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簒奪者の守りびと 第二章 【5,6】

第二章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,500文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第二章 交叉

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【5】

 ドニエスティア警察はその車両にチェコのシュコダ社製オクタヴィアを採用している。マリンブルーで塗装された車体に、前照灯から尾灯にかけて白い帯状の線を引いてあるのが特徴的だ。警告灯の色は左右で異なり、赤と青である。
 警察署の建物は古く、重々しいコンクリートにひび割れが目立つ。その外観に反して警官たちは悠長な勤務姿勢の者が多いが、今日ばかりは違っていた。もとよりトルコ外相の警備というだけでも重大であるのに、旧革工房の火災、フィッシュマーケットの暴走事件、そしてビイロル通りの事故と、通報が連続したのだから当然と言える。
 フィッシュマーケット事件の重要参考車両である赤いフィアットに気づくのが遅れたとしても、誰を責めることもできない。ただし、それが警察署に横付けされていたというのであれば、いささか弁解には苦労するだろう。
 出動先から戻ってきたばかりなのだろう、駐車場には、パトカーの脇に立ちながらタバコを咥えているふたりの警官がいる。リャンカはウィンドウを下げると、彼らめがけて発砲した。
 銃声は三発。一発目がヘッドライトを割り、二発目はボディに命中。三発目はどこにも着弾しなかった。素早く身を伏せた警官たちは、大声で叫び、応援を呼んだ。署内から数人が駆け出してくる。それを見届けると、リャンカは二度エンジンを唸らせて走り出した。
「本当にごめんねー」
 言葉とは裏腹に、リャンカの口角は持ち上がっている。
 バックミラーには、駐車場から吐き出される車両の群れが映っていた。マリンブルーのオクタヴィアが、怒りと使命の象徴のように、赤と青の警告灯を明滅させながら追ってくる。
「みんな、超過勤務手当はちゃんと請求するんだよ!」
 リャンカは頭の中で、もう一度地図を広げた。

 異常を察したショッピングモールの警備員たちは、いったんは職務に忠実たろうとしたが、ガラスドア目掛けて突進してくる車両を見て、たちまちそれを放棄した。まるで壁が突如現れたかのようだった。ヒビが瞬時に広がり、サイコロ状にガラスを分割したからだ。それらは滝のように崩れ落ち、闖入者への復讐と言わんばかりに白いボディを叩いた。
「ゾフ! 引き返せ!」
「おす。努力します」
 目の前で呆然としている老婆をギリギリで躱す。その先には赤ん坊を抱いた母親。それを避ければ、小箱を抱えた配達員を撥ねそうになる。Uターンするチャンスを見出せないまま、アウディはモールの奥へと進んでいく。
 ラドゥが振り返ると、アベンシスは追ってきていた。
「やつら無茶苦茶だな」
 もはや前進するしかない。エスカレーターのすぐ脇を通り抜ける。スターバックスの紙カップを持ったカップルが、口を開けたまま上階へ運ばれていくのが見えた。転んだベーカリーショップの店員を避けようとして大きくハンドルを切る。反対側のカウンターに接触し、フレッシュジュースが噴き出して後続のアベンシスを果汁でコーティングした。
 モールの中央には待ち合わせスポットがある。噴水の池を取り囲むようにベンチが配置され、それらのあいだを埋めるように観葉植物が葉を広げている。アベンシスが跳ね飛ばした革ジャケットの男が噴水池に落下し、その衝撃でモニュメントが崩れた。鉄製の巨大地球儀が落下し、水が溢れてベンチと観葉植物を巻き込んだ。人々は放射状に流され、望まないスイミングを強制された。
 反対側のエントランスが見えてきたとき、予想外の事態が追加された。勇敢な警備員がひとり、進行方向に立ち塞がったのだ。なにかを叫びつつ、両手で拳銃を構えている。
 オリアが銃を構える。ミハイは助手席のシートに手をかけた。
「傷つけてはいかん!」
 少年に続いて、ラドゥは叫んだ。
「回避しろ!」
 ゾフは左へ急転回する。後輪が外側へ滑りつつ、抗議の唸り声をあげる。警備員の放った銃弾は車体の右側、オリアのいる助手席の窓を砕いた。
「オリア!」
「問題ありません」
 頭を振って、金髪に絡まった破片を落とすオリア。だが、部下の無事に胸を撫で下ろす時間は、ラドゥには用意されていなかった。車がファストファッションの店に突入したからだ。
 吹き飛ばされたマネキンがバラバラになり、四肢が周囲に飛び散った。ガラス製の陳列棚に激突すると、破片と衣服がまるでデザイナーが意図したかのような輝きをともなって宙を舞った。アウディは店員が右へ左へと逃げ惑うなか、猪がハードル競技に出場したかのように陳列棚をなぎ倒して進んでゆく。そしてアベンシスが後を追い、その傷を拡大してゆく。
「ゾフ! ここはだめだ。戻れ!」
「おす。わかってます!」
 そう答えながら、ゾフは六体目のマネキンを撥ねた。

【6】

 道ゆく人々の視線は二ヶ所に集中している。追う者と追われる者だ。といっても、まずは追跡者の規模の大きさに意識を奪われ、彼らの追跡対象が自分の眼前にいると気づかない。たいていは走り去るフィアットの小さな尻を見送ることになる。
 リャンカは無意味な蛇行運転を繰り返しながら、挑発するようにして警察車両の追跡を受けている。スピードの出せる大通りを避け、小回りのきく路地や、混雑する道を選んで走っている。
「さぁ、そろそろ行きますか!」
 交差点を斜めに突っ切り、石造りの門のあいだをすり抜けた。そこは王都最大の面積を誇るセントラルパークだ。リンデンバウムの林を縫うようにサイクリングロードが伸びている。リャンカはサイクリストたちを巧みに避けながらアクセルを開く。警察車両は、混乱する一般市民たちに進路を妨害されながらも、どうにかフィアットを追跡している。
 騒々しい車列の進路を横切るように現れたのは、セグウェイに乗った一団だった。湖のボート乗り場に向かって移動しているのだろう。リャンカはその先頭をかすめるように通過したが、続く車両はそうはいかない。彼らを避けるためにハンドルを切ったその先には、ホットドックの移動販売車が待っていた。衝突した金属塊同士が轟音を発し、続いて人々の悲鳴がこだました。それらを背景音楽にして、マリンブルーのオクタヴィアは銀色のキッチンカーをともない、破片を撒き散らしながら湖に転落した。大量のパンが水面に浮かび、水鳥たちが一斉に集まってきてそれらを啄ばんだ。
 二台目以降はどうにかセグウェイを回避して、フィアットの追跡を再開した。リャンカにはサイレンが一際高くなったような気がした。
「その調子!」
 セントラルパークの南西出口へ向かって進んでゆく。

 いくら被害を抑えようとしても、アベンシスが傷を広げながらついてくるので無意味だった。なにも行儀良くモールのエントランスから脱出することはない。ラドゥたちはそう考えた。
 商品棚を跳ね飛ばした拍子に、陳列されていた衣類がフロントガラスを覆う。ゾフはワイパーを動かして視界を確保すると同時に、右足を限界まで踏み込んだ。正面には大きなウィンドウがある。コーディネーターが細部にまでこだわったであろうディスプレイは、楽器をモチーフにしたワイヤーフレームが繊細に組み上げられていた。それらはガラスもろとも粉砕され、輝く瓦礫となって路上に散らばった。アウディは道路に復帰した。
「よくやった。ゾフ」
 舌を噛みそうになりながら、部下をねぎらう。
「おす」
 サイドミラーには、女性下着のトップスが引っかかっていた。色は目の覚めるような赤だ。旗のようになびいている。
 アウディの開けた穴から、黒塗りの車列が次々に飛び出してきた。
「リャンカの言っていたペトニカリ通りに向かおう」
「おす。ここからだといったん北へ。プシュキン通りを経由したほうが早いです」
「そうしてくれ」
 だがその思惑もすぐ修正を余儀なくされた。
「おいおいおい。なんだあれは」
 進行方向から新手が現れたのだ。フィッシュマーケットでリャンカを追跡していた二台に間違いなかった。しかし、三台目を引き連れている。
「トヨタのハイラックスですね」
「それはわかっている。荷台にいる男がなにか持ってるな」
 肩ほどの黒髪をなびかせて、男はスウェーデン製のAT4携帯型無反動砲を構えていた。複葉機のパイロットが使うようなゴーグルをかけている。
「ラドゥ。なんだあれは?」
「対戦車弾ですよ。軍の装備です」
「そんなものを街中で。正気か!」
「撃たれたらひとたまりもありません。逃げましょう」
 彼らは復帰したばかりの路上をふたたび離れた。


つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


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城戸 圭一郎
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