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カマスのおじさん

 子どもの頃、僕の家には「カマスのおじさん」がいた。いや、正確には「いた」んじゃなくて、「いる」とされていた。

「言うことを聞かないと、カマスのおじさんが来るよ」

 両親がそう言うたびに、僕は震え上がっていた。得体の知れない恐怖が、僕の小さな心をギュウギュウに締めつけたのだ。

 でも、そんな恐怖は、次第に消滅していった。カマスのおじさんが来るって言われても、結局、来なかったからだ。
 そのうち僕は、だんだんと両親の言うことを聞かなくなっていった。
「どうせ、来ないくせに」と思うようになったのだ。

 そりゃそうだ。
 だって、そもそもカマスのおじさんって誰だ? どこから出てくるんだ? というか、なんでカマスなんだよ。魚かよ。って感じになってしまったから。

 両親は言うことを聞かせたいがために、「カマスのおじさん」をうまく利用していたんだろう。なんて、長い間思っていた。

 でも、大人になった今、驚くべきことに気がついた。カマスのおじさんは、実は僕の中にいたのだと。

「これ、やっちゃまずいんじゃないか?」
「もうちょっと考えた方がいいかもな」

 そんな声が、カマスのおじさんの正体だったのだ。自分の言動を振り返る力。それが、あの得体の知れない存在の本質だったのだと思う。

 そう考えると、カマスのおじさんは、僕に大切なことを教えてくれたのかもしれない。
 ただ言われたことをするのではなく、自分で考えることの重要性を。 
 それは遅れてやってきた気づきだったけれど、じわじわと僕を成長させてくれた。

 大げさに言うと、僕たちの人生には、たくさんの「カマスのおじさん」がいる。それは、恐怖かもしれないし、不安かもしれない。

 これって本当に外からやってくる存在なのだろうか? 
 もしかしたら、僕たちの中にある何かなんじゃないだろうか。

 外の脅威を恐れて震えていた子どもの僕。
 内なる声を無視し続けていた大人の僕。

 どちらが本当の「言うことを聞かない子」だったのだろう。

 つまるところ、僕が言いたかったのは。
 カマスのおじさんは幻だったけれど、僕たちの中にある声は真実だってことだ。

 その声は、厳しく、優しく、僕たちの行動を導こうとする。

 だから、 本当に恐れるべきは、目の前の恐怖や不安なんかじゃない。
 自分の中にある、あの小さな、でも確かな声。

 その囁きに、耳を塞ぎ続けることこそが、真の恐怖なのだ。


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けーすけ
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