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カササギは薄明に謡う 【5,6】

全21シークエンスを11日間にわけて連載します。
<2,400文字・読むのにかかる時間:5分>

前回

【5】

 瑠華の右手は巨大だ。いや、その表現には語弊がある。
 俺からは、いまの瑠華の右手が巨大に見えるということだ。
 彼女は車から降りるとき、すでにそれを身につけていた。後部座席に積んだ仕事道具だ。恵子さんがドイツ遊学中に胡散臭い男と作り出した武器。娘のためにしつらえた特別な爪。
 瑠華の手からは三本の巨大な鉤爪が伸びている。存在感を際立たせているのは中央の一本で、それは彼女の前腕とほぼ同じ長さと太さを持っていた。直立している彼女のふくらはぎまでゆうにある。両隣の二本はやや短く、補うように寄り添っている。

 古代の鉤爪(アルタートゥム・クラレ)

 白亜紀後期に生息した恐竜、テリジノサウルス「鎌をもつ爬虫類」に由来する爪が、街灯とヘッドライトを浴びて白銀色に輝いていた。瑠華はそれを無造作にぶらさげまま、ただ立っている。
 穴は、振り返りの動作を終えた。あらゆる明かりを飲み込んで、瑠華の正面を向いた。
 風が吹き、杉の葉がこすれる。
 小さな枝が折れて、ヒビの入ったアスファルトに落下した。
 突如として穴が、その支配領域を広げた。よく見れば、支柱に当たる部分は紫紺の繊維の集合体だった。その繊維が蠢き、巨大化する頭部を支えるために太くなろうとする。穴はたちまち倍に膨らみ、瑠華を飲み込もうとした。
 だが、遅い。
 すでに瑠華はそこにいない。
 彼女が横を通過したとき、もう支柱の繊維は寸断されていた。支えを失った穴が路面へ触れるよりもはやく、アルタートゥム・クラレの鉤爪が背後から切り裂く。振り抜いた彼女の腕が穴の先をゆき、短くなった髪と長い衣服の裾がたなびいた。
 三本の鉤爪が通過したそれは、もう現世に止まることができなかった。
 積み上げた箱をうっかり崩してしまったときのように、分割された紫紺の塊は路面に散らばる。たちまち砂状になり、そして粉末になり、粒子になり、地面に染み込んでいった。

「お見事」
 俺の言葉が耳に届いたのか、瑠華はこちらに視線を送り、少しだけ口角を上げた。それが終了の合図だ。彼女はその場にしゃがみ込むと、路面を指先で撫でる。さっき粒子が染み込んだあたりだ。
「ゆっくりおやすみ……」
 つぶやく瑠華の背中を街灯が照らしている。
 その街灯の様子がおかしい。
 俺は慌てて後部座席の仕事道具に手を伸ばした。
 街灯の光の裏側。カサの部分になにかが凭れている。よく見ればでかい。なぜ気づかなかったのだろうか。紫紺の繊維で結ったような、巨大な蚯蚓(みみず)だ。俺は車を降りた。
 瑠華も気づいたようだ。彼女が視線を上げたとき、蚯蚓は体を波打たせ、カサから飛び降りた。
 俺は右腕を振るう。上腕で運び、肘を起点に前腕で加速する。手首をひねって意思を先端に送ると、それは自分の身体よりも素直に動いた。

 九尾の鞭(ノインシュヴァンツ・パイチェ)

 特別なファイバーを編んだ白銀色の鞭。先端が九つに岐れ、それぞれが刃を成している。そして刃のぶんだけ長さが異なる。つまり、こいつは俺の意思によって、一本の長尺な刃物にもなれば、九つの細かい刃物にもなってくれる。
 もちろん、こいつを生み出したのも俺の師匠だ。
 瑠華にのしかかる直前、ノインシュヴァンツ・パイチェは紫紺の蚯蚓を刻んだ。細かく寸断され、十個のパーツに分かれた蚯蚓は、弾け飛ぶように空中に散らばった。


【6】

 森に視野を遮られていても、自衛隊の車列が到着したことはわかる。おそらく、ここからそう遠くない村役場跡地に展開したのだろう。これから三方向に伸びる道路を封鎖するはずだ。となれば、この峠道にも奴らがやってくる。

 ところで、蚯蚓を地面に染み込ませたあと、俺たちはある拾い物をした。神社の鳥居に隠れていた中学生だ。
「名前は?」
「ヒロト」
「では、ヒロトくん。君はここでなにをしていた?」
「逃げてきたんだよ。怖いのが追いかけてきたから」
「足が速いんだな」
「途中までは自転車で……コケたから乗り捨てて」
「ヤツらとはどこで遭遇した?」
「最初からだよ」
「最初とは?」
「颯太んち。友達の」
「こんな時間に遊びに行くとは感心しないな」
「いや、行ったというか。うちに姉ちゃんが帰ってきてて、それで、なんていうか、邪魔だから出かけたんだ。颯太はまだ起きてるだろうと思って」

 要約するとこういうことだ。隣県の信用金庫に就職した十九歳の姉が帰省している。風呂上がりにバスタオル一枚でうろつくのを抗議したところ、思春期をからかわれて腹が立った。家を飛び出し、自転車で颯太の家に向かったのが夜11時ごろ。颯太と合流し、自販機でドリンクを買って、小学校のジャングルジムの上でひとしきり過ごした。話し込んで遅くなってしまったことに気づき、こっそり颯太の家に戻ってみた。寝静まっているようで、颯太は無事に家に戻ったが、いつもなら部屋の窓から手を振ってくれるはずなのに現れない。しばらく待っても現れない。不思議に思って目をこらすと、窓辺になにか黒いものが立っている。それは人間ではなかった。

「それで……自転車で逃げてきたら、途中でまた変なものが向かってきて、やばいと思ってこっちに登ったら、途中でコケて、それで……」
「この鳥居に隠れてたわけか」
 ヒロトの興奮はいくらかおさまってきたようだ。それまで早口で要領を得なかった話し方が、次第にトーンダウンしてきた。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます」
 短パンの両脇で小さく拳を握りながら、ヒロトは頭を下げた。
「ねぇ、ヒロトくん」
 それまで蚯蚓の染み込んだ路面を撫でていた瑠華が立ち上がった。
「抜け道、知らないかな?」
「え? 抜け道?」
「そう。この峠道を下っちゃうと、自衛隊とバッティングしちゃうんだよね。別の道で集落の中に入りたいなぁ、なんて」
 瑠華が首をかしげると、ミディアムボブがさらりと揺れた。

つづく


この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。

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城戸 圭一郎
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