ごっこと幻影
この記事を書くに当たってipadのスマートキーボードを購入した。打ち心地が小気味よくトコトコと聞いたことのない音を奏でる。なんだか不思議な楽器を演奏している感じだ。
家の近所にちょっと寂れた個人経営の珈琲屋さんがある。ドアを開けるとカランコロンカランとオールドスタイルのカウベルが響く。下駄の音を鳴り響かせながらいつもの一番奥の小さな席に足を運ぶ。山高帽を外し、マントを隣の椅子に置いて腰を下ろす。早速スマートキーボードを取り出すとマスターが「新作ですか?」などと茶化してくるものだから返す刀に「戯れに。notoですよ。」と言うとニヤリと笑いカウンターに消えて行った。トコトコと新しいキーボードで草案を打ちだす。いつしか窓の外は雨に変わっている。その雨につられるようにして、店内のbgmは耳を邪魔しないjazzに変わっていった。照明が極力抑えられている店内。マスターが淹れるアイリッシュコーヒーの青い炎が揺れる。一つ伸びをして、よーし記事を一つ完成させようじゃあないかふふん。などとカイゼル髭を撫で付け、ナエトルのハッカパイプを咥えながら令和の文筆家を気取る。店内に優しく響くStan GetzのPeople Time。それに寄り添うよにして私はキーボードを叩いていった。
上記の文はipadスマートキーボードを買った以外全て妄想なのだが、つまり何が言いたいかというと、自分は形から入るのが大好きなのだ。時代が時代であったらキーボードではなく、確実にお気に入りの万年筆を探していただろう。
漫画を描くにあたっても色々な文房具を買う瞬間がとても好きだ。文具店に行き、見た事や使った事のない文房具をみて(この画材だと今よりもっと上手く描けるかもしれない)などと幻想を膨らませてトキメク瞬間などたまらないものがる。これは前回寄せた「変身願望」に通づるものかもしれない。もっと単純に言うと、これは「ごっこ」の延長線なんじゃないかと思っている。憧れから始まるごっこ。ヒーローに憧れてヒーローごっこをする子供と同じ様に、「漫画」や「イラスト」や「その作家」に憧れて、自分もなりたいといつの頃から「ごっこ」をやっていて、ひょっとするとそのごっこは続行中なのではないか。と何年か前に思った事があった。たくさん好きなものがあり、たくさんのものに憧れて、その理想を追う。自分でも知らず知らずに「ごっこ」をしている。そして、この「ごっこ」も自分革命への種なのではないか。と。
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