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悲しい性とコイン
作家の悲しい性だと感じていることがある。
どんな出来事もネタになるということだ。
つらいことや悲しいこと。
嬉しいことや楽しいこと。
そのすべてが作品のネタになる。
心に余裕があるときや整っているとき、特定の出来事がすでに過去になっているときは、まだいい。
じゃあ、これをネタにして一作品書くか? みたいな気持ちになれるからだ。
いっぽう、心がすり減っていたり、立ち直れる気がしないときは、ネタになんかするものかと思う。
まあ、そうはいっても、結局はそれをネタとして何らかの作品を書くのだけれど。
そんな僕に転機が訪れたのは、数ヶ月前のことだった。
悲しい性だと思っていたことが、実はそうではなかったと知ったのだ。
コインに表と裏があるように、物事にも表と裏があるということだった。
物事の表と裏とは、たとえばポジティブとネガティブ、幸せと不幸せみたいなものだ。
僕は今まで物事の片側だけを見て、悲しい性だのなんだのとほざき続けてきた。
もう片方には何があるのか、見ようとしてこなかったのだ。
だから今さらではあるけれど、恐るおそる、もう片方を覗いてみることにした。
意外な言葉がぴょこんと飛び出してきた。
人生、すべて順調。
たとえ仕事がうまくいかなくても、彼女にフラれても、お金がすっからかんになっても、そこだけを見て「ああ、これもネタにするのか」などと嘆かなくてもよかったのだ。
それすらきっと、自分の幸せにつながっているはずだから。
そう考えてみると、人生で起きるあらゆるできごとをネタにするとかしないとか、大して気にすることではないと感じるようになった。
そういうことすら、僕が自分で選んだ人生であり、生き方なのだから。
悲しい性と、人生すべて順調。
このふたつを小脇に抱えながら、これからも生きていこうと思う。
僕はそういう生き方しかできない。
いや、そういう生き方がしたいのだ。
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