第129弾「なんでもいい」
ハーイ!みんな元気?あたしけいご。
129曲目はこれ。なんでもいい。今日、庭の草取りをしていたら、驚いたことに蜂に刺されました。電撃が走ったようなショックが左手に走り、うお!となり、そのあと如実に手が腫れてきて「あいやー、これはやってしまったかもしれない」って思った。最初に恐れたことは、ギターが弾けなくなったらやばいってこと。生まれて初めて蜂に刺されたから、死ぬのかな、とか考えて恐慌状態に陥っていたけど、そんななかで、この曲を作りました。
「なんでもいい」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
なんでもいい
なんでもいい
なんでもいい
なんでもいいんだ、俺。
あたしは、結構「自然大好き人間」ぶっているところがあるのだけど、一気に自然が恐怖になった。刺された場所は横浜のど真ん中だから、緊急時は救急車を呼べばどうにかなるけど、これがもし無人島とかだったら、最悪の場合は『死』。普段、死をおそれていないぶって生きてみたところで、やっぱり怖い『死』。タワーマンションに住む人の気持ちがちょっとわかった。おかげさまで、大事にはいたらずに、普通にギターも弾くことができた。だから、この曲を作れた。最悪の場合は死ぬひともいるらしくて、アナフィラキーショックとかはなかったけど、あたしのメンタルは自然恐怖にのっとられた。タワマン需要が高まった。普段、どれだけ自分が『都会の恩恵』みたいなものを被っているのか、実感した。あたしは、あたしの甘えを痛感した。
蜂に刺されたとき、最初は焦ったけど、そのあとに『ねえ』って曲の歌詞が脳裏をよぎった。良寛さんも「死ぬる時節には死ぬがよく候」って言っているけど、人間、死ぬときは、死ぬんだなあって。『ねえ』って曲には「ここで死ぬならそれまでのことだよねえ。まだ生きているそのことが答えだねえ」って歌詞があるの。蜂で死ぬならそれまでのこと。蜂で死なないなら、まだ、なにかやるべきことがある、みたいなことを思いました。それで、あたしは無事にこうして生きていて、音楽を作っている。文章を書いている。蜂に刺された直後は「遺書を書いておけばよかった」とか「あの場所に隠している秘密のあれを、誰かに教えておけばよかった」とか、色々思った。人生、なにがおこるかわからない。遺書、書いておいた方がいいのかもしれない。あなただったら、遺書を書くとしたらどのようなことを書きますか??
腕がじんじんするから「短い曲をつくろう!」と、この曲が生まれました。そして、今日、早速定期演奏会で披露をしました。最初の曲に選びました。なにかこう、はじまるよー!みたいな雰囲気が好きで、こんなに一瞬でも(豪華なバンドメンバーがいると)それっぽい曲になるのだなあ、と、自分でびっくりしていました。あたし、大前提として「なんでもいい」と思っているみたい。死ぬまでに行きたい場所とかないし、死ぬ前にこれを食べたいとかもないし、納豆があるならそれでいいや、とか、輪廻転成を信じて別に今世は適当でいいや、とか、そういう風に感じることが多い。なんでもいい。こうでなきゃいけないとか、そんなにない。もちろん、肩肘張って「人間はかくあるべし!」とか思う時期もあるけど、大概、長続きしない。数時間後には「ま、いっか」ってなっちゃうこと、すごいたくさん、あります。
定期演奏会は楽しかった!来てくれたひと、ありがとう!あきとさんのピアノの師匠Y様も来てくれて、演奏会のあと、素晴らしいご指摘をいただきました。それは「坂爪さん、あなたはシャイなの??あなたはボーカルなんだから、楽器ばかり見ていないで、もっとお客さんの方を見ないと!フロントマンは『目で殺す』くらいの勢いで、お客さんのほうを見なきゃダメよ!せっかくいい目力をしているのだから!」と。ああ、これはもう本当にその通りだなあと思った。これ、次のライブで、クリアすべき課題。あたしは、妙にシャイだから、なかなか前を見ることができない。でも、見たい。にらめっこで勝ちたい。練習。普通の会話なら、めっちゃ目を見れる。だけど、歌っているとき、どんな顔をしてお客さんを見ればいいか、わからない。これ、課題。頑張る。次はめっちゃ(は無理でも、ある程度は)前を見よう。
我々メンバー全員シャイだから、全員、MCも苦手。だから、定期演奏会は「一曲終わる毎にじゃんけんをして、負けたひとが歌う曲を決めて、軽くMCをする」っていうルールで、進めています。これが、結構、やっている側としては楽しい。負けたひとがどんなMCをするのか見ものだし、負けたくないから毎回真剣勝負。これ、ライブハウスとかじゃ絶対やれないことなんだろうなあ、って思う。セットリストがないから、照明さんも絶対困る。だから、こういうミニライブでしかできないこと、どんどんやれる楽しさがある。音楽も、人生も、なんでもありなんだなって思う。こうしなきゃいけないって規則にガチガチに縛られるより、自分たちが楽しめるやり方を探していたら、楽しめる方法って結構あるのかもしれない。じゃんけん、大好き。
今朝、こんなブログ記事を書きました。よかったら読んでみてください。死ぬことを恐れたら、生きることができない。人間、どうしても生きていると「これをやりたいけど、生計を成り立たせるためにはこれをしなければいけない」みたいな感じで、損得勘定をしちゃう。別に悪いとは思わないけど、そればっかりになると「死なない範囲での選択肢」しか、選べないからだになってしまう。あたし、思うのだけど、人間って死なないために生きているわけではないと思う。生きるために生きるというか、死ぬのは自然の摂理だから、それを避けようとすることの方が不自然だと思う。ダライ・ラマさんも「まるで死ぬことのないように生きていると、ほんとうに生きることなく死んでしまう」みたいなことを、言っていた。何が言いたいのかというと、死なないように生きるより「これのためなら死んでもいい」とか「死んでもいいからこれをやりたい」って思うことを、日々に取り入れていかないと張り合いがなくなって枯れ果てちゃうんじゃないだろうか、ということです。
あたし、前に、いばやっていう名前の会社を経営(?)していた。『とにかくやばいことをやる』っていうのが企業理念(?)で、自分の心が「楽しそうだ!」とか「これはやばそうだ!」と思うことを、ジャンルにこだわらず、なんでもやっていこうという感じの集団だった。それを三年間くらいやって、強烈に感じたことがある。この世の中で一番やばいことって、多分、生きているということだと思う。それを上回るやばいことを、あたしは、見つけることはできなかった。もちろん、これをやったらみんなからすごいと言われる、みんなを驚かせることができる、みたいなことは、たくさんあるのだと思う。でも、それって表面的なことばかりで、いま『生きている』ってことを上回るやばいことを、見つけることができなかった。だから、いばやは、三年間の活動ののちに、解散をした。そこから得た教訓(?)は、生きているということが一番やばい、ということでした。伝わるかなあ???
生きているって、当たり前すぎることだし、みんながみんな生きているわけだから、新鮮味も、面白みも、独自性もない。だけど、冷静に考えてみてください。生きているって、実は、超絶やばいことだから。意味不明すぎるから。地球という惑星に生まれて、誰が作ったのか謎すぎるカラフルな果実を食べたり、言葉を話したり、夢を見たり、想像力を発揮したり、悩んだり、笑ったり、多種多様すぎる生命と共存しながら、生きたり、死んだり、騒いだり。まったくうまく説明できていないけど、生きているということは、冷静に考えれば考えるほどに「得体が知れなさ過ぎる」ものだと、おもった。
あたしたちは、よく「どう生きるか?」みたいなことを話したり、そのことを悩んだりするけど、そもそもで「生きているとはどういうことか?」が、謎過ぎる。生きているということを、さあ、説明してみましょう。あなたなら、なんて説明するかしら??生きているとは、感じる心があるということです。あるひとは、そう言うかも知れない。なるほど、その通りだと思う。あたしも、めっちゃそう思う。でも、じゃあ、その『感じるこころ』は、どこから来ているのだろう。心が感じなくなったら、そのひとは死んでいるのだろうか。死んでいるとは、どういうことだろうか。誰も死んだことはないのだから、死の体験談を語ることはできない。ということは、全部、想像。想像ということは、生きていることそのものが、夢のようなもの。幻のようなもの。誰もが、自分が信じたい物語を信じて、その物語を生きているようなもの。みたいな感じで、終わりなき問いに飲み込まれる。あたしは、こういうものに「得体が知れなさ過ぎる」面白さや、新鮮さを、感じたりする。
なんだか話がおかしな方向に言っちゃったから、今日はこのへんで終わりにします。次作で、いよいよ130曲になる。毎日、自分が撮影した動画を見ながら「こいつ、よくやってるなあ」って思う。やっているからすごいとか、やっているから誰かあたしを認めてくれとか、そういうことではなくて「こいつ、よくやっているなあ」って思う。なんか、あたし、よくわからないけど「こいつ、よくやっているなあ」って思うことが、好きみたい。友達でも、なんでも、誰かがなにかをやっている姿を見て「こいつ、よくやっているなあ」って思うと、元気になる。誰かが命を燃やしているように、あたしも命を燃やしたい。そんな風に思う。音楽も、スポーツも、意味があるから楽しいとか、そういうものではないと思う。なんでなのかはわからないけど、これがなんの役に立つのかわからないけれど、楽しい。なにかを楽しむために、そのことを詳しく知る必要は、もしかしたらないのかもしれない。あたしは、あたしが生きているということが、どういうことなのかを知らない。でも、生きているというこの謎の現象を、楽しめているときの自分は、好き。わからないけれど、楽しい。わからないけれど、これをやりたいと思う。自分がなんでこれをやっているのかわからないけれど、でも、どうしてもそれをやりたいと思うから、やる。そういうものが、あたしは好きです。
さあ、もう一回聞いてみましょう!なんでもいい!
『かかって恋』のフルバージョンはこちらです。
『スーパーカブ』のフルバージョンはこちらです。
『雷電 -ライディン- 』のフルバージョンはこちらです。
『ねえ』のフルバージョンはこちらです。
『flow-er』のフルバージョンはこちらです。
『わたしを忘れないで』のフルバージョンはこちらです。是非!!
じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。
坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com
【イベント情報】
8月31日(土) 13時~@東京都新宿区四谷「シアターウイング」
9月9日(月) 19時半~@東京都吉祥寺「曼荼羅」
○バンドプロフィール紹介
Agape(アガペー=神の愛という意味がある)
2014年2月14日。Guitar & Vocal の坂爪圭吾が、当時同棲していた彼女に振られ、振られた勢いをそのまま活かすかたちで、「ひとは家がないと生きていけないのか」という問いを持ちながら、定まった家がない状況で如何にして生きていくかという実験を開始。
その体験談を綴ったブログ『いばや通信』が、爆発的な人気を博し、結果的に日本全国、世界20ヶ国ほどに、トークイベントなどで招聘されるようになる。「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトに基づいた会社、【合同会社いばや】の代表としてブログや講演活動に専念するなか、“家を熱海に買ってもらう”というゴールを果たした頃に、会社が円満解散。
ホームをレスしてからちょうど5年後。2019年2月14日。イタリアはヴェネツィアで、ある女性を通じて「音楽をやりなさい」という啓示を受けた坂爪圭吾が、日本に帰国後、一日一曲の曲作りに邁進するなか、一人、また一人と毎月メンバーが増えていき、現在5人体制で活動している(今のところ全員無宗教)。
メンバーのほとんどが、“中学校の授業以来”という驚愕のバンド結成状況の中、「ド素人から成長していく姿を公開していくことが、自他共に勇気が出るのではないか」と開き直り、約半年で、およそ百数十曲の音源を作る。それらの楽曲は、「ジャンルはなんですか?」とカテゴライズされないために、様々な趣向が凝らされている。
メンバーそれぞれが、駄目なら駄目なりに、失敗したら失敗したなりの姿を晒していくスタンスで、“技術だけではない何か”を感じてもらえるような演奏を心がけている。
◯メンバー紹介
Guitar & Vocal の坂爪圭吾(34)音楽活動歴約半年で、毎日一曲のペースで創作し、百数十曲の持ち曲のほとんどの作詞作曲を手掛けている。
Bass 保科亮太(31)音楽活動歴約五ヶ月で、「圭吾さんがギターで、ドラムは重そうだから」という理由でベースに挑戦。作詞も手掛けている。
Guitar 竹谷純平 (34)音楽活動歴約四ヶ月で、「誕生日が一番早いのと、唯一の長男だから」という理由でリーダーに抜擢。愛されキャラでありつつ、“アニキ”の愛称で親しまれる。ライブ時のMCと、エレキギターでのソロ演奏に注目。
Keyboard & vocal 稲村彰人 (26)音楽活動歴約三ヶ月で、仲良くしていた先輩たちに、半ば強制的にバンドに加入させられる。が、秘めていた才能が開花。その独自の世界観と歌唱力から、米津玄師さんに対抗しないかたちで人気を獲得している。
Drums 嘉向徹(28)バンド結成前から坂爪たちと親しくしていた、最後の精鋭。メンバー全員が「アガペーのリズム体になるのは、彼しかいない」と断言し、その登場を待ち続けていた。“ドラムというより、大地そのものを叩きたい”という独特の表現は、幼少期から海とさざ波の中で育った背景に起因している。音楽活動歴、堂々の0ヶ月で、初ライブに挑む。
◯バンドからのメッセージ
まずは「1年後、見ててください!」を合言葉に、Agapeを応援してくれているファンと共に成長していきたいと思っています。年齢的にはアラサーですが、まだまだ多感な我々Agapeの音楽を、ぜひリアルで体感していただけたら嬉しいです。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!