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第97弾「ばっちりビリー」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

97曲目はこれ。ばっちりビリー。曲を作っていて思うことは「全体的にぬるい」ってこと。しかし、出したい感じは出せている(と思うことで自分を慰めている)。薄ぅく。総じて30点。ギリギリ落第。毎日「ちくしょー」って思っている。日本に戻ったらライブを重ねなくちゃいけない。保科さん曰く「少年野球で強いチームと弱いチームの差は何か、それは試合をしている数である、という持論を元に我々Agapeはライブを重ねたいのである」。

「ばっちりビリー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

世界が モノクロに 見えるような ときは
ファンタジーが足りてない だから 冒険を足(ぷら)す

生きていることを まだ 忘れたくはない
どれだけ 傷を増やしても 信じていたい

世界は 捨てたものではないってことを そして
その何倍も 君は 捨てたものじゃない ことを

ビリー ビリーブ ビリー ビリーブ ビリー

ほんとうは知っている ぼくは 強いことを
どっちの道を選んでも 幸せになれることを

いまも地球に ほら 愛されていることを
生きる価値は 誰にでも あるってことを

世界は 優しさを見せたがっている それの
何億倍も 君は 優しいひとである ことを

ビリー ビリーブ ビリー ビリーブ ビリー

あきらめないで ただ 歩ききった先に 誰も
見たこともない 景色 あきらめないで よかったなあ

ビリー ビリーブ ビリー ビリーブ ビリー

ビリー ビリーブ ビリー ビリーブ ビリー

自分の根源的な欲求(?)みたいなものを眺めてみる。すると、奥深いところには「信じたい」とか「愛したい」とか「許したい(許していきたい)」と思っている自分がいることを知る。信じたい。そう思う自分は、いったい、なにを信じたいと思っているのか。それはたくさんあると思うけど、総じて「世界は捨てたものではない」ということを、あたしは信じたいのだと思う。そして、そのように願う裏側には「自分は捨てたものではないこと」を、信じたいと思っている自分がいる。なんども諦めそうになりながら、なんども投げ出しそうになりながら、結局、懲りずに立ち上がる自分がいる。

あたしはこれまで(10代後半から20代後半までの10年間で)三十種類くらいの仕事を経験していて、どれも長続きをしなかった。1ヶ月に40万円くらい(アルバイトで)稼げた時期もあったけど、でも、なにかが物足りなかった。「雇われるというスタイルがいけないのだ」と思って、友達の会社を手伝ったり、友達と一緒にカフェをやったり、自分で起業をしたりもした。でも、結局、長続きをしなかった。仕事をすれば、時折、ものすごい儲かる時期もある。そんなときは、もちろん、うれしくもなるし、楽しくもなる。でも、うれしさの裏には、楽しさの裏には、常に「で?」と思う自分がいた。お金を稼ぐ。お金持ちになる。で?それで、一体それがなんになるというの??と、自分で自分に感じる違和感を、拭い去れない時期が続いた。

それで、結局、どれも長続きをしなかった。やばい。大変だ。どうしよう。生きるためには金が必要だ。それなのに、自分は金のために働いても手応えを得ることができない。どうしよう。俺はこれからどうやって生きればいいのだろう。そんなことを思っていた時期に、ちょうどいいタイミング(?)でホームをレスした。これは(時間もあるし)自分を使って「家がなくても生きていけるか」を試してみよう。軽い気持ちで、そんなことを思った。そして、実際に試してみた。すると、とんでもない展開を迎えることになった。詳しくは『ホームをレスした話(全18話)』にまとめた。いきていくためには自分になにかを付け足していかなければいけない。そう思っていたあたしの常識は覆った。結果的に「生きるために必要と言われているものさえ、ロスをすることによって逆に開く活路があった」ということを学んだ。

あたしは、当時から「で?」と思わないで済むものを必要としていた。金を稼いでも虚しい。交友関係を増やしても虚しい。承認欲求みたいなものを満たそうとしても虚しい。自分の正当性を主張しても虚しいし、みんなが欲しがるものを手に入れても虚しい。結局、なにをしても「で?(それがいったいなにになるというの?)」と囁く、もうひとりの自分の声に抗い切れない。それで、いま、あたしは音楽をやっている。非常にありがたいことに、音楽をやっている自分に「で?」と囁く声は、聞こえない。音楽をやっても一円にもならないし、誰に認められるわけでもないし、なんなら「俺は才能のかけらもない天性のクズだ」みたいに落ち込むことも毎日のようにあるけど、でも、それでもなお「で?」と囁く声には、出会っていない。これは、多分、正しい道を歩けているからなのだと思う。虚しさを感じることがあっても、それ以上に「この先になにかあるかもしれない」とか「これをやっている瞬間の中に全部がある」とか、そういう風に思える手応えが、ある。

それは、きっと「信じたい」と思う自分に、音楽をやるという行為が「従っている」からだと思う。音楽をやるという行為を通じて、あたしは、信じたいと言う思いを継続しているのだと思う。音楽を作る。そのことが、いまのあたしには日記を書くことみたいになっている。四苦八苦しながら曲を作ると、振り返ったときに「ああ、この曲はあの場所で、あんな気持ちになりながら作ったなあ」ということが、思い出される。この星を生きた思い出を歌に残す。それは、大袈裟だけど『生命を音楽に注ぎ込む』ことだと思う。だから、どれだけ愚かで拙い作品だとしても、愛しさを感じるものになる。へたくそなりに、一生懸命やっている自分を肯定する眼差しが、生まれたりする。言葉は拙くても、自分なりに「これは大事だと思う」と感じたことを、言葉にする。言葉にすれば、大事だと思ったこと、少なくともあたしだけは覚えていられる。あなたも一緒に、覚えていてくれたらうれしいなと思う。

✨✨✨✨✨ビリー隊長にはお世話になりました✨✨✨✨✨

この曲に「あきらめないでよかったなあ」って歌詞があります。シンプルにもほどがあるけど、でも、最後の瞬間にそう思えたらいいなあって思う。歩くことを投げ出したくなること、諦めたくなること、たくさんある。でも、歩き続けたからこそ出会えた景色、たくさんある。それは、目的地とは違う場所で、目にできることが多い。目的地にたどり着くことも尊いけど、でも、実は「一歩を踏み出す」っていうことが、もっとも尊いことだと思う。踏み出せば、また、素晴らしい景色に出会えるかもしれない。そのことを、信じることが難しい時期もあるけれど、それでもなお「歩く」道を選んだ先に、素晴らしい景色が広がっていたのなら、それは最高だなあと思います。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

7月28日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけましたら最高に嬉しいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!

6月30日開催「Agape 定期演奏会」の動画です。


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坂爪圭吾
バッチ来い人類!うおおおおお〜!