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chasing hope - BONNIE PINK

前作”BackRoom”はセルフリメイクアルバムでした。セルフリメイクアルバムと言えば聞こえはいいですが、過去のヒット曲を引っ張りだしてきてアレンジを直して、1曲だけ新曲を入れたアルバムの事です。これは大物アーチストが曲を書けなくなって売れなくなって、仕方なく過去の遺産で食ってく為の手法で、現役のアーチストがやる事ではないと思っていました。それを愛すべきボニーちゃんがやってしまったのは、かなりショックでした。でもアルバムは良かったんですけどね。往年の名曲が、当時はとんがってましたけど、それがまろやかーなアレンジがされて、年齢を感じさせる大人の音楽になっていたのは大変興味深いものでした。それでも、やっぱりこのタイミングでリリースしてきた事へ、一抹の不安を感じずにいれませんでした。
なぜか。それは”BackRoom”の前の作品”Dear Diary”がビミョーな出来だったからです。”Dear Diary”はJ-pop路線を進んだ彼女の集大成的アルバム”ONE”の翌年にリリースされたアルバムで、”ONE”でひとつの頂点に達した彼女が、この先どの方向を目指すのかが提示されるべき重要なアルバムでした。しかし、結果的には”ONE”を凌ぐこともなく、かといって新しい方向性を示す事もなく、中途半端な内容のアルバムになっていました。15周年にかけて15曲が収録されていますが、これが多過ぎたのではないか。通常、アルバム1枚には10曲から12曲くらいが収録されます。1曲書くのも大変なのに、12曲書いて、さらにまだ3曲も書かねばならない、これは大変に苦しい作業だったと思います。その苦悩が、そのまま作品に出てしまって、どこかで聞いたような曲や、あるいは疑問符が付くような曲まで収録されました。 もちろん、「流れ星」のような涙なくして聞けない名曲もあります。しかし、無限に名曲を書ける人間なんていません。その結果、このアルバムは中だるみが生じてしまいました。多くのアーチストは、リスナーが中だるみしないように、緩急つけた選曲をし、激しいロック風の曲の後はスローバラード風の曲を入れる、あるいはヒット曲の間に箸休め的な曲を入れるなど工夫を凝らして対応しています。これまでの彼女のアルバムは、どの曲も似たり寄ったりのミディアムテンポの曲ばかりそれが繰り返し繰り返し続くにもかかわらず、飽きもせず中だるみもなくとても居心地のいいサウンドの作品になっていたのですが、”Dear Diary”は違いました。前述したような理由から、どうしても途中でダレるのです。
そもそも、一部の熱狂的なファンに支えられていたアーチストが、一般ウケして売れだすと、拡大路線に走り出してそのあげくに自滅する事が多いです。人気が出たからと、いい気になって安易な曲を乱作すれば、すぐに飽きられてしまいます。流行り廃りに敏感な多くのリスナーは熱しやすく冷めやすい。そして、そんな風に大衆迎合に走ったアーチストには、かつてのコアなファンは裏切られた思いしか残りません。かくして、昔からのファンにも見捨てられ、消えていくしかなくなるのです。彼女はその路線にはまりつつあるのではないか、拡大路線を進んだあげく、辛い創作活動を余儀なくされ、曲作りが苦痛になってきてしまった。そして曲が書けなくなって、”BackRoom”を出すしか無くなった。もしそうなら深刻です。こうなると、次のアルバムが正念場です。慎重にリリースしなければなりません。おそらく、間を取ってくるでしょう。間を取って充電期間を経てからの方がいいでしょう。そう予想したからこそ、私はBonnie Pinkから少し距離を置いたのでした。その間は東京事変を聞きまくってた。
かくして時は流れ、事変は桜散る如く解散、チャットは優秀なソングライターを喪って空中分解寸前(新譜出したけど)そして唯一、出産後のアルバム「勘違い」でその存在感をガツンとアピールしてくれた安藤裕子、このように音楽シーンは激動が繰り返されておりました。さて、ある夏の日に、そういえば、最近、ボニーちゃんはどうしてるのだろう、地道に活動しているのだろうか、まさか引退してないよな、などと思いまして公式サイトを訪問しましたら、ニューアルバム”Chasing Hope”発売中!と表示されました。何ですと? もう出したの? なんて無茶な事をしてくれたんだ、このまま拡大戦略で進んだら自滅だと言ったのに、そうか、きっと契約があるから出さないとレコード会社に干されるんだ。最近の音楽シーンは非常に厳しい状況が続いています。80年代に起こったLPレコードからCDへのメディア媒体世代交代による激変よりも大きな変革が襲いかかっています。CDが売れない音楽が売れない、音楽では食っていけない。パソコンなどのデジタル機器の急速な進化とネットワークの普及にともない、誰でもアーチストになれる時代が到来し、しかし、もはや誰もアーチストで食っていけない時代へと確実に進んでいます。700万枚のセールス記録を持つ宇多田ヒカルでさえ隠居生活を送り、おそらく世界で最も美しいアルトソプラノの歌声を持つ愛内里菜でさえクビになり、桑田佳祐はサザンを解散できず、ミスチルは不本意なシングル発売を強要される始末。アーチストが試行錯誤して時代を乗り切ろうとしているのに、レコード会社や著作権協会の優秀な方々は、全然ピントハズレでギャグみたいなことを大マジメでやってます。そんな優秀な方々が、契約を盾にアルバム発売を強制したのに違いない。可憐なボニーちゃんは断りきれずに、身を粉にして新しいアルバムを作ったのでしょう。となれば、どんな愚作でも買わなければなりません。それがファンというものです。
かくして近所のCDショップに買いに行ったのですが、売ってない。他にお店に行ったんですが売ってない。 CDが売れない売れないと言うけど、欲しいCDが売ってないじゃん。 こうなるとHMVかTOWERに行かないかんようですが、そこまで行くのはめんどくさいので、Amazonに注文しました。さすがAmazon、次の日には届きました。速攻ですね。送料無料だし、割引あるし、こりゃAmazon一人勝ちにもなるわなあ。で、早速聞く事にしたのですが、その直後に事件が発生しました。永年愛用してきたiPod nanoが、調子が悪かったんですが、ついにウンともスンとも言わなくなりました。それまでは強制再起動させてだましだまし使ってたんですが、ついにそれも反応しなくなりまして、ご臨終でございます。こうなると困るのは音楽をどうやって聴くのか。これまでMacBook Proで読み込んでiTunesでiPodに送り、それで聞いてたんですが、MacBook Proで聞くしか方法がない。仕方がないので、そうしました。Blogを読んだり、コメント入れたり、ツーレポ書いたり、サイト更新したりして聞いてました。一通り聞いての印象は最悪でした。なんじゃこれ、つまんない曲ばかり、聞くに堪えない。やっぱりもうBonnie Pinkも才能が枯渇したようで、いわゆる今流行の言葉でオワコンですわ。CD買わんときゃよかったとさえ思いました。しかし、渋谷陽一がPink Floydの”the final cut”を初めて聞くとき、ヘッドフォンをして部屋にこもって聞いたら世界観が伝わってきて感動した、と言ってた事を思い出して、やっぱりながら鑑賞はダメだ、ちゃんと聞こう、と思い直し、現役を引退した旧型のiPodをもう一度出してきて、それに曲を入れてヘッドフォンで聞いてみました。しかし、何度か聞きましたが、やっぱりつまらんアルバムだと結論がでてしまいまして、結局、聞くのをやめました。
ところが、しばらくして、頭の中にメロディーがかかるようになり、気がつくと鼻歌でふんふん歌っておりまして、これなんて曲だったっけ、と頭をひねって絞り出すと、思い出しました。そうです、Bonnie Pinkの曲です。”Chasing Hope”に収録されている曲です。これなかなかいい曲じゃん。もう一回聞いてみようか。そう思って、電池が切れた旧型iPodをもう一度充電して、改めて聞いてみたのです。2回3回と聞き重ねると、ぱあーっと世界が広がって輝き始めました。それは、例えるなら、深い乳白色の霧に覆われた森の中で道に迷って、彷徨い歩き続けていたら、突如、その霧がウソのように消え、目前には美しい湖が広がり、美しい城が現れたようでした。ああ、そうか、これがBonnie Pinkの世界だなと思いました。あの瞬間は、これまでにない実にファンタスティックなエクスペリエンスでした。イヤホンを通じで広がる世界は間違いなくBonnie Pinkの音楽の世界、美しい旋律に美しい歌詞、そして美しい歌声の三拍子が揃った、Bonnie Pinkの世界でした。
冒頭、まず1曲目の”Stand Up!”はノリのいい軽快な曲で、つかみはOKな感じでしょうか。メロディーもいいですが、歌詞がまた素晴らしい。「ネイルと引き換えのハチミツトースト」のくだりでは苦労してハチミツのビンのフタを開ける情景が目に浮かびます。そのあと、”Bad Bad Boy”でちょっと趣を変えたら、このアルバムの中盤の盛り上がりどころ「街の名前」です。シングルにもなったこの曲は、いかにもBonnie Pinkらしい泣ける名曲でしょう。一聴すると、遠距離恋愛の歌のようですが、実はもっと広い括り、離れ離れで暮らす親子、家族、夫婦といった愛するものとの別離を、悲しく、しかし強く歌った曲です。特に「その街の景色はこちらと似ていますか 桜は咲いていますか」と歌う曲のクライマックスは、今は11月だから桜なんて咲いてないですよ、なんてツッコミ入れてる場合じゃないくらい桜吹雪が舞ってしまうのです。そして盛り上がった中盤から畳み掛けるような素晴らしい曲が連発し、「冷たい雨」へ繋がります。ドラマで使われたこの曲、単品で聞くとそれほどでもないのですが、このアルバムの流れで聞いてくると、ジーンと心にくるものがあります。冷たい雨でも大地の熱を消す事は出来ない、そんな力強いメッセージに勇気つけられます。そして、ラストの曲”Change”では、新しい道を進む姿を、舗装したてのアスファルトで表現しています。「光るアスファルトのように新しく強くなるよ」新しい舗装仕立てのアスファルトはグリップしないから注意しないとケツが滑ったりしてビックリするとかツッコミ入れてる場合じゃないくらい光り輝くのです。こうして改めて聞くと、この”Chasing Hope”がいかに名曲揃いの素晴らしいアルバムかわかるでしょう。しかし、なぜ、それに気がつけなかったのか。この美しい世界になぜ気がつけなかったのでしょう。
美とは何でしょう。実は、美とはなんでもない、どうってことないところにあるのでした。例えば腕時計。G-SHOCKは多機能で信頼性のあるギアとして実に美しい腕時計です。あるいはWIREDは奇抜なデザイン斬新なデザインで実に美しい腕時計です。それらに比べてATTESAはどうでしょうか。飾り気のない文字盤、シンプルな時計針、ただ単に、時を表示する、それだけのために余計なモノは一切排除した腕時計。一見、つまらない腕時計のようですが、しかし、これから先100年200年経っても、このスタイルは消えることはないでしょう。なぜなら、それこそが完成された美そのものだからです。美しいものは素っ気ない。美しいものは飾らない。美しいものは変わらない。そうです、Bonnie Pinkの音楽もそれです。素っ気なく、飾り気もなく、そして変わらない。変わるのはリスナーの心でした。これまでのどの作品も、変わらないスタンスで作り続けた彼女の音楽。そして、それはこれからも変わらないでしょう。音楽とは、頭で考えるものではなく、心で共鳴するものなのです。

(2012年11月に書かれた記事を再掲載)

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