子供たちは知らない方がいいこと #パルプアドベントカレンダー2019
「それで……その。ご用件は?」
応接室のソファは黒い革張りだ。広い三人掛けのそれが二台、ココア色のテーブルを挟んで対になっている。一方に、ダブルスーツの男性が恐縮した様子で腰掛け、もう一方には、パーカーの灰色のフードを深くかぶった男が座っている。
「いきなり用件というのも、急ぎすぎでしょ?」
フードのなかで男が眉毛を上げる。
「これは失礼しました」
ダブルスーツの男性は、傍らに立つ七三分けの男を振り返った。
「専務、秘書課に預けてある、あれをお出しして」
「あれでございますか。しかし社長、あれは……」
「かまわないから。この方に失礼のないように。それが大事だ」
「承知しました」
数分後には、テーブルの上にパリの高級ショコラティエ、ラ・コリーヌの菓子が並べられた。そのうちのひとつを無造作につまんだ男は、上半身を背もたれに投げ出すように座り直し、その口に放り込んだ。
「いいね。あ……うん。美味いじゃん」
「パリにしか店舗がないものですから、国内では手に入らない逸品なんです」
「能書きはいいよ。そんなのなくても美味いから」
「これは失礼いたしました」
社長は額の汗を拭う。
「それで……その」
「……1億」
フードの中で、男の口が動く。チョコレートはすでに溶けたようだ。
「聞こえなかった?」
「あ……いえ、聞こえております」
「ホッとしたでしょ?」
「……なんと申しますか」
「もちょっと上げようか?」
「あ、いえ。その金額でじゅうぶんでございます」
「じゅうぶん?」
「あ、はい」
「おかしくない? じゅうぶんかどうかは、こっちが決めることでしょ。1億でいいよって言ってあげてるんだから、ありがとうございますって頭を下げるのが普通でしょ」
フードの男は、ソファから身を乗り出す。社長は思わず背筋を伸ばしたが、男は単に、ふたつめのチョコレートに手を伸ばしただけだった。
「おっしゃる通りで。大変失礼いたしました」
「月末までに振り込んでね。12月になったら忙しくなるからさ」
「承知しております。今週中にはおそらく」
「そう。いいね、その姿勢。ポイント高いよ」
男が立ち上がると、社長も腰にバネが付いているかのように起立した。パーカーの裾とフードを整えなおした男は、踏み出そうとした足をいったん止める。
「あ、これ、いくつか持って帰っていい?」
「どうぞどうぞ。お好きなだけ。お包みします」
「別にいいよ」
チョコレートを適当につまむと、そのままパーカーのポケットに押し込んだ。
「見送りは迷惑だからいらないよ。じゃ、また来年」
パーカーの男は応接室の扉を無造作に開け、そのまま出て行った。社長と専務はその後ろ姿に深々と頭を下げる。
テーブルの上に散らかったチョコレート菓子を眺め、専務が呟く。
「社長、あれが、あれですか」
社長は疲れ切った表情で、頷いた。
「ああ、あれが、あれだ」
「まるで、チンピラのやりくち……」
「しっ! 聞かれたらまずい。来年からもっと金額が釣り上がるぞ」
社長は、倒れこむようにしてソファに腰を沈める。専務は、遠慮がちにソファのはしに腰掛け、膝のあいだに頭を突っ込むようにして脱力した。
11月も中旬を過ぎると、世界中からサンタクロースへ宛てた手紙が届く。裕福な家庭はサンタに代わって家族がプレゼントを用意する、それがサンタ・ファミリーと各家庭で結ばれている協定だ。しかし、世界中に溢れる貧しい家庭には、サンタ・ファミリーが無償でプレゼントを届けて回る。そのためには莫大な資金が必要になる。
サンタ・ファミリーの構成員の仕事は、資金の調達から始まる。各企業を廻り、寄付を募るのだ。この際にどのような手段を用いても良いことになっているが、子供を巻き込むことだけは禁止されているので、誘拐という手段はあまり一般的ではない。
「もしもし」
男はすでにフードをかぶっていなかった。横断歩道を行き交う人々をうまく躱しながら、足早に歩いていく。
「ああ、親父。順調っすよ。だって秘書課に中途採用した女って、愛人にする前提で雇ってるんだもん。そりゃ1億くらい出しますよ。じゃ、次行きますんで」
男はなんの躊躇いもなく、総ガラス張りのエントランスに入っていった。ふたたびフードをかぶりなおし、受付の女性に告げる。
「社長に会わせて欲しいんだけど。”トナカイ”が来たって伝えてくれたら、悪いようにはされないと思うからさ」
男はチョコレートを口に放り込んだ。
Happy Holidays!!
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