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カササギは薄明に謡う 【21】

全21シークエンスを11日間にわけて連載しました。
<2,600文字・読むのにかかる時間:5分>

前回

【21】

 プジョー206のハンドルを握り、俺は不本意なほどの安全運転で幹線道路を走らせている。SDIRの流れ弾がフロントガラスを傷つけていたのだ。
「ちょっと。このペースじゃいつ帰れんのよ」
 助手席の瑠華がダッシュボードに足を乗せて毒づいている。
「仕方ないだろ。風圧でヒビが広がったら困る。割れでもしたら運転できなくなるだろうが」
「ボロいし、遅い」
「うるさい。遅くてもそのうち着く」
「そのうちじゃ困るんだって。もう試験当日なの」
「知るか。留年しろ」
「うわー。最低」
「だから恵子さんがなんとかしてくれるって言ってるだろ。理事長だろうが」
「なんかそれって、ズルいからイヤなんだって」
 道路は北に向かってまっすぐ伸びている。早朝のこの時間は、交通量が少ないから助かる。渋滞の起点になるのはごめんだ。
「私は実力で勝負したいの」
 不貞腐れて腕組みをする瑠華。
「だいたい、良い成績をとったって進路に影響するわけじゃないだろ」
「なんでよ」
「家業があるだろうがよ」
「だからってズルして良いって理屈にはならないでしょうよ。ねぇ、ヒロトくん」
 少年は乗車してからずっと黙ったままだった。無理もない、たった一晩で身寄りを失い、住む土地を失い、そして人ではないヤツらをたくさん見てしまったのだ。
「俺さ」
 その声は、思いのほか覇気がこもっていた。
「ん?」
「俺。決めた」
「なにを?」
「弟子入りする!」
「はぁ?」「なに?」
 俺たちは同時に素っ頓狂な声を発した。
「誰に?」
「誰って。ふたりに」
「ふたりに? なんで?」
「なんでって……」
 少年はバックミラーの中で、ちょっとだけ考え込むような仕草を見せた。前方に見える信号が、ちょうど良いタイミングで青に変わる。
「格好いい……から?」
 俺と瑠華は顔を見合わせた。
「ちょっと待てヒロト。お前の人生はまだまだ長い。昨日あんなことがあって動転しているから今はそう思うだけで、普通の人生を生きたいはずなんだ。身寄りがなくなったといっても、なにかあるだろ。親戚とか、知り合いとか。名取一佐に頼んだら、うまいこと取り繕って、暮らせるように手配してくれるから、そうしろ」
「親戚と暮らすなんてイヤだよ。それに、これから貞観期みたいに、全国あちこちで同じことが起きるんでしょ。どこに住んだって同じだよ。それに」
 少年は深呼吸した。
「もう戦えないのはイヤだ。なにもできないって辛いんだ。それはもうイヤだ……」
「いいと思うよ。ヒロトくん」
「おい瑠華、ちょっと待て。適当なこと言うな」
「巽ちゃんだって、お母さんの元に来たとき中二だったんでしょ。似たようなもんじゃない」
「ぐっ」
 確かにその通りだ。恵子さんに弟子入りを志願したのが中二のときだ。俺もそのとき、身近な人たちを大勢失っていた。そして恵子さんは相棒を失っていた。
「お母さんに連絡しとかなきゃ。将来の相棒ができたって」
 瑠華はからかうように俺に微笑みかける。ミディアムボブがさらりと揺れた。
「なんだよ、将来って」
「巽ちゃんが死んだあと」
「おまえな」
「まぁ、私らのほうが人間より若干寿命ながいわけだし。若い弟子はとっておくべきだよ。うん」

 東の窓から、低い光線が差し込んでくる。景色が少しだけ金色がかって見えた。瑠華は呑気にスマホを触りはじめた。
「瑠華さん。そのカッコいい人だれ?」
 ヒロトがシートに抱きつくようにして、彼女の手元を見ている。
「やっぱり? カッコいいでしょ。もっといい写真あるよ」
 瑠華はスマホを持ち上げて少年に見せた。ちょっと嫌な予感がする。
「彼氏?」
「うん。彼氏」
 俺は右足を踏んでしまった。急制動がかかり、それぞれのシートベルトが体重を受け止める。後続車がいなかったのはラッキーだった。フロントガラスのヒビが、少しだけ広がったような気がしなくもない。
「ちょっと! 危ないなぁ」
「おおおおおまえ」
「なに?」
「彼氏とかいるのか!」
「いいでしょ、別に」
「おおおおまえ。だって、おまえ」
 ヒロトは呆れた目で俺を見ている。
「彼氏いるくらい別に普通じゃん。俺の姉ちゃんだって中学生の頃から家に彼氏連れてきてたし」
「そういう問題じゃないんだ、ヒロト。そういう問題じゃないんだ」
 どう説明していいかわからないが、とにかく微笑ましいとか、応援したいとか、そういう次元の話ではないのだ。
 問題はその特殊な繁殖形態にある。異性と交配することで次世代を産むというところまでは、人間と変わらない。だがこの家系は女児しか産まれないため、常に交配相手を人間の男から選ぶということになるわけだ。そして、繁殖のための交配に成功したとき、本能に支配され、本来の姿に戻る。要するに、受精した直後に相手の男を捕食するのだ。そして100%の確率で女児が産まれてくる。生涯に出産は一度だけだ。
「恋愛のこと追求してくるとか、キモいからやめて」
「いやいやいや。恋愛というか」
 背後から軽トラックが迫っている。運転手が道路に痰を吐くのが見えた。俺はアクセルを踏んだが、またも少し踏みすぎた。
「軽く恋愛するくらいいいじゃん。本当の相手選びは慎重にしなきゃいけないんだし」
 瑠華はアームレストに肘を乗せて、頬杖をついた。こちらからは黒髪だけが見える。
「それにもう転校だから、どうせお別れでしょ」
「瑠華さん、転校するの?」
「この土地の災害は終わったから、次の予測地に引っ越すんだよ。そうやって日本中を転々としているの、私たちは」
 恵子さんの学校法人は全国の主要都市に展開しているから、そこが受け入れ先になる。令和が貞観期の再来になると見越して、娘のために事業展開したのだから、その慧眼とビジネスセンスには恐れ入る。
「ヒロトもこれからそういう生活だよ」
「いいよ。楽しいかもしれない。次はどこなの?」
 発生予測地について、実は恵子さんから連絡が来ていた。それを見た瞬間、あまりに厄介さに頭を掻きむしってしまった。これまで山村やら温泉地やらが多かったので油断していたのだ。だが、確かにそうだろう。いつかこういう日が来る。
「巽ちゃん。次はどこだって?」
「京都だ。二年以内。発生誤差は半径20キロ」
「やった! 京都いいじゃん!」
「え? 俺たち京都に住むの? やったぁ!」
「おまえらなぁ」

 太陽がずいぶん力強くなった。
 もうすっかり目覚めた街の幹線道路を、俺たちは北上する。

 ひとまずは家に帰ろう。これからまた忙しくなるのだから。



この作品は、第2回逆噴射小説大賞にエントリーした「夜明けにカササギが鳴いたら」を改題し、中編に仕上げたものです。


下読みを引き受けてくださったやすたにありささんに心から感謝申し上げます。


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城戸 圭一郎
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