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簒奪者の守りびと 第三章 【7,8】

第三章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,300文字・目安時間:7分>

簒奪者の守りびと
第三章 魔女

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【7】

 ひとりめの部下が呼吸困難で死んだあとも、少尉は作戦を続行した。元王太子の暗殺という大仕事に犠牲がともなうのはやむを得ない。そう考えたのだ。彼は部隊を二手に分けた。
 別働隊をボイラー室へ向かわせる。冬場に積雪のあるこの一帯では、ボイラー室を乾燥部屋として兼用するのが一般的だった。ドアの小窓からは、ベッドふたつぶんほどの空間に、雪かき用のスコップや長靴が置いてあるのが見える。特にトラップは見当たらない。別働隊はすぐにボイラー室への侵入を果たした。
 少尉が直接率いた一隊は、屋根から二階への侵入を目指した。強くなった雨が屋根と彼らを平等に叩いている。直線的な傾斜を登り、もっとも高い地点へたどり着く。腹這いになって、経路を把握するために下を覗き込んだ部下は、頭部だけ戻ってこなかった。パニックになったもうひとりが四方八方に銃を乱射する。少尉は正気を取り戻させるために彼を殴ろうとしたが、その必要はなかった。雨音に紛れてセミオートの銃声が鳴り、顔面に三つの穴を穿たれた部下は転落して闇に消えていった。
 ここにいてはまずい。本能の発する警報を受けとった少尉は傾斜を駆け下りた。暗視装置をつけ直す時間すら惜しんで走り、バランスを崩して地面に転げ落ちる。左肩を強く打ったがすぐに立ち上がり、別働隊と合流すべくボイラー室へ向かった。ドアの小窓から様子を伺うと、彼らはまだそこにいた。頭部と臀部が触れ合わんばかりに背中を外らせ、血走った目を見開き、折り重なっている。別働隊は全滅していた。
 少尉は息を呑み、全身が泡立つのを感じた。もはや任務などどうでも良い。生き残るために鉄柵へ向かって走った。落ち葉のせいで浮ついている足元を、歩数でカバーする。ときおり手をついて身体を支えながら、なんとか鉄柵にたどり着いた。幸い、侵入時の足場がまだ残っている。彼はそれに取りついた。あともう少しだ。逃げられる。そう彼の脳は所有者にそれを見せている。だが肉体はまだボイラー室のドアの前にあった。仰向けに倒れたまま、手足だけがしきりに動いている。やがて手足は動きを止め、言葉にならない呟きも止まった。彼が幻覚のなかで鉄柵を乗り越えられたかは、わからない。

「母のことを思い出していた」
 ミハイが座ろうとしないので、オリアも立っているしかなかった。ベッドの横にある小さな椅子の背もたれに、彼は手をかけている。
「まだ元気だったころ、母は珍しい鳥を飼っていた」
「鳥ですか」
「縁者の誰だかに勧められたとかで、温室のとなりに専用の飼育小屋を建ててな。アジア原産のキンケイという種で、全身が美しい金色をしているのだ。尾羽は私のスキー板より長い」
「それはすごい……さぞ綺麗でしょう」
「私はその尾羽が欲しくなってな。抜け落ちるのを待っていたのだが、なかなか期待通りにはならないのだ。そのうち我慢ならなくなって、ハサミで切った」
 オリアは目を丸くした。
「ジャック・スパロウのような三角帽子を持ってたのだが、それに付けたら格好良いと思ったのだ。中世の騎士みたいになれる。だが切ってみて驚いた。キンケイの尾羽は地味なのだ。金色なのはボディだけで、尾羽は茶色の縞模様だった。切るまでは気づかなかった」
「それで、どうなされたのですか」
「興奮が醒めたあとは急に怖くなってな。あたかも自然に抜けたように偽装して小屋の隅に隠しておいた。もちろんすぐバレた」
「叱られましたか」
「めちゃくちゃ叱られた。直接母に叱られたなかでは一番だ」
 ジョンブリアンの下で、少年は微笑んだ。
「母は、公務をまっとうできなくなったことを、ずいぶんと嘆いていた。父はそれについてなにも不満はなかったというのに。責任感の強い人……だった」
「……病院を建てられましたよね」
 ミハイは小さく頷く。
「入院先の英国から戻ってきたときにな。それが母の最後の仕事だった。あのときは母の帰国を無邪気に喜んだものだったが、最期のときを家族と過ごせるようにとの配慮だったとは……」
 その頃にはミハイの父親であるパウル一世も、次第に重くなる病から逃れることができなくなっていた。王妃の死によって、その衰えが急速に進んだと言われている。自然、王室はヴィクトル・ネデルグを恃むようになっていった。
「私は幼く、なにもわかっていなかった」
 少年はうなだれた。
「……いまでも、そうかもしれない」

【8】

 狭い空間に詰め込まれた一同は、揺れに抗うことをすでに諦めていた。誰かが耐えるより、ひとかたまりになって揺れてしまったほうが楽だと発見したからだ。
「線路上を走ったときよりはマシだな」
「ですが、外の様子がわからないと揺れのタイミングが……」
 右の車輪がなにかを踏んだのだろう。ゾフは舌を噛みそうになった。
 夜明けとともに、魔女に言われるがままにトラックに乗り、一同は東へ向かった。ドニエ川の河畔が見渡せる草むらで、彼らは車両を乗り換えた。それが荷馬車だった。
「どれくらい進みましたかね」
「たいして進んでないでしょ。この速度なんだから」
 もともと人間を乗せるようにはできていない。箱型の木枠は、膝を抱えてしゃがんでいるラドゥの首の高さまでしかない。そのうえに飼葉を大量に積んで天井がわりにし、外の視線から彼らを隠している。ラドゥとゾフは身体をできる限り折りたたんで小さくしたが、それでも頭髪と飼葉が一体化していた。
「ミハイ。大丈夫ですか?」
「気を使わずとも良い」
 大きく揺れ、飼葉のかけらがジョンブリアンに降り注ぐ。
「むしろ、ちょっと楽しくなってきたからな」
「ご歓談はそこまでだ」
 御者を演じている魔女が、彼らに告げた。
「石橋に差しかかるからね。しっかり飼葉になりきりな」
 木枠の内側で、彼らは近すぎる互いの顔を見合わせた。ドニエ川を越えようとしている。それは単なる渡河を超えた特別な意味を持っていた。

 ドニエ川の対岸には、王国の領土でありながら、王の統治が及ばない地域が広がっている。発端はソビエト連邦時代、このドニエ川東岸に軍事基地が置かれたことによる。兵士たちの家族のために官舎が建てられ、その生活を支えるために多くの者が本国から移り住んだ。ロシア系住民の多いこの地域は、91年のドニエスティア王国の独立に際して、ロシアへ併合されることを望んだ。王国にとっても工業化の進んだこの地域を手放すわけにはいかず、大幅な自治権を認めることで懐柔を図ってきた。しかし、ミハイの父、パウル一世の治世となってからそのバランスは大きく崩れた。自治権を縮小し、完全併合を目指して軍事的手段を容認したのである。
 ささいなきっかけから両軍は衝突した。それが十五年前の戦争だった。一方が独立戦争と名付け、もう一方が阻止戦争と呼ぶその戦いは、わずか二ヶ月で決着した。王国の敗北であった。
 ドニエ川東岸の最大都市であるティラスポリスが、そのまま独立国家の名称となった。投票によって大統領が選ばれ、独自通貨を発行。政治的にも軍事的にもロシアのとのつながりを強く持ち、王国の干渉を排している。しかし、国際社会が承認していないことから、正式な独立国としては認められておらず、あくまで王国の一地域という地位を脱していなかった。
 両者は複雑な関係を維持したまま、今日に至っている。
「ずいぶん積んだね。ばあさん」
 石橋の中央にある検問所で、兵士が言った。
「姪っ子夫婦のとこにいくのさ。ドゥバウの丘のほう。前に行ったときにゃ、手土産が少ないって嫌味を言われたもんでね」
「飼葉なんざどこにでもあるだろう。手土産になるかね」
「わからないかい?」
 魔女は顔を寄せた。
「仕返しさ」
 兵士は大口を開けて笑った。
 荷馬車はふたたび、歴史ある石造りの橋を進む。
 ミハイは生まれて初めて、王国の統治がおよばない地域に足を踏み入れた。


 第三章 完

 第四章へつづく
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