犠牲と見返りの構造を読み解く—冨樫義博作品のテーマ性

冨樫義博の作品には、一貫して「犠牲と見返り」の構造が存在する。このテーマは、単なるストーリー上の設定に留まらず、キャラクターの成長や物語全体の意義を深める要素として機能している。『幽☆遊☆白書』と『HUNTER×HUNTER』を横断的に比較することで、このテーマがどのように深化したかを考察する。


1. 犠牲と見返り:キャラクターの成長と代償

『幽☆遊☆白書』の浦飯幽助は、師である幻海や仲間の桑原の犠牲を契機に成長する。これに対し、戸愚呂弟は「力のためにあらゆるものを捨てる」という選択をした結果、孤独に飲み込まれてしまう。二人は対照的な道を歩みながらも、「犠牲」を通じて力を得る点では共通している。

この構造は、『HUNTER×HUNTER』におけるゴンとキルアにも見られる。ゴンはカイトの死を契機に成長するが、復讐に取り憑かれた結果として全てを犠牲にし、力を得る。これはまさに戸愚呂弟の継承者とも言える道だ。

一方、キルアは「家族を裏切る」という犠牲を払うことで、他者を救う力を得る。この行動は幽助の精神的継承者と見ることができる。


2. 制約と誓約:念能力に見るテーマの体現

『HUNTER×HUNTER』では、「制約と誓約」というシステムが犠牲と見返りの構造を直接的に反映している。ゴンがネフェルピトーを倒す際には、「全てを捨てる」という戸愚呂弟的な選択を行い、力を得る代わりに身体を壊してしまう。

一方で、アルカ(ナニカ)はこの構造を拡張した存在だ。彼女のルールでは、「犠牲」に応じて「見返り」が得られるが、キルアに対しては無条件で願いを叶える。この点で、犠牲と見返りのルールを超越する存在とも言える。


3. 善と悪の相対化

樫作品において、「善と悪の相対化」はもう一つの重要なテーマである。『幽☆遊☆白書』では魔界の扉編以降、善悪の境界が曖昧になり、特に仙水編では敵である仙水が人間の悪行によって動機付けられていることが明らかになる。

このテーマは『HUNTER×HUNTER』のキメラアント編でさらに深化する。メルエムとコムギの絆は、人間と蟻という対立構造を超えた共存の可能性を示唆し、人間が善、蟻が悪という前提を覆す。また、ゴンという主人公自体も、善悪の境界を行き来する存在として描かれている。彼はカイトの仇を討つために全てを犠牲にするが、その過程で復讐心に支配される姿は、「正義」とは何かを問いかけるものとなっている。


4. アルカ編:冨樫作品の総決算

アルカ編では、『幽☆遊☆白書』で描かれた「犠牲と見返り」や「善悪の相対化」が統合されている。アルカ(ナニカ)は犠牲に応じて無限の見返りを与える一方、キルアに対しては無条件で力を発揮する。この関係性は、冨樫作品が追求してきたテーマの到達点とも言える。

また、ゴンは「もし戸愚呂弟に救いがあったら」というIFを体現した存在だと言える。戸愚呂弟が追い求めた「究極の力」に対し、ゴンはそれを実現しながらも代償として身体を壊してしまう。その姿は、120%の力を出し尽くして壊れた戸愚呂弟の再現である。しかし、ゴンが復活し、父・ジンと再会を果たすことで物語は一つの区切りを迎える。


5. ゴンとカイトの再会:戸愚呂弟と幻海のIF

ゴンがカイトに会いに行くシーンは、戸愚呂弟が幻海と再会した場合のIFとして解釈できる。コアラは、ゴンが担いきれなかった「戸愚呂弟としての要素」を補完する存在として配置されている。カイトとゴン、コアラの対話は、「もし戸愚呂弟が救われる道を選んでいたら」という可能性を示唆している。


6. 暗黒大陸編における「未知」の可能性

暗黒大陸編では、「未知」そのものがテーマとして描かれる可能性がある。暗黒大陸という設定は、既存の世界のルールを覆す異質な存在として提示されており、「人類の常識」を相対化する場になるだろう。(そういう意味で、暗黒大陸編というのはレベルEとの類似性も考察しがいがあるだろう)

これまでの作品では、キャラクター個人の信念や行動が物語の中心だったが、暗黒大陸編では「人類」そのものが犠牲と見返りの主体となるかもしれない。

特に、ジンやビヨンドといった「冒険家」たちの哲学が暗黒大陸の脅威や未知の存在との対比の中でどのように描かれるかが注目される。彼らがどのような「犠牲」を払い、どのような「見返り」を得るのか。

暗黒大陸編で描かれるキャラクター間の対比や共鳴も、新たなテーマを掘り下げる鍵となるだろう。これまでのゴンとキルアのような「相補的な関係」が、他のキャラクター間で再構築される可能性がある。

例えば、クラピカとツェリードニヒの対立だ。クラピカは、自身の復讐心を制御しつつ仲間を守るための犠牲を払う存在であり、ゴンや幽助の精神的継承者として位置付ける読み方も可能だ。一方、ツェリードニヒは完全に自分の欲望に忠実であり、戸愚呂弟や仙水を思わせる「自己中心的な力への執着」を体現している。この二人の対立がどのような結末を迎えるかは、冨樫作品の新たな方向性を示唆する重要な要素となるだろう。


7. 新たな「犠牲と見返り」の形態

これまでの冨樫作品では、「犠牲」と「見返り」は個人の能力や成長、またはその対価として描かれてきた。しかし、暗黒大陸編では、集団や文明レベルでの「犠牲」が問われるかもしれない。たとえば、暗黒大陸の脅威に対処するために、ハンター協会や王族がどのような選択をするのか。そこには、個人を超えたスケールでの「善悪の相対化」や「犠牲と見返り」が描かれる可能性がある。

また、冨樫作品におけるキャラクターの成長や人間性の探求は、読者に対して「自分なら何を犠牲にし、何を得たいのか」という問いを突きつけ続けるだろう。

幻影旅団、クロロの苦悩がそのあたりの鍵になっている気がする。

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