カササギは薄明に謡う 【3,4】
全21シークエンスを11日間にわけて連載します。
<2,600文字・読むのにかかる時間:6分>
【3】
目的地は山間の小さな街だ。街と呼ぶのも躊躇われるくらいの、いわゆる集落らしい。いまでこそ市域に組み込まれているが、合併したからといって住民が増えるわけではなく、商店は小さなものがふたつあるだけの静かな土地だ。
そこに至る道路は三本しかない。川に沿って東西に走る県道と、峠を北に抜ける旧村道。それらが交わるところが集落の中心地になっている。丁字路の交差点には村役場の跡地があり、盆踊りなどに使われていると聞く。そこから旧村道に入って少し登ったところに小さな神社があるらしい。
「このまま追い越すの?」
助手席の瑠華の視線がこちらを向く。
「いや、悟られないように集落に入りたい。次の交差点で左へ折れる」
アクセルをやや開いている。背中で感じるGが心地よい。
カマボコ型をした濃緑色の幌が近くなってきた。いすゞ自動車製73式大型トラック。東日本大震災では津波にさらされた他種が使用不能になる中、唯一稼働し続けたという耐久性の高さを誇る。それゆえ災害派遣時には輸送の主役となることが多い。今回も例外ではない。
「次の交差点って、あれじゃないよね」
瑠華が前方を指差す。そこには黄信号が点滅している。
「あれだよ」
「え。左右に道ないよね?」
「道のない場所に交差点があるわけないだろ」
「じゃあなに、あれ、道なの?」
俺はガードレールの途切れた隙間を狙って、ハンドルを切った。後輪がやや滑る。急な下り坂になっていたせいで、俺たちの体重は瞬間的に軽くなった。隣で瑠華が息を飲んだのがわかった。幹線道路より1mほど低い位置に道が続いている。かろうじて舗装されているが、これは農耕用の道だ。
「なにこれ……せま」
「だから農道を走るって言ったろ」
「こんな道であいつらに勝てるの?」
「このまま進んでも意味ない。もう一度右へ曲がらないとな。並走しないと追い越せないだろ」
センターコンソールからナビゲーションを呼び出す。モーター音とともに、液晶モニターが姿を現した。もともとはカーナビとして搭載していたものだが、今はほかの役割を担ってもらっている。
「それ起動するの?」
「こんな煌々とライトを照らしてたら、バレちゃうだろ。隠密行動」
「こんなスピードで使ったことある?」
「ないよ」
「ちょっと待ってよ」
「おまえを安全に運ぶ。自衛隊よりも先に到着する。どちらもやらなければいけないのが、相棒の辛いところだよな」
プジョー206のハロゲンライトを落とし、ナイトビジョンに移行する。瞬時に肉眼からあらゆる像が消えた。液晶モニターだけが、緑色の景色を闇のなかに浮かび上がらせている。
「ここだ」
右へ急転回。さらに一段低く下がったその道は、もはや舗装されていない。膝丈くらいの雑草が生い茂り、耕運機のタイヤに踏みしめられた部分だけが、轍になって地面を露出させている。
「……ちょっと、うそでしょ」
いつの間にか、瑠華は窓上のアシストグリップを両手で握りしめている。無理もない。モニターを見ていない彼女にとって、あたり一面は単なる闇だ。
「なんにも見えないんだけど!」
「見えなくていい。両サイドは水田だ。どうせ見えたところで不安になるだけだ」
稲穂が風に揺れているのだろうか。カエルが合唱でもしているのだろうか。昼間に散歩すればさぞかし長閑な景色だろう。俺は幹線道路のほうを見遣った。
自衛隊の車列が進んでいる。前をゆく車両の尻をライトで照らしつつ、寸分違わぬ車間距離を保って。
俺はアクセルを踏み込んだ。畦道の草花を潰しながら、プジョーが加速する。隣からちょうどいいBGMが聞こえると思ったら、それは瑠華の悲鳴だった。
【4】
旧村道を選択したのは正解だった。
自衛隊の車列を抜き去った俺たちは、そのまま幹線道路を離れ、北回りに旧村道から集落へ入ることができた。東西に横切る県道のほうは、すでに簡易検問が設けられているだろう。CH-47に乗っていた先行部隊が主要道を抑えているはずだからだ。
「間に合った感じだよね」
瑠華が視線を走らせながら言う。
「ああ。検問があるとしたら峠のてっぺんだったろうからな。県道を優先して、こっちは後回しにしたんだろう。単に人員が足りないのかもしれない」
「よかった」
「油断はするな。ヤツらと鉢合わせするかもしれない」
「ヤツらって、どっちの?」
俺はちらりと瑠華の横顔を見る。涼しげだった。
「どっちもだ」
畝るように続く峠道を下っていく。ライトが杉の縦割れた幹を照らす。禁猟区を示すダイヤ型の看板がほとんど朽ちて、誰に向かって主張しているのかわからなくなっていた。汚れがこびりつき、白いとは形容し難いガードレールが、かろうじてカーブの半径を教えてくれる。
傾斜が次第にゆるやかになってきた。
「もうすぐ集落の中心地だな」
「なんにもないね」
「なんにもないルートを選んだからな」
そのカーブを曲がり終えたところだった。ほんのわずかの直線に、街灯が一本だけ立っている。その理由はすぐわかった。神社の入り口なのだ。左手の山側に細い石段があって、それを少し登ったところに石造りの鳥居が見える。
しかし、俺がブレーキを踏んだ理由は、それではなかった。
最初は道路標識かと思った。形状が似ていたのだ。だが、そんなものが道路の中央に建っているわけがない。それに縮尺がおかしい。支柱部分の太さに対して、丸い標識部分が大きすぎるのだ。異常といっていい。
気がついた時には、瑠華がドアを開けていた。
「とりあえず、行ってくる」
ドアを開けっ放しにして、瑠華は歩いて行った。
「……ああ」
俺の間抜けな返事が彼女に届いたかはわからない。瑠華の後ろ姿がヘッドライトの中へ入ると、ロングカーディガンが白く輝いて見える。その向こうで、縮尺のおかしい道路標識が揺らいでいる。ライトを浴びているというのに、まるで影のような紫紺色をしていた。
「こんばんわ〜」
瑠華の声は、ご近所の飼い犬に話しかけているかのように優しくて慎重だ。
「おひとり?」
紫紺の道路標識は答えない。
「そう。でもいい夜だね」
答えずに、ゆっくりと揺れている。
「気持ちはわかるよ」
ゆっくりと揺れている。
「怖かったんだよね」
揺れが止まる。
「でもね。もう大丈夫」
止まっている。
「還ろう」
道路標識はその支柱をゆっくりとひねった。つまり、振り返ったのだ。
「……大丈夫だからね」
見えたのは穴だ。頭部全体が穴だった。紫紺よりも濃く、重い、漆黒の穴だ。ヘッドライトでも照らせない、それは絶望的な暗さだった。
この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。