簒奪者の守りびと 第四章 【3,4】
第四章は8シークエンス構成です。4日連続更新。
<3,400文字・目安時間:7分>
簒奪者の守りびと
第四章 ティラスポリス
【3】
ミハイの外出に、案内役を称する監視者がいなかったのは意外だった。
市内を観て回りたいと言った少年の表情の大半が好奇心によって構成されていたから、いささかの胸騒ぎを覚えたものの、ラドゥはそれを無視することにした。ここは予想のつかない治外。ホテル内にいようが外出しようが、リスクは変わらないだろう。
ふたりは大統領府を出、西へ向かって街道を進んだ。サファイアブルーのクーポルが印象的な教会も、建物は閑散としていた。その隣の町工場は柵の錆び方からもう稼働していないのがわかる。
「空が広いですね。高層建築がまるでない」
「そうだな。道路も広すぎる」
ミハイの言うとおり、彼らが歩いている道路には自動車用の車線が三本が備わっている。そして同じ幅の中央分離帯を挟んで反対車線が三本。そこを走行する車両は、数分に一台あるかどうかだ。
「計画性を感じない。経済力がなくて空間が余っているとしか思えないな」
「経済力がないというのは同意しますよ。しかし、もともとは都市設計でしょう。ここは軍事の中心地でもありましたから」
「戦車が走れるようにか」
「あと航空機も。電線や看板が横切っていないのは、臨時の滑走路に転用することを想定してでしょう」
ラドゥは周囲を見回した。追跡されている様子はない。
「これくらい見せても構わないということでしょうね」
「多少なりとも観光客を受け入れているようだしな」
ミハイは立ち止まり、脇道の先に視線をやった。街路樹として植えられたはずの木々は、もはや自然に還ろうとしている。枝葉を大きく広げ、そのしなやかさを試すように風に揺れていた。
「そういえば王宮では、バラン儀仗長から入るなと言われていた場所ほど楽しかったものだ。スミルノフの嫌がるところを見に行こう」
少年に引っ張られるようにして脇道に入る。中心部からさほど離れていないにもかかわらず、商店の類は急に鳴りを潜めた。伸びすぎた街路樹のせいで日光が遮られ、薄暗い。地元民だけしか使わないであろう小さな売店が点々と建っている。
凹凸の多い路面に足をとられながら歩いていると、正面から一台の車両がやってきた。明らかに不調を訴えるエンジンを無視して走行している。セダンの後ろを箱型にしたような、白いボルボ850だ。
「年代物だな」
その車両の進路を塞ぐように男が飛び出してきた。ボルボは慌てて停車する。その途端、陰からさらに三人が現れた。
くすんだ色のブルゾンを着た男が、運転席の窓を叩く。ドライバーはすぐには応じない。アフロヘアーの女から拳銃を受け取ると、男はグリップ部分で殴るようにしてガラスを粉砕した。赤毛の男が助手席側に回り、坊主頭の男はボンネットに腰掛けてにやついている。
「なんの用だ!」
ボルボの運転手は両手で怒りを表現した。
「用があるのは積荷のほうだ」
「よせよ。ボスに届けなきゃならん」
「そのボスが代金を払ってねぇからだろ。あんたのことが嫌いでやってるわけじゃねぇ。だが、FCナツィオナーラだってゾランを放出したろ。結果を出さなきゃ未来がねぇのは一緒だ。回収させてもらうぜ」
運転手はため息をついた。
「やめとけ。組織のなかじゃトゥスなんて呼ばれていい気になってるらしいが、お前は劣等生ヴィタリエの息子じゃねぇか」
「……なんだとてめぇ」
男は唾液を足下に吐き捨て、慄える手でアッシュグレーの長髪をかき上げた。手下たちが顔を見合わせる。
「親父の名前を簡単に出すんじゃねぇよ」
「あいつのことはよく知ってる。昔話ならここで聞かせてやるぜ」
運転手が懐に手を入れ、互いが「死にたいのか」「やってみろ」と拳銃を突きつけ合う。手下たちは慌てて銃を抜き、運転手に照準を合わせた。
離れた場所からそれを眺めていたミハイは、隣に立つラドゥを見上げた。
「来た甲斐があったな」
ラドゥはため息をついた。ミハイが笑っていたからだ。
「介入するぞ」
【4】
突然の闖入者に驚いたのは男たちだった。まず赤毛の男がミハイたちの前に立ち塞がった。ボンネットに腰掛けていた坊主頭が面倒臭そうに立ち上がり、これ見よがしにバンパーを蹴って威嚇してくる。
「消えろ。迷子は役所にでも行け」
赤毛の男は、頭を左右に振って首関節を鳴らした。
「……ミハイ。我々は客人として滞在しています。派手な行動はやめましょう」
「客人だからこそ好きに過ごすのさ」
頭を搔くしかなかった。
「ラドゥ。お前の任務は私を守ることだったな」
「休暇中と聞いておりますが」
「好きにしろ」
ミハイは言い終わるより先に赤毛男の股間を蹴った。男は呻き声をあげてしゃがみこむ。赤毛のつむじがよく見えた。坊主頭の腕が、ミハイを捕らえようとして伸びてくる。ラドゥはそれを蹴り上げた。反動で無防備な上半身を晒した男は、踏み込みつつ放たれた拳を防ぐ手立てを持っていなかった。折れた歯を吹き飛ばしながら、男はボンネットの上に横たわる。赤毛男が唸り声をあげ、渾身の力でラドゥに体当たりを試みた。腰へのタックルを受け止めたラドゥは両手を組み、ダブルスレッジハンマーで男の背骨を殴る。体が反ったところへ右膝を叩き込む。肋骨の折れた音がして、赤毛男はひび割れたアスファルトの上に転がった。
「それ以上はやめとけ!」
トゥスと呼ばれた男が、髪色と同じアッシュグレーの瞳で睨んでいる。彼は両手に拳銃を持っていた。一丁がラドゥを狙い。もう一丁がミハイを狙っている。そしてアフロヘアーの女は、運転手の側頭部に銃口を突きつけていた。運転手は銃を奪われたようだ。
「あんたが強いのはわかった。だが、ここから先の判断は間違えるなよ。三丁の銃を同時に止めるは無理だ。三人のうちの誰かが死ぬぜ」
ラドゥは両手をあげるしかなかった。乱れた髪を直したかったが、それは諦めた。
「ひとの手下を転がしておいて、なにか言うことはないのか」
「……おまえのそのブルゾンだが、全然似合ってないぞ」
応じたのはミハイだった。
「……は?」
「似合ってないぞ。不格好だ」
「これは俺の親父が着てたやつだぞ」
「父親は似合ったのかもしれないが、おまえには似合わない」
トゥスの両腕の拳銃が震え出す。
「てめぇ! 自分でなに言ってるかわかってんのか!」
「そんなの当たり前だろう。おまえこそなに言ってる」
絶句したあと、トゥスは言葉にならない怒鳴り声をあげた。
坊主頭と赤毛がのそのそと立ち上がる。それぞれ口元から血を流しながら銃を構えた。これでミハイらを取り囲む拳銃は五丁になった。ラドゥは天を仰ぐ。彼の懐にも銃はあるが、全員を相手にするには分が悪すぎた。
一陣の風が吹きぬけ、街路樹の枝葉を賑わせる。
突如、ボルボが鈍い音を立てた。巨大な生物がルーフに飛び乗ったのだ。木漏れ日をさえぎり、まるで車体を組み敷くように。艶のある濡羽色の全身。意思を持つように揺れる長い尾。一筋の白斑のある鼻梁。逆光にたたずむその威容は、サラブレッド種の黒馬だった。
馬の背で、少女のスキニーデニムが力強く馬身を挟んでいる。ボンネットをへこませつつ黒馬が地上に着地すると、ホワイトチュニックの背で、少女の束ねた髪がバウンドした。
呻き声をあげるトゥス。その手から二丁の拳銃が同時に落下した。少女の右手に握られた木剣が、彼を二度叩いたのだ。手下が馬上に銃を向けようとするが、トゥスは首を振ってそれを制した。
「ちょっとやりすぎだぜ……エマ嬢。本気にしたのかよ」
「別に折れてないでしょ。じゃあ狙い通り」
少女は馬上で木剣を振るう。空気を切る音は思いのほか低かった。
「悪い冗談だ。そいつは歯を、そいつはアバラを折られた。俺たちはやり返す権利があると思うぜ」
「じゃあなおさら銃なんていらないじゃん。生身で挑めば?」
視線が己に集まっているのに気づき、ラドゥは思わず大胸筋を膨らませた。
「今日はやめとくぜ。ばあちゃんを散歩に連れ出す日だったのを忘れるとこだった」
トゥスたちはゆっくりと下がる。アフロヘアーの女が落ちた拳銃を拾った。
「そ。おばあさまによろしく」
「そちらこそ、伯父上によろしくな。エマ・スミルノワ嬢」
少女は木剣をしまった。
黒馬の尾と、ココアブラウンのポニーテールが風に揺れている。いま、ミハイの瞳にはそれ以外のものはなにも映っていなかった。
ヘッダー画像は安良さんの作品です!Special Thanks!!