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Tokyo 2nd lockdown day 65 義父を葬送する。または「冷たくても、冷たくなくても、神はそこにいる」


2021/03/14
昨日の日曜日横浜の火葬場で義父を見送った。
85歳だったが、実に立派な骨だった。

火葬場は、石造りのポストモダンな横浜市の北部斎場。
座るところも火葬場もすべて石か金属であった。
3月とはいえまだ肌寒い朝で、
朝一の火葬であり、この壮大な石室は冷えていた。

僕は村上春樹の1Q84という小説が好きなのだが、
そこに特に好きなセンテンスがある。
それは「冷たくても、冷たくなくても神はここにいる」というフレーズだ。

タマルは牛河に対し「カール・ユングを知っているか」と言いながら、ユングについて説明する。ユングがスイス・チューリッヒ湖畔のボーリンゲンに建てた「塔」といわれる家の入り口には「冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる」という文字がユング自身によって刻まれた石があると、タマルは言う。
引用
https://hanako61.at.webry.info/201005/article_10.html

本来は
“Called or not called, God is there.であり、呼ばれても、呼ばれなくても神はそこにいるが正しいんだがまぁ普通だ、、あえてColdに誤訳したんだろうと思う。素晴らしいセンスだ。そんなことを思いつつ、義父を葬送した。

The Swiss psychologist, Carl Jung, had a cherished saying carved above the doorway of his house in Kusnacht, Switzerland. In Latin it read “VOCATUS ATQUE NON VOCATUS DEUS ADERIT” — which is, “Called or not called, God is there.” (Jung learned the phrase from the Renaissance scholar, Erasmus.)

あと、自分に残された時間はどのくらいだろう。

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