「自分から見せにいってる」
最近、友人に「note読んだよ」と言われることが増えた。正直、どきりとする。「バレたか!!!」と思い、小っ恥ずかしくなる。お風呂場での歌声を誰かに聞かれたような、こっそり自由帳に書き溜めてた自作のポエムを親に読まれたような、そんな感じ。
でも、今回はそういったものとは明らかに違う点がある。それは、消極的ではあるものの「自分から見せにいっている」ということ。1つしかないInstagramのプロフィール欄にURLを貼り付けているし、中学生の時から本名でやっているTwitterのアカウントでも(大学入学の時に作ったアカウントもあるけど、最近はそっちは全然使ってない)、たまに本noteの記事リンクをツイートしている。風呂場の歌とも、自由帳のポエムとも違う。さりげなくを装っているが、みんなに読んでもらいたいという欲が働いている。
高校までの自分だったら、こんなことは思わなかったはず。
高校の時は限られた友人以外は本当に信用していなかったから、自分のことをどこかに書いて、ましてや自分のことを知っている人に読まれることなど、絶対に耐えられない。書いた内容のことを友人に問われたり、少しでも自分が意図した通りに伝わっていないことが分かれば、羞恥心もろもろの感情でおかしくなってしまう。
その場で全記事を削除して、出来る限り遮音性の高いイヤホンを装着し、自分の半径1メートルを「拒絶ゾーン」として全方位の関係を遮断してたはず。
ただ二十歳を過ぎたあたりから、自分の中で明確に変化が起きている。自分のことを積極的に公開する行為は、相手の理解を深める行為と対応している、と気づいたことがまず大きい。
相手を知るためには、自分のことをもっと知らせなければいけないと思うし、もっと仲良くなりたい人には、もっと自分を知ってもらいたい。自分の過去も、暗い時期も含めて、色々知って欲しい。お互いの楽しいところもちょっと欠けてるところも含めて知った上で、素敵な人間関係を築きたい。
LINEだけじゃ、DMだけじゃ物足りないし、伝わりきらない。下手に繕うよりも、そのほうが絶対に風通しも良いはずでしょ?
今、信頼できる人が周りに多くいることは、本当に幸せなことだと思ってます。まだ読まれてることを知るのは少し恥ずかしいけど、これからも色々思ったこと感じたことを書いていくつもりなので、ひとつよしなに。
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