1940's
1940'sのファッションと歴史について、個人的に気になる部分を以下にメモ。
■第二次世界大戦
1939年〜1945年
第二次世界大戦中、戦時生産局が設立され、全ての国内生産物を同局が管理。
洋服の生地の使用量などが決められ、ズートスーツ禁止、スペアパンツ禁止、パンツの折り返し禁止などが決められていた。
■40's STYLE
1940年代初期のアメリカを中心に、アフリカン・アメリカン系ミュージシャンや、マフィアなどの服装としてよく見られたズート・スーツ。上着の着丈はたっぷりと長く、スラックスは裾口に向かって、強くテーパードしたシルエット。
ズートスーツそのものが、国の戦争運動への反抗の象徴となっていました。ズートスーツの着用は、愛国心のない行動ととられる可能性があった。
1943年6月のズートスーツ暴動 —何千もの白人兵士や一般市民が、メキシコ系や他の有色人種ズートスーターを暴力的に攻撃した。この暴動は、当時の状況を色濃く反映している。
Malcom X
キング牧師と並ぶ有名な解放指導者マルコムXも、若い頃はズート・スーツを着用していた。
レイバンのクラブマスターをつけ、ブルーのズートスーツを着ていたそう。
■DENIM
そんな時代の中、デニムにも影響が。
リーバイスといえば、バックポケットに施された弓がクロスしような形のアーキュエイトステッチが特徴ですが、大戦中は綿糸の消費を抑えるためにこのアーキュエイトステッチが廃止され、ペンキステッチが代用される。
また、ステッチの補強のために打たれていたリベットがなくなったり、また上記の画像のように、腰に付けられていた「バックルバック」も廃止。リベットに関しては戦後に再度採用されるがバックルバックは採用されず、戦前までにしか生産されないディティールになっている。
■FRANCE
1940年以降、コートには4メートルの布までしか使用が許されず、ブラウスには僅か1メートル強の布しか許可されなかった。ベルトの幅も4センチまでに制限された。そんな中戦時の青年たちにはザズーが人気となった。
■ザズー
ナチス青年少年団に入ることを拒み、洋服を着崩して髪を伸ばし、ズートスーツを着て反社会体制を表現。
ファッションを通して、ナチス体制への反発心を表していた。
■ニュールック
1947年春夏コレクションでクリスチャン・ディオールが独立後初めてのコレクションとして発表した「ニュールック」という新しいシルエットは、世界的なセンセーションを巻き起こした。
なだらかな肩のラインと細く絞ったウエストから長くてフレアしたスカートが特徴。これはその見た目から数字の「8」を彷彿としたため「8ライン」とも呼ばれている。
■ART
1930年代に世界大恐慌が発生。当時の米大統領のルーズベルトはニューディール政策を発動する。
政策の一環である「フェデラル・ワン」は失業した芸術家たちを救済するため公共施設に装飾ペイントを行う、芸術家支援計画。
マークロスコ、ウィレムデクーニング、ジャクソンポロックなど、のちに有名になる若い画家達が参加した。
抽象主義画家
マークロスコ
ジャクソンポロック
ウィレムデクーニング
最後に余談ですが、イギリスのブランド〈E.TAUTZ〉のジャケットをサイズアップして着用するとズートスーツの上着のようなバランスになるなと個人的に感じています。以下私の着用写真です。
https://www.instagram.com/p/CGmqz2ADsfG/?igshid=swakt4k334uz