フランス卒業旅行第2回「伝説の視覚障碍者を訪ねて」
フランス卒業旅行二日目。この日はどうしても俺が行きたかった場所があった。
視覚障碍者が使う文字、点字。その名を聞いたり、実際に目撃したことのある人は多いであろう。点字は、フランス人のルイ・ブライユによって1800年代に発明された。このブライユさんの実家が博物館になっているる。我々の読み書きの期限をどうしても尋ねたかったのだ。
しかし、ルイ・ブライユ博物館なんて、ガイドブックを隅から隅まで調べても見つからない。後、12年前はまだまだグーグルマップなんて使えない、日本人の半分ぐらいはまだガラケーだったと思う。
というわけで、頼りになるのは訪問したことのある日本人のブログだけ。これをTが印刷して、大事に大事に持ってきてくれた。友人たちは1ミリの興味もなかったと思うが、「おまえがそこまで行きたいならまあ、付き合うけど」というノリだった。
パリから東に50キロ離れたクプグレ村。名前からして絶対ド田舎だ。
東京って、都心から少し離れたところで、横浜やら大宮やら千葉やら八王子やら、言っても大都会がまだまだ続く。今はどうなのかわからないけど、当時のフランスは、少しでもパリから離れれば一面トウモロコシ畑が広がっていた。
列車に揺られてやってきた小さな駅。ここからバスが出ていると、ブログには書いてある。バス停時刻表も見つけた。あまりにも順調だ。
予定の自国から5分10分15分と過ぎていく。海外のバスが時間通りに来るわけない、19世紀の点字を読むためなら、どれだけでも待つつもりだ。45分ほど過ぎた。ちょっとそろそろ飽きてきた。てか、トイレに行きたい。ちなみに駅にトイレがるような優しい国は日本ぐらいなので、博物館につくまでは我慢しないといけない。
一応駅員さんらしき人がいたので、フランス語はもちろん、英語もできない3人が総がかりで聞きに行ってみた。
「ルイブライユミュージアムにいくバスはいつきます?」
なんかごにょごにょ言われたけど、聞き取れたのは、
no bus
バスは存在しないらしい。
しかし、トウモロコシ畑の真ん中まできて、何もせず帰るわけには行かない。
「タクシーは?」
no taxi
わかってはいた。タクシーなんて絶対来なさそうだし。
こうなったら歩くしかない。距離は4キロだから、普通に行けば1時間もあればつく。地図は持ってないけど行くしかない。なんかもう、何としてもたどり着いてやるという執念が、自然と3人の中に湧き上がってきていた。
道行く人を捕まえて片っ端から聞いていく。
アイヲントーゴートールイブライユミュージアム
ところでフランス人は、言語にプライドを持っていて、まったく英語を話してくれない人もいると聞く。また、パリを離れればそもそも英語がわからない人も沢山いるとどこかで読んだことがある。よく言うよな、自分たち日本人だって、外国人に英語で対応できない癖に。
英語は、通じてるのか通じてないのか、よくわからなかった。それでも、本当に手当たり次第に聞きまくって、ライトと言いながら左手をあげる人や、ストレートといいながら後ろを指す人、いろんな人に助けられながら右往左往しているうちに、ブライユ、みたいなつづりの通りにでてきた。
ブライユ通り。道の名前にまでなっているなんて、さすが伝説の視覚障碍者だ。そして、最終的に、一番何を言ってるか分からなくて、泳いだ方が速いだろってぐらい歩みの遅いおばさんの案内で、俺たちはついにたどり着いた。しびれを切らしておばさんから離れなくて良かった。
苦労した分だけ、目標達成の喜びは尋常でない。博物館についたらトイレに行こうと思っていたけど、そんなことを忘れるぐらい感動した。
博物館は本当に小さな家だった。1階はブライユの親が営んでいた木工所。ここで遊んでいたブライユ少年は、キリで目を指して失明したらしい、何してんねん。
2階には本人の遺品が展示してある。19世紀のブライユ先生直筆の点字は感慨深い。
現代において、点字はそれほど重要視されていないかもしれない。読み書きはコンピューターがあれば問題なくできるし、実際今このブログだってパソコンで書いている。日本人の中で点字が読める視覚障碍者はたったの1割しかいない。
それでも、俺は点字が読めてすごく助かっている。音を聞いてインプットするのと、文字を読んでインプットするのは、記憶に刻まれる度合いが段違いだと思う。だから、ブライユ先生にはどんなに感謝してもし足りない。
大満足のルイブライユミュージアム。別に点字に関心がなかった友人たちも、苦労してたどり着いたという達成感に浸っていた。しかし、ここでの冒険は、まだ始まっていなかったようだ。