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出会いに投資を惜しまない

 客室乗務員はジャケット脱ぎ捨てた。俺の拳が掠めたその左頬は、桜色から朱に変わりつつある。チークを塗ってやったと思って差し支えない。
「やるじゃない。さすがね、安久津CEO」
 女は逆手に握っていたカランビットナイフをくるりと持ち替え、太腿に添うようにスカートを切り裂いた。タイトスカートに深いスリットが入る。
「これで動きやすくなった」
「……日本の新幹線がここまで上等な客室サービスをするとは」
「そうね。あなたの棺桶にしては高価すぎる」
「君がエスコートしてくれるなら、あの世のどこだって天国だろう」
 女は構えをとった。
「片道切符は一枚だけ」
 ヒールとは思えない瞬発力で距離を詰めてくる。車両内の通路は狭く、左右には躱せない。半歩下がったところで、彼女の右手が喉を狙ってくる。掬い上げるように繰り出されたナイフの先端が、身を逸らした俺の顎の肉を削いだ。
 手首を返しての第二撃は俺のこめかみを狙っていた。これ以上後退することは俺の矜持が許さない。身を屈めて空を切らせる。これで女の両手は開き、無防備な上半身を晒しているはずだ。美しい顔面に強烈な右ストレートを叩き込んでやれば終わる。はずだった。
 拳を繰り出した時点で、湾曲したナイフの先端が俺の眉間を捉えていた。踏み込めばやられる。間一髪でそいつを躱したが、女のほうも同じだった。俺の拳は女の耳をかすめ、空を切った。風圧で髪留めが吹き飛び、制服に合わせてアップにしていた髪が解けた。やや青みがかかった美しい黒髪が広がる。だが見惚れている余裕はない。女は腕を引き、鉤爪のようなナイフで俺の後背頸椎を刺そうとする。俺はその腕を弾き飛ばし、右肘を女の側頭部に叩きつけた。
 女は呻き声をあげて後ずさる。距離が開いて一息つけると思った矢先、自分の左腕に違和感を感じた。見れば左上腕のシャツが裂けている。無論、シャツだけで済むはずもない。
「女、名は?」
「レイ。葵レイ。止血する時間をあげる」
「そんな時間は不要だ」
 俺は両腕に力を込める。上腕二頭筋が躍動し、隆起する。そうこの感覚だ。鍛え上げた筋肉は決して裏切らない。
「さすがね。筋肉で出血を止めるなんて」
「筋肉に不可能なことはない。だが苦手なことはある」
「美人を殴ることだとでも言いそう」
「……訂正しよう。不可能はない」
 俺はシャツの裂けた部分を引きちぎり、後背の座席に放った。血液を十分に含んだそれは思いのほか遠くへ飛んだようだ。
「無理しないで道具を使ったら?」
「何度も同じことを言わせるな。俺の武器はただひとつ」
 今度はこちらから仕掛ける番だ。姿勢を低くして素早く間合いを詰める。彼女の一撃を誘い、その腕を掴まえるためだ。そして、その魂胆を葵レイは間違いなく見抜いている。
 突進しながら繰り出した拳は空振りに終わった。ここまでは予想通り。レイはシートの背もたれに手をつき、ジャンプで俺をいなした。左脚を叩きつけるようにして突進を中止し、そのまま右の裏拳を叩き込もうとしたが手応えがない。そのまま遠心力で正面を変えると、レイは体操種目の鞍馬のように腕だけで全体重を支えていた。ナイフを持ったまま自身を傷つけていないのは大したものだ。ぐるりと回転を終えた彼女の両脚が、揃って俺に牙を向く。ガードした右前腕に二本のヒールが突き刺さった。
「これで両腕を負傷。どう戦うの」
「負傷と戦闘不能の区別くらいつけておけ」
「どちらもあなたのものだから一緒」
「両足を固定されているほうが戦闘不能に近いだろう」
 レイの表情が険しくなる。
「動かせない」
 筋肉が捕らえている。
「学びを怠ると窮地を招くものだ」
 俺は空いている左腕で両脚を抱え込み、一気に捻り込んだ。レイはベイブレードのように回転し、五列後ろのシートに吹き飛んで行った。
 なかなか強気で良かったがこれで終わりだろう。
 そう思った矢先のことだった。鋭い警報音が車両全体に鳴り響いた。せっつくようなハイペースで繰り返されるそれは、人の忍耐力を効率よく奪うように計算されている。
『振動を検知しました。振動を検知しました』
 合成音声が知ったように口をきく。
『暴力行為の発生を確認。これより鎮圧します』
 新幹線の天井がペイペイドームのように開き、紺色の筒状の物体が降りてきた。よく見ればその紺色はピーコートで、縦に長く伸ばしたような造りをしている。その上にはキノコのように膨らんだキャプテンハット状のものがある。人間を模していると言えなくもないが、顔にあたる部分は暗い闇で、二つのレーザーサイトが眼球のように黄色く光っていた。
「何者だ。そもそも生物か?」
『これより鎮圧します。この汽車の車掌だ。これより鎮圧します。生物ではない。これより鎮圧します』
「鎮圧という言葉は俺に対して使っているのだな」
『これより鎮圧します』
 初手は車掌からだった。胸から射出されたものは楔状の形だ。おそらくボウガンだろう。俺は正面で受け止める愚を犯さず、手の甲を軽く当てて進路を逸らした。第二射、第三射も同様にいなす。第四射が発射されるタイミングが一瞬遅かった。これは触れてはいけないはずだ。身を屈めて躱す。わずかな成分が空気中に匂いとして残った。やはり薬物だ。致死性の。
 射出が止まった。その隙をついて俺は一気に間合いを詰める。だがこれは誘い込まれていたようで、接近するや否や円盤が縦に撃ち出された。草刈り機の先端についているような形状だがサイズが桁違いだ。避けるスペースはもうない。こいつは狭い通路状での戦いに慣れている。だとしたら、どのように躱しても読まれているに違いなかった。
「これでどうだ!」
 俺は両の拳を叩きつけ、円盤を挟み込んだ。皮膚が裂け肉が飛び散る。骨が触れると円盤からは煙があがり、火花が散った。しかし車掌のやつに心はない。やつはさらに円盤を射出しようとしていた。流石の俺も二枚目を止める力はない。奥歯が割れる音がした。
「いいかげんに認めたら」
 車掌の背後からレイの声。
「私が必要だって」
 彼女のナイフが、車掌の首元を横切った。
 車掌のレーザーサイトが乱れ、点滅を始める。ハットが上下左右に揺れ出し、全体が振動を始めた。
『鎮圧。鎮圧。鎮圧』
 車掌の叫びは洞窟の反響のように広がる。
「ああ、認めよう」
 俺は回転する円盤を両拳で挟んだまま、レイの目を見つめた
「君が必要だ」
「でしょ」
 レイはその長い足をゆっくりと身体に引き寄せ、一気に車掌を蹴り出した。
 吹き飛んだ車掌は俺の円盤に叩きつけられ、いまだ高速回転する刃がその物体を削り、潜っていく。
『鎮圧。鎮圧。ちん……あつ。ち……んあつ。ちんちん……あつあつ』
 断末魔ははっきりと聞こえた。
『ちんちんあつあつ!』
 車掌は爆発してロケットのように飛び、開いたままの天井から車外へ放出され、そこで四散した。
 爆風に吹き飛ばされた俺は、通路に倒れ込んだ。煙にやられながら目を開くと、すぐ横にレイが倒れていて、彼女も同時に目を開けたところだった。
「で、どう?」
「どうって」
「はぐらかさないで、合否よ」
「……採用だ。ぜひ我が社に来て欲しい」
「そう。よかった。条件について話しあう余地は」
「もちろんだ。俺はCEOなんだから」
「OK。それにしてもこんな面接は初めて」
「始まりにすぎないさ」

おわり 

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城戸 圭一郎
電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)