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簒奪者の守りびと 第三章 【5,6】

第三章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,500文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第三章 魔女


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【5】

 ヴァシーリエブナが語ったマリア妃の記憶はまっとうなものだった。体験談を交えたエピソードは、ラドゥにとってすら新鮮さを持っていた。ミハイはいささかの感傷を味わい、警護班員らは少年を優しい眼差しで見守った。当のラドゥは、暗殺犯の邸宅に連れてきたことを弁解せずに済み、内心で胸を撫で下ろしていたが。
「さて、あんたらに手伝ってもらいたいことがあるよ。陽が落ちる前にね」
 魔女は立ち上がって手を叩いた。
「招いていない客人ってのは大抵は余計なもんを連れてくるのさ。その準備を手伝いな。そうそう、今晩は夕食なんて立派なもんはないからね。食うなら自分たちで調達しな。ワインだけは出してやる」
 イリーナ・ヴァシーリエブナはロシアからの移住者であった。父親は政争に敗れて居場所を失ったソビエトの研究者であり、彼に手を引かれてやってきた少女もまた、科学者としての才能を内包していた。高等教育機関で優秀な成績をおさめ、特に薬学・細菌学において特筆すべき才能を発揮した。ソ連が消滅し、王国が再独立したあとは、陸軍防疫研究所で生物兵器の開発に携わる。15年前の阻止戦争でヴィクトル・ネデルグ中佐と出会い、彼との交流が始まった。その関係はヴァシーリエブナの陸軍退役をもって途絶えたことになっているが、それは表向きの記録に過ぎない。
「こっちだよ。ついてきな」
 警護班員たちに早口で指示を出したあと、魔女はラドゥだけを呼んだ。
 半地下のガレージに続く階段を降りていく。コンクリート製の階段を踏むたびに揺れる魔女の白髪をたよりに、薄暗い空間を進んでいった。
「ガレージはこちらでは?」
「七面鳥でも買いに行くってのかい。誰がガレージになんて用があるか」
 さらに降りると、足音の反響音が変わった。ひらけた空間に出たのだろう。網膜にちらつく光点は、電子機器のそれに違いなかった。
「ここは?」
「上の山荘は飾り。人間でいえばピアスやタトゥーみたいなもんさね。本質は頭蓋骨の内側にあるだろ。それがここだ」
 照明が点灯する。その広さにラドゥは混乱した。山荘のささやかさと間尺が合わない。チリひとつないリノリウムが天井の光源を反射するせいで、上下二列の光の道ができているかのように見えた。それが延々と続き、突き当たりは真っ白な正方形で終わっている。しかし問題なのはそこではない。両サイドに扉が並んでいることだ。つまり部屋がある。それも無数に。ラドゥは言葉を飲み、魔女はその反応を満足そうに眺めた。
「おまえ、なにか趣味はあるのか?」
「は?」
「あたしだけ趣味を開陳するのはアンフェアかと思ってね。まぁ、気にするな。質問してみてわかったが、おまえの趣味に興味なんかない」
「この施設が……趣味なので?」
 魔女は答えずに、もっとも手前のドアを開けた。そこは意外なほどに生活臭に満ちていた。食べかけのピザの箱。放置されたペットボトル。デスクには書籍の塔があちらこちらに立っている。そのひとつに引っかかっているコートは、冬の終わりに脱いだままなのだろう。デスクのひとつには寝具が乗っていた。設計者が見れば卒倒するかもしれない。
「なるほど。上は飾り……ですか」
 魔女がこの部屋で生活していることは明らかだった。
「適当に過ごしな。シンクの横にワインがあるだろ。今朝開けたばかりだから飲むといい。グラスはないから汚れのないビーカーを探しな」
「いえ、遠慮しておきます」
「あたしが飲むって言ってんだよ。注いで持ってきな」
 書籍の塔のあいだに体を滑りこませた魔女が振り向いて言う。ラドゥはバレないように小さく肩をすくめた。魔女はすでにディスプレイに向き直ってコンソールを叩いている。
 ラドゥはグラスを探してみたが本当に見当たらなかった。棚から取り出したビーカーに赤ワインを半分ほど注ぎ、魔女の手元に置く。彼女は視線を送ることもなく「悪いね」と呟いた。
「楽しそうですね」
「ひさしぶりだからね。お客さんは」
「お客とは……我々のことではありませんよね」
「おまえらで試すのもいいかと思ったよ。最初はね」
 来訪時、鉄柵がひらくまでの奇妙なタイムラグを思い出したラドゥは、かぶりを振った。

【6】

「そりゃ試作品だよ」
 魔女の背中と、長い白髪が指摘する。手持ち無沙汰になったラドゥは、そのあたりのものを適当に触っていたのだ。
「しかも失敗作だ」
 いま彼の手には、手のひらにちょうど収まるサイズのミニマグライトが握られていた。確かに、点灯してみたもののなんら反応がない。
「どんな試作を?」
「欲しけりゃくれてやる。おまえの今の任務にはちょうどいいかもな。追跡を容易にするために考えたんだよ」
「興味深いですね」
「そいつは尾部からスプレーを噴霧できる。特殊溶剤でね。日光でも人工灯でもその溶剤を視認できない。そのマグライトで照らした時だけホタル色に光るのさ。小さいけど高出力。湖の対岸でも反応するほどさ」
「なるほど。追跡対象に噴霧しておけば、居場所が浮かび上がると」
「しかし、欠陥品だ。致命的な」
「それは……どんな?」
 振り向きもしない魔女の白髪が、おどけるように揺れた。
「シオンベリーは好きかい?」
「好きも嫌いもありませんよ。王国の名産ですから」
「そのシオンベリーに含有される成分に反応しちまうんだよ」
 ラドゥは手の中でマグライトを弄んだ。
「……ということは、シオンベリーがホタル色に光るということですか? ラズベリーやストロベリーには反応しないのに」
「そのとおり。やっかいなことに、シオンベリーの成分はしつこくてね。洗ったり拭き取ったくらいじゃ意味がない。触った人間の指、食った人間の唇、なんでも光っちまうよ。無機物に付着したら2〜3年は反応が出る」
 ラドゥはガラス戸の前でマグライトを点灯させてみた。自分の唇がホタル色に光っているのは、あまり気持ちの良いものではなかった。
「食ったのかい?」
「ジャムを。朝食に」
 魔女はからからと笑った。

 予報によれば今夜は雨だ。降雨を待つべきだったかもしれない。ドロキアから分隊を率いてきた若き少尉はそう思った。しかし、部隊はすでに闇のなかで活動を開始している。彼は続行を決めた。
 西部方面軍ドロキア駐留部隊はガネア少将の指揮下にある。それはそのまま、ネデルグ家の私兵としての性格を持っていた。地図が書き変わることが多い欧州において、実力ある貴族に国境を守備させるのが一般的であるが、それはドニエスティアにおいても同様であった。国家が近代化していく過程で、私兵が軍政に取り込まれていったに過ぎない。ソ連時代を経てなお、各地の軍人のなかには、指揮系統としては中央に従うものの忠誠心は領主に向いている、ということも少なくない。特にドロキアにおいてそれは顕著であった。
 ガネア少将は、少尉にふたつの指令を発していた。「警護班の動向を探れ」というものと「ミハイを暗殺しろ」というものだ。若き少尉はこの異なるふたつの指令を同時に果たすことは困難であると判断し、取捨選択をすることにした。つまり、どちらの結果報告が自分の評価に資するかを計算したのだ。答えはすぐに出た。
 周囲はすでに闇だ。山荘を囲む鉄柵は、視覚的な印象こそ見窄らしいが、それはフェイクであると少尉は察していた。おそらく電流が仕込んであるに違いない。よくある手だ。
 部下が鉄柵にゴム製のフックを二本かける。ロープのように垂れ下がった部分に、絶縁体でできた足場が等間隔で渡っている。設置した者がそのまま補助者になり、ひとり、またひとりと鉄柵を乗り越えてゆく。
 少尉と6人の部下が鉄柵の内側に侵入し、身を低くする。予想以上に深い落ち葉が、わずかな動きも音声化してしまうので慎重にならざるを得ない。突如、部下のひとりが咳をした。少尉は睨み付けることで叱責に代えたつもりだったが、その異様さに視線を外すことができなくなった。部下は身体を揺らしながらフェイスマスクを剥ぎ取り、口を大きく開いたのだ。その両手は、喉を潰さんばかりだ。身体が酸素を求めている。が、彼の呼吸器はその要望に応えることができないようだ。倒れ込み、身悶えしたあと、部下は動かなくなった。
 遺体のグローブに小さな亀裂を見つけた少尉は、それを剥ぎ取った。親指の付け根がわずかに傷ついている。鉄柵を乗り越えるとき、突起物に触れたのだろう。
 雨の最初の一粒が、死体の頬を叩いた。

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


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城戸 圭一郎
電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)