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私が病を自覚するまでの道のり①

私は結婚し、出産する前までは、わりと明るい人だった様です。
旧友にアンケートとりました笑
それが、息子を産んですぐの病院で、強烈な不安に襲われました。
産む前までは、何処かで母性本能があるからどうにかなる、なんて思っていたみたい。
でも、母乳は出るのに上手く飲ませられなくて、夜中の授乳も頑張ったのに明け方新生児の息子は吐いてしまう。そして、体重が増えない。また、黄疸がひどいから機械に入る息子を見て、育てる事への不安を猛烈に感じた。

主人に話して退院を伸ばしてもらい他の方より長い入院期間ではあったけど、こんなに小さい我が子を連れて外に出ることが怖かった。
そこから産後うつの様な状態だった気がする。

実家に帰らなかったのは、私が選んだ事。
だけど、きつかった。
夫は夜泣きされると寝れないから外歩いてこい!なんて怒る日もあったし。。。
それで、夫にはわかってもらえない…とフィルターをかけた私。

夫は私とは違って出来る人。言い訳しない人、自分の趣味を貫く人。
だから、尊敬して結婚を決めた。
でも、あまりに違いすぎて困惑した。
アドバイス受けても正論すぎて辛い。
自分は何故出来ないのか…と悩む日々。

夫からのアドバイスには私を理解したものではない、と思いネットサーフィンの日々。
斎藤一人さん、心屋仁之助さん、心屋カウンセラーの方々。
メキシコ駐在が決まった夫と一緒に行くかの選択を決められずに日本でワンオペ生活が始まった。私のお腹には小さな命が宿かけていた。
でも、心音を聞かぬままその子は逝ってしまった。それは、確信犯だった。産婦人科の医師から母体のストレスが良くないから、気をつけてと、言われていたのに。。。
正直、ホッとした。ワンオペで第二子を育てるなど無理だと諦めていたから。

罪悪感がよぎる。自分が殺した命。。。

そんなこんなでワンオペ育児を半年くらいして、メキシコへ息子と遊びに行った。
期間は3ヶ月位。
毎日外に出た。コロニー内の遊具で遊んだ。
息子は全く人見知りなくて、公園に子どもがいたら、一緒に遊んだ。それで、私はGoogle翻訳使ってコミュニケーションとろうと努めた。
メキシコ人家族に誕生日会へ招待してもらったり、アメリカ人のママさんに食事に連れてってもらったり…。
全く話せない私が何となくでコミュニケーションとってた。
次に続く。。。

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