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第一話 僕は才能を人生のどん底で知った
あんな状況で、自分の才能を知ることになるとは思わなかった。
「あなたには文章を書く才能があるかもしれない。ここから出たら、そういう仕事に就いてみたらどうですか?」
弁護士は九枚の便せんにさっと目を通し、まもなく控訴審がはじまる僕に言った。
後悔と自責、自省、未来への意欲を綴った反省文。
それは当時、不利だといわれていた控訴審に提出するため、二日間にわたって徹夜して書いたものだった。
― 本当に俺に文才なんてあるのかな?
僕は彼の言葉に頷きながら、心のなかで呟いた。
あれから約19年が経った今、僕は文章を書く仕事をしている。
弁護士の言うとおりになったのだ。
文系の大学を出たわけではない。
大卒どころか、専門学校中退だ。
出版社で働いたり、編集プロダクションに所属したりした経験もない。
独学でずっと書き続けてきた。
なぜ諦めずに続けられたのか?
それは、先の弁護士の言葉がきっかけだ。
人生をやり直すために、僕はあるときから文才にすべてをかけた。
その選択は、けっして間違っていなかったと思っている。
レンタカーを返却した僕は、警察官数名に取り囲まれた。
そのなかの一人が僕の名前を呼び、静かな声で「わかるよな」と言った。
道路を挟んで向かい側に停車していた兄貴の車が、僕から離れていく。
自分も捕まると思ったのだろう。
兄貴は僕を置いて逃げていった。
警察官に囲まれたまま乗用車に乗り込むと、助手席にいた警察官が腕時計を見て時刻を読み上げ、僕に「逮捕する」と言った。
その言葉に僕は深い安堵を覚えた。
やっとすべてが終わったと感じたからだ。
軟禁状態だった暴力団事務所に、もう帰らなくていい。
奴等から監視や脅迫されることもない。
あのころの僕は、人生に疲れきっていた。
家族とうまくいかず、帰る場所がなかった。
相談できる人や頼れる人は身近におらず、あらゆることを一人で抱え込んだ。
バイトの面接で一カ月に五十件近く落ちたときは、さすがに堪えた。
ようやく採用されても、上司や同僚から僕が本当は女性であることをからかわれた途端、すぐに退職した。
我慢して女性として働いたら働いたで、「女らしくしろ」などとお局様に怒られ、精神的に病んでやっぱりすぐに退職してしまった。
だから、いつもお金がなかった。
やがて僕は生活保護を受けるようになる。
このあたりから、自分の人生は終わったと感じていた。
俺、生きている意味あるのかな。
なんで生きてるんだろう。
社会のゴミみたいな俺なんて、生きてる価値ないだろ。
毎日のようにそう思って、たびたび自殺未遂を繰り返した。
死にたいのに生き返ってしまう自分が、情けなかった。
水商売時代の先輩に付き添ってもらって、精神科に行ったこともある。
薬を出されて、様子を見てくださいと言われた。
生きる絶望と苦しさを医師に訴えても、結果は同じ。
僕は自暴自棄になっていった。
あるとき、僕は寝坊した。
前日、勤務先のバーで酒を飲みすぎて、酔いつぶれたからだった。
目が覚めたとき、翌日の夕方になっていた。
「兄貴に断っておいて」
僕は仲がよかったバーの従業員のA君に、酒で意識が遠のくなか頼んだ。
「いや、それは兄貴が許さないよ」
「こんなんじゃ仕事できないし。頼む」
「無理だと思うけど、一応伝えてみるわ」
確か彼とそんな会話を交わした記憶がある。
A君は暴力団組員で、仕事とは、しのぎのことだ。
お金に困っていた僕は、犯罪にかかわらないもので何か仕事はないかと彼に相談していた。
そのときに紹介されたのが、ウイークリーマンションとレンタカーの契約。
身分を証明するものを持っていないため、借りたくても借りられないとのことだった。
もし契約してくれたら謝礼を払うと言われ、僕はお金欲しさに頷いてしまったのだ。
結局、約束を守らなかった僕を、兄貴は許さなかった。
何度も携帯に電話をかけてきて、恐る恐るその電話を取った僕をしばらく怒鳴り続けた。
落し前をつけろ、と。
何度も謝って許してもらえたが、1週間くらい仕事を休んで、その兄貴のさらにうえにいる兄貴の運転手をやるよう命じられた。
仕事の詳しい内容は、僕が暴力団の事務所に来てから話すと言う。
あのとき、僕はまだ奴等から逃げることができた。
でも、そうしなかった。
生きる意味を見失っていたし、ある意味、自分の人生を自ら捨てていたからだ。
どうにでもなれ。
どうせ俺なんて、生きている価値ないんだから。
僕が人としての道を踏み外した瞬間だった。
暴力団の事務所に到着すると、その日から軟禁生活がはじまった。
「逃げたらどうなるかわかるよな」
笑いながら兄貴は言った。
― 殺されるってことだろうな。それならそれで、自殺する手間が省けていいか。
僕は思った。
別に怖くはなかった。
いつ命を失っても、惜しくないと考えていたからだ。
結局、兄貴の運転手をやるなんて嘘だった。
本当は窃盗団の運転手だった。
手首にかけられた手錠の重さを感じながら、僕は警察署へと連行された。
その重たさを、生涯忘れることはないだろう。
文章が長くなってきたから、この続きはまた次回書きたいと思う。
ちなみに、なぜこんな話を公にしたのか?
過去の僕のように人生に絶望している人が、前を向く手伝いがしたいと考えているからだ。
そして、どん底にいるときこそ、人生において大切なものを見つけるチャンスだと伝えたい。
僕は文才という才能を見つけたけれど、人によって見つけるものは違うと思う。
家族愛かもしれないし、自分にとって最も大切なことかもしれない、生きる意味かもしれないだろう。
いずれにせよ、人生がどん底になったくらいで、悩んではならないと言いたい。
たとえどんなことがあろうとも、そこで人生が終わることはない。
だから、何のために生きているのかと、絶望しなくていい。
やりたいことや夢がなくても、悩まなくていい。
生きていれば、いろんなことがあるだろう。
それらは人生を味わい深いものにする、スパイスにすぎない。
僕は、すべての人は体験したいことを決めて生まれてくると考えている。
誤解のないように言うが、逮捕されるという体験は絶対にしないほうがいい。
そういうことを言いたいわけではない。
生まれてくるまえに、自分で「どんな人生にしたいのか?」を決めてきたはずだと考えているのだ。
その決めてきたことから外れた行動を取ると、「そっちの道じゃないですよ!」と、本来の道に戻されるような出来事が起こる。
僕が逮捕されたのは、その1つだろう。
ネガティブな出来事に追い込まれて自殺を図ったところで、何も解決しない。
大切なのは、ただ、ただ、生き抜くこと。
その先に、想像を超えた未来は必ず存在すると信じている。
それを見ずして自ら死んでたまるか。
生きることを諦めたら、自分にすら見捨てられてしまったら、あまりにも自分がかわいそうじゃないか。
人生なんて、なんとでもなる。
どうにでもできるのだ。
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