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簒奪者の守りびと 第三章 【3,4】

第三章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,600文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第三章 魔女


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【3】

 魔女が紅茶を用意しているあいだ、ラドゥは室内を眺めまわした。一階はほぼ一間で、壁も床も木材で造られている。カウンターキッチンもささやかなものだ。特徴といえば、壁に大きく口を開けるレンガ造りの暖炉と、湖側の採光窓が横長にひらけているくらいのものだ。
「そこの、若いの」
 ゾフが振り向く。
「ぼさっと突っ立ってんじゃないよ。戸棚から人数分のカップを出しな。それともなにか、ポットから直接口に注ごうかね。そこじゃないよ、ひとつ左だ。うるさいね、容器ならなんでもいいよ。赤髪のお嬢ちゃんはニヤついてないで運びな。トレーなんてもんはないからね。直に手で持ちな。床にこぼすんじゃないよ、傷むから。そこのボウズは……なにもできなそうだからソファに座ってな。金髪のお姉ちゃん、ボウズが走り回らないように見てておくれ。おい、ラドゥ」
 突然名指しされ、思わず背筋が伸びた。
「おまえが最初に飲みな」
 ちょうど口を尖らせながら、リャンカが紅茶を運んできた。無骨なマグカップに半分ほど。そのせいか、液体がやたら黒々して見える。
「それともなにか、ボウズが最初に飲むか。おまえ、警護班長だろ」
 ラドゥは意を決して液体を飲み下した。よくあるバラのフレーバーティーだった。

 王都最大の交差点で起きた大事故を、最初にカメラに収めた者が誰かを突き止めることはできない。少なくとも携帯電話のレンズは無数に存在していたはずだ。しかし、個人所有ではないカメラが、公益的な目的のために稼働したのは事故発生から26秒後のことであり、撮影者は偶然居合わせた王立大学の短編映画制作部員たちだったことが明らかになっている。
 映像は、悲鳴と怒声をともなう彼らの足元からはじまっており、次に青空を背景に立ちのぼる黒煙が映された。建物が振り回されているように見えるのは、撮影者が路地を走っていることを意味していた。空間がひらけると同時に、映像は安定する。最初に撮影者がフォーカスしたのは、黒塗りの車に突き刺さるパトカーの残骸だった。
 ラドゥは自分たちが走り去ったあとの顛末を、彼らの映像を通じてはじめて知ることができた。ミハイの命を散らすはずだったAT4の弾頭は、生花の配達車を破壊し、その爆発によって無数の花びらを上空に散らした。急激な上昇気流にのった色彩豊かな花びらは、煙の糸をひきながらゆっくりと下降に転じ、空を染める白煙と黒煙の共演に、文字通りの色を添えた。
 次にカメラはヴィクトル一世像を拡大した。交差点に降り注ぐフラワーシャワーを浴びつつ、偉大なる王の石像は堂々としていた。天に突き出されたその右手。特に中指に引っかかる女性下着の赤いトップスは、そこにある全ての色彩を吸収しているかのように美しく、はためいていた。
「なかなか、痛快じゃないか。え?」
 魔女はからからと笑った。
「あのしかめっ面にねぇ。イメージの刷新さね」
 スープ皿をあおるようにして紅茶を飲み干した魔女は、それを無造作にキッチンカウンターに置いた。
「テレビでこの映像を観たときは笑いが止まらなくてね。だからラドゥ、おまえが泣きついてきたとき、受け入れようと思ったんだよ。そうでなければどこでのたれ死のうが知ったこっちゃないからね」
「それはちょっと手厳しいですね。いや、受け入れてくれて感謝します」
「で、ボウズ。あたしゃあんたのことをどう呼べば良いのかね」
 矛先を向けられたミハイは、魔女を見つめ返した。
「ボウズのままで良いのかい。それとも殿下が良いか」
「その前に……私も困っているのですよ。あなたをなんとお呼びすべきか。博士がいいか、魔女がいいか。選んでください」
「どちらも気に入らないね」
「では……ヴァシーリエブナと呼ぶことにします」
「第三の選択ね。いいとも。ではこちらもあんたをマリアの息子と呼ぶことにする」
 ミハイは作り笑いをやめた。
「……母をご存知で?」
「ああ、知っているよ。よく知っている」
 対照的に魔女は笑顔になった。しかしそれは口元だけに過ぎない。
 ラドゥは思わず額に手をあて、自らの選択が誤りでないことを祈った。

【4】

「魔女の屋敷か……」
 王から与えられた私室で、弟からの報告を耳にしたクリスチアンは、あごに手を当てた。その仕草が彼のクセというわけではない。紫色に変色した頬や、切り傷のある額や唇を避けると、そこしか触れられなかったのだ。
「考えたな」
「エディンブルグの山荘は襲撃しやすい立地ではあるけど」
「安易に近づけば鯉のエサになっちまうだろうな。まぁ、鯉も毒づけの死体は食わないか」
 クリスチアンはベッドに身を横たえた。
「さすがにしばらくは静観していたほうが良くない?」
「魔女が怖いか」
「そうじゃないよ。父上が怖いんだ」
「おまえは殴られないだろ」
 弟はいつもそうしているように、ミニバーで二杯のウィスキーを用意し、グラスのひとつを兄に差し出した。クリスチアンは寝転んだまま受け取らなかった。口の中の傷が痛むのだろう。
「ミハイの母……マリア妃の最期は良かったな」
「うん。誰もが自然死だと信じた。家族も、国民も」
「長い時間をかけた毒殺だ。証拠はなにも検出されなかった。英国に入院すらしたのにな」
「こわい人だよ。ヴァシーリエブナは」
「だからこそ、魔女なんだ」
「ミハイ側につくかな」
「つくだろうな。親父はミハイを生かしたがっているんだから。魔女がマリア妃を暗殺したのだって親父の命令だからだ」
 アルコール成分の混じったため息を、アウレリアンはついた。
「ガネアに連絡をとろう」
 クリスチアンは天井を見上げまま、ふたりの故郷、ドロキアの守備を任せている陸軍少将の名を口にした。
「ガネア将軍に?」
「ああ。魔女の屋敷を探らせるんだ。傭兵では隠密行動は無理だからな。ドロキアの特殊部隊を使う」
 上半身を起こしたクリスチアンを、アウレリアンの戸惑いの視線が迎える。
「探って、どうする気?」
「あそこが目的地なわけがない。次に移動するはずだ。やつらの動向を把握しておく。もちろんチャンスがあれば、迷わず暗殺だ」

 丸眼鏡をいったん外し、クロスで拭ってから定位置に戻す。バラン儀仗長のクセであり、ささやかな気分転換であった。
 彼の執務室には正面の出入り口の他に、両側にふたつのドアがある。ひとつは彼の私室に通じており、もうひとつは近衛兵の詰所とつながっている。詰所のさらに隣は国王の執務室。その気になれば彼は五秒で王のもとに駆けつけることができる。
「ご苦労だった」
 バラン儀仗長の前には、ふたりの人物が立っていた。ひとりは軍服で、もうひとりは黒いフォーマルスーツを身につけている。
「外ではいろいろあったが、トルコ外相の式典は滞りなく済んだ」
 二枚の書類にサインをし、ふたりに手渡す。近衛兵を束ねる大佐は敬礼を返し、使用人を束ねる家政婦長は左胸に手を当てて謝意を示した。
「ひとつご質問をしても?」
 大佐は右手をおろすと同時に訪ねた。家政婦長はその横顔にちらりと視線を送る。
「なにかね」
「ミハイ殿下についてです。今回は無事に切り抜けられましたが、この先はどうなるか……。宮殿に戻られたほうが良いのではないでしょうか。我々近衛兵が命に変えてもお守りいたします」
 バラン儀仗長は丸眼鏡をつまんだ。
「わたくしも大佐と同じ意見でございます」
 家政婦長は鷹揚に頷いた。
 ふたりの顔を交互に見つめたあと、バラン儀仗長はふたたび丸眼鏡を外し、チリひとつないレンズを丁寧に拭いた。
「……きみたちの忠誠心に感謝する」
「では」
「いや、それはできない。近衛はたしかに王の命によって動く。ミハイ殿下をお守りするのは陛下の意思なのだから大義名分は立つ。しかし」
 眼鏡を戻し、レンズ越しにふたりを見つめる。
「近衛は王族を守るために存在している。陛下と、クリスチアン・アウレリアン両殿下をお守りすることこそ本来の役割だ。王族でなくなったミハイ殿下と両殿下が対立している今、我々はミハイ殿下をお守りできない」
「そのようなことは……」
 胸をふくらませる家政婦長を片手で制する。
「単純な話だよ。たとえば陛下が外遊中だとしよう。そのときクリスチアン・アウレリアン両殿下の一方が、ミハイ殿下から命を狙われていると騒ぎ立てれば、我々はミハイ殿下を拘束しなければならない。あのおふたりが裁判なんかすると思うか?」
 大佐と家政婦長は鼻白んだ。
「いまは遠くにおられたほうが良いのだ」
 バラン儀仗長が窓の外へ視線をうつすと、ふたりは追いかけるようにその切り取られた景色に目をやった。北部山脈の稜線が、空を淡く縁取っている。
「信じよう。ラドゥ・ニクラエを」

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


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