
ロックバンドはカレーライスで、ジャズバンドは幕の内弁当であることが、バンド歴50年でやっとわかったのだった。あるいは偽造日記2024/08/17 そしてChatGPTとClaudeと#Geminiを飼い慣らす
50年もの間、私はバンドという世界で生きてきた。振り返れば、音楽の世界に足を踏み入れたのは、ビートルズに憧れた中学生の頃だ。仲間とギターをかき鳴らし、ドラムのスティックを握りしめて、夢中でロックを奏でた日々。あの頃、ロックバンドというものは、ただ「カッコいい音楽を演奏する集団」だと単純に信じていた。だけど、長い年月を経て、ふと気づいたんだ。ロックバンドはカレーライスで、ジャズバンドは幕の内弁当なんだって。
まず、ロックバンドをカレーライスに例える理由から説明しよう。カレーライスって、最初はシンプルな材料が鍋に放り込まれるところから始まるだろう。ジャガイモに人参、玉ねぎ、肉、それぞれが独立した存在でありながら、一つの鍋に集まることでカレーという一つの料理に昇華される。鍋の中で時間をかけて煮込まれるうちに、すべての具材が溶け合い、味が馴染んでいく。そして完成したときには、個々の素材が一体となり、独特の味わいが生まれる。
ビートルズやストーンズ、そしてサザンオールスターズなんかも、まさにこのカレーのような存在だ。彼らがバンドを結成した時、まだプレイヤーとしての完成度は未熟だったかもしれない。しかし、彼らは一緒に音楽を作り、演奏を重ねることで、次第に一つの音楽性に熟成されていった。ロックバンドの魅力は、この「未完成からの成長過程」にあるのだ。メンバー同士が切磋琢磨し、時にはぶつかり合いながら、互いに影響を与え合い、最終的に一体感のある音楽を生み出す。カレーが時間とともに味わい深くなるように、ロックバンドもまた、時間の経過とともに深みを増していく。
一方で、ジャズバンドは幕の内弁当だ。幕の内弁当といえば、それぞれの小鉢に美しく盛り付けられたおかずが並ぶ、バランスの取れた豪華な食事だ。一つ一つが独立しており、どの料理も個々に完成された味を持っている。それぞれの味が個別に楽しめるのが、幕の内弁当の魅力だ。
ジャズバンドもまた、まさにこの幕の内弁当のような存在だ。ジャズメンたちは、すでに完成された音楽家であり、一つ一つが独立した存在として輝いている。彼らが一つのバンドを組むとき、それは必要に応じて集まり、また解散する、いわば「プロジェクト」的な存在だ。マイルス・デイビスやジョー・ザビヌルのようなバンドリーダーがいて、その時々に最適なメンバーを選び、バンドが形成される。メンバーそれぞれが自分の音楽を持ち込み、演奏に個性を反映させる。そして、その個々の音が融合して、ジャズバンドとしての音楽が完成する。
私は若い頃、井上陽水のバックバンドでの音の違いを実感して、初めて「バンドっぽい音」というものを理解した。安全地帯のような高校同級生で結成されたバンドと、ポンタや大村憲司、高水健次といったセッションマンがバックに入ったバンドの違いを耳にしたとき、その違いは明確だった。セッションマンたちは、それぞれが独立した自営業のような存在であり、個々に確立されたスタイルと技術を持っている。一方で、安全地帯のようなバンドは、全体が一つの生き物のように統一感があった。
そして、私自身がジャズを演奏するようになり、ジャズの自営業的な性質がさらに鮮明に理解できた。ジャズの世界では、個々の音楽家が独立して存在し、必要に応じて集まり、また離れていく。そのフレキシビリティこそが、ジャズの魅力であり、ロックバンドとは異なる「完成度」の高さを生み出しているのだ。
バンド歴50年を迎え、ようやくこのことに気づけた。ロックバンドのカレーライス的な一体感と、ジャズバンドの幕の内弁当的な独立性。その両方が音楽の魅力を作り上げている。そして、これからも私はこの二つの「料理」を楽しみながら、音楽の世界を探求していくのだろう。
(この日記はChatGPTによる偽造日記です。)
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