カササギは薄明に謡う 【15,16】
全21シークエンスを11日間にわけて連載します。
<2,800文字・読むのにかかる時間:6分>
【15】
一瞬手を止めた自衛官がいた。弾丸を放った張本人だろう。だが、彼は少年を一瞥しただけで戦闘に戻った。
「ヒロト!」
瑠華が左手で少年を抱きしめる。
俺も一歩踏み出したが、そこで動けなくなった。
媒介者が空気を振動させたのだ。それは雄叫びそのものだった。
下腹部のあたりから紫紺の繊維が急速に伸び、纏まり、繊維球を形成した。それは一瞬ごとに膨張し、球のなかに突起物や窪みができていった。数秒後には、それは顔としか表現しようのないものになった。外縁部は破断した繊維が海藻のように揺らめいている。まるで毛髪に囲まれた老者の顔面のようだ。
顔面は動いた。その外見からは想像もつかない素早さだった。斜面を駆け上がると、口にあたる部分を大きく開いた。そこには穴が空いていた。暗い、闇よりも暗い穴だ。
飲み込まれたのはヒロトを撃った隊員だった。そのとき彼は片膝をついて銃撃姿勢をとっていたが、そのまま上半身だけを失い、腰から下が残された。いや、飲み込まれたのはもうひとりいた。本来は助かる位置にいたはずの彼の相棒は、恐怖に勝てず迂闊にも立ち上がったため、頭部の半分を持って行かれてしまった。
包囲の一角を崩した顔面は、しかしそこで停止した。
ちょうど名取一佐の正面だ。
「撃て!」
号令と同時にSDIRの全ての銃口が火を吹く。四方八方から白銀弾が撃ち込まれ、顔面が崩れていく。名取一佐もホルスターから拳銃を抜いている。彼のそれは通常弾だからまったく意味はないが、勇敢な指揮官を演じることには成功したと言えるだろう。
「上半分だ! 上に集めろ!」
名取一佐の指示を受けて銃弾は顔面の上部に集中する。これはなかなか筋のいい判断だ。ヒロトの隣にいるはずの瑠華が見当たらないのは、名取一佐のつくった道を行ったからだろう。反応がはやい。
アルタートゥム・クラレの横一線が裏側から切り裂き、顔面は失敗した達磨落としのように横に崩れた。
「撃ち方やめ!」
音が止んではじめて、騒音の大きさを自覚できた。山腹が反射する最後の銃声が消えたとき、虫の音がようやく耳に届いた。
左肩から血を流したまま、ヒロトは立ちすくんでいた。
「……いない」
俺は隣に立ち、少年の視線の先を追った。
大穴の中央から媒介者の姿が消えている。
「逃したのか?」
いつの間にか、名取一佐が横にいた。
「俺たちが? まさか」
「どうだか。足を引っ張るのが得意分野だろ」
「さっき助けてもらったくせに、どの口が言うんだ」
「助けに来たのは我々だろう。忘れるんじゃない」
お互いを罵れるくらいには静かな時間が流れているわけだ。これは一体どういうことだ。地中から這い出してきた黒い粉末が媒介者を定め、その媒介者の胎からヤツらが次々に生まれ落ちる。俺たちが知っているのはそこまでだ。その場から消えることなどなかったし、ましてや、身内を傷つけた者に復讐するかのような行動は、見られたためしがない。
「地中に潜ったんだ……」
瑠華が、しゃがみこんで地面に左手を当てている。
「感じるのか?」
「うん。黒い粉末の強いところに潜ったのかも」
「それはつまり、補給ってことか?」
「わからない」
あり得ないことではない。あの雄叫びは、これまでの媒介者には考えられない行動だ。俺の感じ取った怒りの感情がもし本物だとしたら、いままでの知見など役に立たないだろう。
突然、一帯の虫の音が、止んだ。
【16】
果たしてこれは、音なのか振動なのか、瞬時には判断がつかなかった。とにかく皮膚も骨も鼓膜も、得体の知れない震えを感知したと脳に送ってくる。全身の筋肉が勝手に緊張し、身構える。
「一佐!」
隊員が大声をあげた。
「小学校です! 校庭の中央が陥没しました!」
その報告を合図に俺たちは走り出し、県道に戻ったところでそれを見た。
瞬間、この光景を忘れる日はこないと確信した。
陥没した場所から、紫紺の繊維を縒った束が集合し、一塊を成して屹立しているのだ。その大きさは人の背丈の軽く三倍はありそうだ。まるで石造りの古い墓標か、あるいは古代の巨石文明の遺跡のように思えた。
繊維の束はまだまだ上方へ伸びていくが、一定の高さを超えると集合をやめて、各々好き勝手な方向へ成長していく。それは触手のように、畝り、踊っている。
「……うそだろ」
左肩を押さえたまま、ヒロトが呟く。
「ひょっとして……姉ちゃん? あれが?」
SDIRの隊員が音もなく移動を開始した。名取一佐がハンドサインで指示を出していたようだ。20式自動小銃のほかに、なぜか96式自動擲弾銃を携えている者が混じっている。
川沿いの草むらでは、虫が何事もなかったかのように賑やかさを取り戻している。自然とは、強い。そしてヤツらもまた自然の一部なのだ。
校庭ではSDIRが展開し、触手の生えた墓標を包囲している。
車に積んだ応急処置キットでヒロトの止血をしている間に、自衛隊の総攻撃が始まった。間断なく放たれる白銀弾が、媒介者に吸い込まれていく。着弾した箇所で、繊維が蒸発するかのように爆ぜ、鈍い音を発する。それらと銃撃音が混ざり合って山腹で反響し、集落全体が破裂音のドームに包まれているかのように思えた。俺たちも校庭に入り、媒介者を見上げる。こんな図体は見たことがない。
「巽ぃ。今回は俺たちがもらうぞ」
名取一佐の銀縁メガネが月明かりで光っている。
「こんなでかいのをどうやって持ち帰るつもりだ?」
「持ち帰るのは無理だろ。制圧するだけだ」
「あんたの任務は研究素材の確保じゃなかったか?」
「制圧したあとで、ここに研究施設を建てるしかないな。どうせこの集落は廃村だ。学校に通う者はもういない」
瑠華は左手をヒロトの背中に添えた。
苦しむように畝る媒介者が、上方の繊維の束を大きく揺らしている。
「触手が……太っている」
瑠華のつぶやきに一佐が反応し、銀縁メガネをつまんで目を凝らした。
「なんだと?」
たしかに、補充されるように地中からのぼってきた紫紺の繊維は、それぞれの触手に絡み、一体化してゆく。縄のようだったそれらは、人の腕ほどの太さになり、たちまち胴回りの太さになった。
突如、触手の一本が地面を叩いた。下から突き上げる強い衝撃がきて、バランスを崩しかけた。
「こいつはヤバい」
次の瞬間、無数の触手が一気に暴れ出した。俺たちのすぐ頭上を横殴りに通過する。名取一佐が首を縮める姿は滑稽だが、楽しんでいる余裕はない。自衛隊の銃撃もさらに激しさを増すが、本体への着弾はずいぶんと減った。触手に阻まれているのだ。
やがて、一本が唸りをあげて隊員を襲った。しなるようにして振り下ろされる触手を防ぐ手段はない。全身の骨格を粉々にされた彼は、鳥のフンのように地面に附着する屍体となった。
もうひとりの隊員が、悲鳴をあげながら銃口を上向ける。しかし、別の触手が彼を払いのけた。白銀弾を天に向かって乱射しながら、彼は校舎の外壁に激突した。
「距離を取れ! 遮蔽物を利用しろ!」
名取一佐の指示が飛び、それぞれが銃撃しつつ後退を始める。
この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。