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簒奪者の守りびと 第五章 【1,2】

第五章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,300文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第五章 対敵

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【1】

 図面は頭に入れてある。
 南北の塔には階段があり、各階その左右に小部屋がある。当時の将官や聖職者たちの個室なのだろう。また、中庭には地下室が掘られており、こちらは昔の兵士たちの宿舎と思われた。エマはそのいずれかに監禁されているに違いなかった。
「ひとまず上に向かおう」
 ラドゥは慎重に歩みを進める。階段が見えてきた。
「警察を足止めしているのは機関銃だ。そいつを制圧すれば、彼らも突入できる」
 踊り場に達したとき、手下たちと遭遇した。ラドゥが脚を撃ち抜き、転がり落ちてきた男の胸に二発叩き込む。二人目は女だ。乱射をはじめたので、ラドゥはいったん身を引いた。銃声を聞きつけたのだろう、階下からも手下たちが接近してきた。そちらは最後尾のオリアが威嚇射撃をし、足止めする。しかしこのままでは挟み込まれてしまう。ラドゥは死体を引き寄せると、左腕で持ち上げて盾がわりにした。銃弾を死体が受け止める。銃撃が止んだ一瞬の隙をついてラドゥは女の腹部と右胸を貫いた。
 ミハイは、ゾフから受け取った22口径の小型拳銃を握ったまま、銃声に反応して左右に首を振ることしかできなかった。
 二層目の両小部屋にはエマはいなかった。三層目も同様だった。
「この階段を昇れば、城壁の上に出る」
 塔の最上階はシンプルな構造だった。直径6メートルほどの円形。城壁の外へ張り出した半円は、外周に沿って、顔の高さまで胸壁が伸びている。弓を射るための狭間が一定間隔に設けられているため、胸壁は櫛の歯のようになっていた。さらに、中央には腰ほどの高さの石積みが三列ならんでいる。かつては砲弾を置くために使っていたのだろう。
 その傍らに麻袋が転がっていた。なかでなにかが動いている。
「エマ!」
「よせ! ミハイ!」
 少年は駆け出す。ラドゥは止めようとしたが、ミハイのほうがわずかに俊敏だった。少年はすがるように駆け寄り、麻袋を取りのける。
「助けてくれるなんて感激よ! マイスゥイートハニー」
 なかから現れたのは坊主頭だった。親指をしゃぶる真似をしている。
「古典的なトラップに引っかかってんじゃねぇよ!」
 三列石積みの奥に隠れていたトゥスが立ち上がる。機関銃を抱えていた。その銃口がラドゥのほうを向く。
「おまえら知能が馬並みだぜ!」
 重い銃撃音とともに石が砕け、硝煙と粉塵がダンスを踊った。ラドゥとゾフはとっさに石積みの陰に飛び込み、オリアは城壁通路側に身を隠す。
 坊主頭はミハイを蹴り飛ばし「ここは戦場だ! 子どもの来る場所じゃねぇ!」と怒鳴った。内側の壁は低い。叩きつけられたミハイはバウンドして壁を越えてしまった。そこには砲弾運搬用の木籠が吊り下げられており、ミハイは幸運にもその箱に収まった。だが衝撃で滑車が動き出し、少年を地下へと運んでいった。
「ゾフ! 追いかけろ!」
 ラドゥは石積みから腕だけを出して、銃を乱射した。トゥスがひるんだ隙にゾフは階段めがけて駆け出す。走るゾフに坊主頭が銃口を向けたが、オリアの銃弾を二発食らって倒れた。
 トゥスが獣のような唸り声をあげ、自らの銃撃音でそれを掻き消した。石積みの破片が宙に舞い、それがまた空中で砕かれる。白とも灰色ともつかない粉になって、伏せるラドゥに降り注いだ。
「弾はいくらでもあるからな! 武器商人をなめるな!」
 相棒を失ったトゥスは、給弾を単独でおこなわなければならなかった。石積みに身を伏せ、新たな弾帯を取りつける。そのわずかな時間を会話で埋めようとしていた。
「同じ密売組織でも麻薬じゃ金もうけしかできねぇもんなぁ!」
「……麻薬は好きじゃないな」
 咳き込みつつ、ラドゥが応える。
「よく言うぜ。おまえらスミルノフ側だろうがよ」
「客人として世話になっているだけだ」
「そんな理屈が通るかどうかは、銃弾に聞けや!」
 轟音と粉塵がふたたびラドゥを包む。
 オリアは長い息を吐くと、銃をホルスターにしまった。上官の意図するところはわかっている。彼女の脱ぎ捨てたジャケットに、粉塵が雪のように積もっていった。

【2】

 落下したミハイが大きな怪我を負わなかったのは、老朽化した滑車がブレーキ役をつとめたことと、崩れかけた地下の石壁が斜面を形成しており、木籠が斜めに着地したことによる。そのかわり、少年は瓦礫のうえを転がることになった。身体中にすり傷ができ、前頭部の出血は左の目尻までひとすじの線を引いた。
 地下に掘り下げられたこの空間は、かつて砲弾置き場として使われていた場所だ。天井こそ低いが、相応の面積がある。ここに隠れていればあるいは、ラドゥたちが助けにくるかもしれない。
「おい。増援に行ったほうがいいんじゃないか」
 声が近づいてくる。ミハイは反射的に身を潜めた。
「上にか? よせ。俺らの仕事じゃないだろ」
「トゥスが苦戦しているんなら手柄になるかもしれねぇだろ」
「俺らはお嬢様を見張ってりゃいいんだ。わざわざ危ない橋を渡ろうとするなんて利口じゃないね」
「じゃあなんでおまえは地上に行こうとしてんだ」
「タバコだよ。こっちで吸ってもうまくない」
 声がじゅうぶん離れてから、ミハイは砲弾置き場を出た。通路は暗い。壁や天井は土をくりぬいたまま、ところどころに木製の梁が渡されているだけの簡素な構造だった。床はかろうじて石が敷いてあるが、石畳と呼べる密度ではなく、石の隙間の土は湿ってほとんど泥になっている。
 どうやらこの先は部屋が無数に分かれているようだ。わずかな明かりから少年はそれを察した。廊下の先は見通せないが、このあたりにエマがいることは疑いない。
 震える手足とは裏腹に少年の胸は高なった。彼女は近くにいる。

「さっきの話だが、もう少し詳しく教えてくれ!」
 銃撃が止んだタイミングでラドゥが大声を発した。彼を守っている石積みはもはやずいぶん低い。次の弾帯が切れるまえに、蜂の巣になるに違いなかった。
「新しいことを知りたいってのは基本的な欲求らしいな。これから死ぬっていうのに」
 トゥスのほうでも給弾中は気をそらしておきたかった。
「スミルノフ大統領は麻薬に関わっているのか?」
「関わるってのが支配するって意味なら、その通りだぜ」
「とても信じられないな」
「なら肩書きも信じるんじゃねぇよ。やつは生産した麻薬を輸出することで権力を維持してんだ」
「ロシアか?」
「わかってんじゃねぇか。ロシアから見ればあいつは安売り麻薬の卸問屋だ。だがそれももう長くねぇ」
「どういうことだ?」
「あいつはもうロシアに愛想を尽かされてんのさ。次の選挙じゃ、バトゥコが大統領になるぜ」
「誰だそれは」
「俺たちの総領だよ!」
 トゥスの給弾作業は終わった。
「悪いが、ひとつメッセンジャーを頼まれてくれねぇか。ここで学んだことを地獄で亡者どもに教えてやってくれ!」
 直後に轟いた銃撃音。しかしそれは別の銃口から発せられていた。トゥスは背中でそれを聞き、対価として三発の弾丸を受け取った。肺が破壊され、気管をさかのぼった血液が口から溢れ出す。トゥスはそれでも機関銃を操ろうとしたが、その重量を支えきれず、巻き込むようにして崩れ落ちた。
「……メッセンジャーが変更になったと、亡者に伝えてね」
 狭間の向こう側にオリアがいる。わずかな凹凸だけで体重を支え、壁の外側にぶら下がっていた。彼女は銃をホルスターに戻すと、両手の指で全身を持ち上げ、胸壁を登った。
「ご無事ですか? 班長」
 ほぼ半壊した石積みからラドゥが姿を現した。粉塵で頭から足まできれいなグラデーションを描いている。思わず振った頭から煙のように粉が飛び、自らそれを吸いこんで咽せた。
「……クライミングの難易度としてはどうだった?」
「北部山脈のマグーラ東壁よりは容易でした」
 ラドゥはM240機関銃を地上へ投げ落とし、警官隊に合図を送った。これで突入しやすくなったはずだ。
「よし。ミハイを探しに行こう」

つづく

ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!


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