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1988年に尾崎豊東京ドームを観ていなかったら俺は

多分音楽をやっていなかったと思います。
今から32年前の9月12日。
中学三年生の平日の夜。
山梨から行かせてくれた両親と、現地で付き添ってくれた姉に感謝。

そもそも尾崎豊を聴き出したのは、覚せい剤で逮捕された後でした。
すべての曲が刺さりまくり、無味乾燥の俺がみるみる染まっていきました。

逮捕後の復活公演を東京ドームでやると聞いた時、
親にどうしても観に行きたいと懇願しました。
チケット発売日がちょうど陸上の試合で、
小瀬陸上競技場の脇の公衆電話から電話したところ、
奇跡的にチケットが取れました。

公演当日は学年全体の模試の日。
15時20分に全テストが終わり、急いで甲府駅に出向き、特急かいじ号に飛び乗ったのでした。

会場に入るとその後も体験したことないような、
ものすごい雰囲気でした。
5万人以上の若者がみんな泣き出しそうな、昂りまくった状態。

そして開演。凄すぎてほとんど記憶にありません。
尾崎はリハーサル時に喉をつぶし、
全く歌声は違っていたけれど。
公演として、今後もこれを上回る体験はないでしょう。

唯一覚えているのは、1曲目「COLD WIND」の長いイントロの際、
横にいた姉がつぶやいた一言。

「一人の青年がこんだけの人を熱狂させてるの、凄いね」

パッカーン。

生まれて初めて、心の眼が開いた瞬間でした。

俺は、「熱狂する側」ではなく「熱狂させる側」になろうと決めた瞬間でした。

帰郷してから無我夢中で動きましたね、目標達成に向かって。
・知り合いからフォークギターを譲り受け、尾崎のほとんどの曲をマスター
・東京ドームに一緒に行った友人I君を巻き込み、中学の学園祭で学園祭史上初めてライブを敢行。
(I君は当時エレクトーンで日本一の称号を持っている猛者で、「路上のルール」を精密に打ち込み演奏してくれました。
ちなみにI君は某レコード会社で活躍しまくっており、俺にnoteを勧めてくれたのも彼です)
・高校に入ってからは、Y君のという同志とユニットを組み、ライブ活動

早稲田入学で上京し、尾崎一辺倒では通用しないことがわかり、
様々なCDを買い漁りだす苦闘の話はまた別の機会で。

何しろ、あの日東京ドームに行ってなければ、
姉のつぶやきがなければ、
俺はどうなっていたのだろうとたまに身震いします。

「あこがれ」詞曲演奏/斉藤慶一
https://soundcloud.com/keichanman1973/track

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