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簒奪者の守りびと 第六章 【7,8】

第六章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,500文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第六章 思惑

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【7】

「結局のところ、貴殿は自分を囮にしたということだな!」

 バウンドする軍用ジープの上で、ミハイは怒鳴った。感情がそうさせたのではない。大声を出さなければ、前席のスミルノフにすら声が届かないからだ。

「そのとおり! ハラバを陥すにはこれがもっとも効率が良いのだ!」

 耳を切り裂くような飛翔音がして、前方のアスファルトが捲れあがる。

「もしコロソバの部隊がハラバへ向かえば、我々の第二軍が挟撃にあうからな! バトゥコにはハラバを見捨てて、北進してもらわなければならん!」

 ハンドルを預かるウルスラは、爆発を巧みに避けながらアクセルを全開にする。紺色のベレーはもうどこかに吹き飛んで、ココアブラウンの長髪を風に暴れさせていた。警護班の車両が、そのすぐ後ろをほとんど片輪走行になってついてゆく。

「エサにしては高級すぎなんじゃない!」

 後部座席のミハイの隣で、エマが叫ぶ。

「はっは! バトゥコはケチだからな。最高司令官をエサにしなければ食いつかんさ! 現に効果てきめんだろう!」

「てきめんすぎる!」

 砲弾の舞い上げた砂が、ジープに降り注いだ。

「ミハイ。あんたここで死ぬかもよ」

「私だけなのはおかしくないか。みんな一緒だろう」

「だから、あんたも含めてってこと」

「……それも悪くない」

「まだそんなこと言ってんの?」

「だって、どちらかが残されるよりマシだろう」

「いや……え?」

 エマは、砂埃のせいで頬が白くなっていることを祈った。

 スミルノフを取り逃し、ハラバを失ったバトゥコに残されたのはコロソバの街だけだった。春が来るころには大統領に就任し、武器と麻薬を支配して、自分だけの帝国をつくるはずだった。手の届く距離にあるそれが、まるで高密度の空気に阻まれているかのように掴めない。

 しかしまだ武器は豊富にある。人員もそれなりに残っている。そしてなにより、駐留軍から派遣されている軍事顧問がいるのだ。その男は表向きには傭兵となっているが、歴としたロシア軍将校であり、駐留軍が敗北した今もモスクワとのパイプを持っている。彼を通じてロシアが兵力を送ってくれれば、スミルノフの貧相な軍隊など蹴散らすことができるだろう。

 気持ちを立て直すのに三杯のウォッカが必要だったが、その甲斐はあった。バトゥコは「よし」と呟くと、ロシア軍将校の部屋を訪ねた。本人はおらず、現れた家政婦が面倒くさそうに紙を突きつけてくる。そこには「現状を報告するために帰国しなければならない。貴殿の奮闘を心から祈っている」と走り書きされていた。その日、眠るためにバトゥコは四杯のウォッカを追加する必要があった。

 コロソバの街は包囲下におかれている。しかし、翌日になってもスミルノフが攻勢に出て来る気配はない。持久戦となれば、弾薬はともかく食料供給が問題だった。それまで、住人とタチカ構成員の関係は良好だったが、腹が減れば人間は穏やかでいられなくなる。食料を奪う者が現れるに至って、両者には亀裂が生まれた。

 バトゥコは一計を案じた。陸路が無理なら水路を使えば良い。コロソバを貫く川から食料を運び込むのだ。ボートを大量に買い上げ、夜間、音を立てないように手漕ぎで食料品を運搬させた。最初は順調だったが、事態は徐々に予想外の方向へ向かっていった。ボートが戻ってこなくなったのだ。忠誠心の低いタチカの構成員にとって、離脱のための理想的な口実となったからである。

 夜を越えるたびに味方が減ってゆく。最後の朝、バトゥコの周りに残っていたのはたった五人だけだった。彼はもはやウォッカを口に運ぶ気力もなく、ただただソファに身を沈めた。

 武器密売組織タチカはこの日、単なる歴史の一ページになった。

 ミハイたちはコロソバの広場でバトゥコを初めて見た。銀鼠色のトレンチコートに身を包んだ小柄な男。その矮躯を埋め合わせるかのように濃くたくわえた口髭と、猜疑に沈んだ目が印象的だった。

「これで我々は独りになったな」

 大統領府がティラスポリス全土を影響下に置いたのは、独立戦争以来初めてのことだ。もちろん、麻薬の権力者が、ロシアの意向に反して武器の権力者を排除したのも初めてのことであり、つまりはロシアのくびきを脱したという意味で画期的であった。

 時として、巧みな演出家がエンドロールのあとに衝撃的な一幕を仕組むことがある。大統領府で戦勝パーティが開かれている最中に、その知らせは飛び込んできた。顔面蒼白となった官僚から「官製農場の北で火災が起き、山中の施設がことごとく炎上している」ことを告げられたとき、スミルノフはなにかが腑に落ちたような気がした。武器という権力を取りあげた者が、麻薬という権力を取りあげられることは、何の変哲もないことのように思えたのだ。

 のちに「魔女の置き土産」と呼ばれることとなるこの人工的な火災によって、スミルノフは麻薬の生産に関する全施設を失った。


【8】

 土木機械よりはいくらか細い線をした重機が、低木の畝をまたいでいる。オペレーターがゆるやかにそれを前進させると、後方の木々からシオンベリーの実がひとつ残らず消えてゆく。回収された果実は、荷台にある樹脂製のコンテナに次々と吐き出されていった。

 シオンベリーの自走式収穫機は、今年の最後の仕事にとりかかっている。

「あ、いま食べたでしょ!」

 エマの指摘に、ミハイは首を振る。言葉は発さない。

「食べましたね」

 リャンカが目を細める。

「食べたよね。ほら、収穫物を搾取するんじゃないの」

「いや、痛んでいたものを処分……」

「そういうのはセンターに集めてからやるって言ってるでしょ」

 ホリゾンブルーの作業着に身を包んだ三人は、自走式収穫機の荷台で、他の作業員とともに収穫を手伝っていた。

「いや、それをいうなら、エマだって食べていたじゃないか」

「あたしは品質チェックだからいいの」

「そうなのか」

「おふたりさん。次のコンテナを用意しないとそろそろ溢れますぞ」

 リャンカが樹脂製のカゴを放り投げる。ふたりは反対側の端を同時にキャッチした。

 麻薬と武器という二大財源を失ったティラスポリスにとって、期待できる現実的な輸出品は果実とワインくらいのものだった。とはいえ、生産量を急に増やせるわけではない。付加価値を高める方法を話し合ううちに、現場に出なければわからないことがある、という結論に至った。ミハイたちが収穫機の荷台におさまっているのは、そのような経緯による。

「おーい。ごくろうさん!」

 センター倉庫へ戻る途中の収穫機に、ローザが声をかけた。荷台からエマが顔を出す。構造上、荷台は高い位置にあった。そのため、エマはローザを見下ろすかたちになる。

「あんたたちが担当する畝はこれで終わり!」

「他の二台は?」

「そっちももうすぐ終わるよ。さぁ、降りておいで」

 三人はローザの周りに集まった。

「聞いてよ。ミハイのやつ、つまみ食いばっかりして」

「エマ、それは一側面を拡大しすぎだ。ちゃんと仕事はしていた」

「つまみ食いとか行儀悪くない? 元王太子のくせに」

「……それをいま言うか」

 ローザは大口を開けて笑う。

「どっちにしろ美味いと思ってくれたんならいいさ。甘みと酸味のバランス、それに鼻から抜ける爽やかな風味がうちのウリなんでね」

 監督官に叱られなかったミハイは、内心で胸を撫でおろした。

「ミハイってシオンベリー大好物なんだって。王族のくせに庶民的なものを好むのってなんか嘘っぽくない?」

「嘘なんかじゃない」

「ちょっと信じがたい。イメージ戦略?」

「本当に幼いころから好きなのだ。特に砂糖をたっぷり混ぜたジャムが。朝食には必ず用意してもらっていたのだが、好きが高じて、自分の興味あるものに塗りたくって、バラン儀仗長から禁止されたこともあるくらいだ」

「ジャムを塗りたくる?」

「うむ。好きなものに囲まれていると幸せな気持ちになるだろう。最初は身の回りの物から。次にペットとか、庭の彫刻とか。最終的にはバラウルの背骨にも塗ってな。めちゃくちゃに怒られた」

 唖然とするスミルノワ姉妹を横目に、黒縁メガネを押し上げたリャンカは「殿下。それはおイタが過ぎますね」とバラン儀仗長の真似をした。

 ミハイも、エマも、警護班員たちも、これが束の間の平穏であることは自覚していた。だからこそ朗らかに過ごせたと言えるかもしれない。憂いたところで山積した問題がなくなることはありえない。いずれ立ち向かわなければならないのならば、休息をとることもまた、前進の一種には違いないのだから。

 だが、その日々はあまりにも短かった。

 大統領府に初雪が舞ったその朝、ひとつの訃報が届いた。すわなち、ヴィクトル一世の崩御であった。


 第六章 完

 第七章へつづく 
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城戸 圭一郎
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