旅をする人生
普段から日本国内を飛び回っているので、よく「しょうちゅう大阪とか行けて良いなぁ」なんて言われたりしますけけども…
別に遊びに行ってる訳じゃないし、その旅の大半は仕事に費やしてる訳ですしその移動のほとんどが東京大阪の往復なのでどちらも「帰る」感覚なので旅をしている感覚ってのはほぼ無い。
国内で普段行かないところに行くのは楽しいけど、どこまで行っても日本。
道がわからなくても日本語で会話出来るからストレスにもならんし、基本的には同じ文化圏なので楽である。
が。
その「楽」というのを嫌う変な性癖の私。
そんな癖に芽生えたのはもう15年ぐらい前か…旅をする人生のキッカケとなった旅は。
時は大阪プロレス社員時代。
月月火水木金金レベルで働き詰めてたのでほぼプライベートなんて無かったし、一応週1日月曜日だけ休みはあるけどなんやかんやと電話かかって来たりして休めたもんじゃないし映画観てる間に電源切ってて終わってから電源入れたら鬼のような着歴が残ってて折り返したら
「何してんだ電話出ろバカヤロー」
とキレられる(休みなのに)ような日々。
連休は年に一回、ビッグマッチ後に1週間だけ会社が休みになる時のみ。
それでも週末は電話番って事で俺だけ4日しか休み貰えず。
それでも4日休みなんて夢のまた夢のように感じていて、「電話のかかってこない海外に行きたい!」と狂ったように願っていた。
しかし4日で海外なんて、まず移動に使える時間も限られてるしそもそも恐ろしく薄給だったので金もそんなに無い。
そこで選択したのが韓国だった。
ただ「一番近い」「一番安い」「とりあえず海外」ってだけで選んだ当時は冬ソナ大流行時代のソウル。
今の韓国行きはK-POPアイドル好きの若い子が多いけど、当時はヨン様に心奪われたおばちゃん集団がウジャウジャ。
そんな中に何するわけでも無くとりあえず日本から出たいだけの20歳過ぎの男が飛行機に乗り込むと、隣に座っていた日本在住の韓国人のおばちゃんが
「お兄ちゃん何しに行くの?韓国初めて?どこ行くの?なんで?」
と、やたら話しかけて来てくれて色々話し込む。
あっという間に仁川空港に着き、入国が別なのでおばちゃんとお別れして遂に初海外一人旅のスタート。
だが当時は英語もカタコト、韓国語なんてゼロレベル。
そして当時の仁川空港にはまだ空港鉄道も通ってなくて市内へはバスかタクシーのみ。
私が予約した安宿は郊外のハズレみたいなところで全然メジャーじゃ無いところの地下鉄駅が最寄り。
そこの地下鉄駅に向かうバスのチケットを買うにも、日本語なんか対応してなくてチケット売り場の文字はハングルのみ。
早速詰んだと思って英語表記してる売り場探し回ってたらどこからとも無くさっきのおばちゃんと再会。
おばちゃんが通訳してチケット買ってくれて、何番のバス停から何番のバスに乗って何個目のバス停で降りるのかも教えてくれた。
何なら1時間半ぐらいの車内で食べるおやつと飲み物もくれた。
そしてバスに揺られ、言われた通りに四つめのバス停で降りたのだが…。
地下鉄駅が見当たらない。
というのも、工事してた影響でバス停が離れたところに移動されてたらしく…
地下鉄駅から徒歩3分と書いてて安心してたのにこれはいよいよヤバい。
時は2月中旬。
極寒の韓国ソウル、気温がマイナス12度。
今みたいにGoogleマップも無いし、土地勘も無い。持って来た紙の地図も駅からホテルの近隣しか書いてないからさっぱりわからん。
しばらく彷徨い歩くも経験したことのない寒さと不安に体力を奪われて来た。
そこで怪しいところに停まる一台のタクシーを発見。
言葉もわからんし、当時のソウルのタクシーは日本人からボりまくってるとの噂は聞いていた。(浮かれまくってる冬ソナおばちゃん達がカモだったらしく)
でもこのまま凍死するのも嫌やし、背に腹は変えられんとタクシーのドアをノックして紙の地図を見せ
「あー、あいうぉんとごーとぅーひあ。」
と発してみると運ちゃんがしばらく俺の顔をじーっと見て軽く舌打ちしながら
「乗れ!」と後部座席を指差すのでとりあえずお邪魔する。
と。ハリウッド映画かよってレベルの急発進にオロオロしてメーター動かされてない事に気づくも突っ込めずやっぱりボられたー!どうしよー!なんぼ取られるんやろー!とか考えてる
暇もなく停まって窓の外を指差す運ちゃん。
わしのホテル着いてた。
時間にして1分弱。
近っ!!
恐る恐る値段を聞いたら…
手を振って降りろというジェスチャー。
まさかの無償。
そして次の客が外に居たので焦りながらもとりあえずコーヒー代にでもと2000ウォンだけ置いて降りた。
今思えば、あの時俺の顔を見て憔悴してるのを感じ取ってくれたのと、たまたま休憩してたポイントから客が取れる繁華街にあるホテルやったから乗せてくれたんだろう。
初めての異国の地で、異国の人にめちゃくちゃ親切にしてもらえたあの日のかけがえの無い経験があったから今も異文化コミュニケーションが大好きなんだな。
言葉も文化もわからない国へ1人で飛び込み、なんとか生きて帰る。
普通に考えたら「楽」なわけが無いし、人によっては「苦」かもしれない。
ただその環境で生き抜く力を身につけてる実感は日本に居続けても絶対経験出来ないし、自身の成長を実感するのが楽しいので、そういうハードな環境こそ「楽」と感じるという私の性癖が始まるキッカケのお話でした。
いずれ海外で遭遇した様々なズンドコ旅の模様も書き留めようか。
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