第99弾「夏の雪〜all my giving〜」
ハーイ!みんな元気?あたしけいご。
99曲目はこれ。夏の雪 〜all my giving〜。夏っぽい曲を、と思って作りました(坂爪圭吾はこんな音楽も作れるんだぜ!とか、ちょっと言いたい)。夏の終わりは毎回切ない。春夏秋冬あるけど、夏だけ『毎日終わる』気がする。夏の夜は、毎日切なさがある。冬とか、春の夜にはない独特の切なさが、毎日ある気がする。それは、あたたかいものが過ぎ去る感傷だと思う。
「夏の雪 〜all my giving〜」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
臆病な夢から 醒めるとき
前よりも少し 勇敢になれる
馬鹿げた話が たまらなく 恋しい
小さな祈りが 面影になる
見つめて もっと奥に たどり着く
いまはもう 何とも戦わなくていい
震えた 切なさに 締め付けた
冷えた 腕が 愛おしい
行かないで このまま Ah そばにいて
思い出の彼方まで そっと 連れ出して
消えないで このまま Ah そばにいて
夏の頬に 降る雪が 夢に 溶けるまで
帰らない日々が 痛み出す前に
ぼくのすべてを 注ぎこんでいた
たくさんの思い出と 少しの傷と
蒸し暑い夜 火照る Love&Loss
すべての美しいものたちは
悲しみを 包み込んでいる
指先に まだ残る その香り
逃げ出すことを 逃げ出して
行かないで このまま Ah そばにいて
過ぎていく哀しみも そっと 抱き寄せて
消えないで このまま Ah そばにいて
濡れた花に 舞う雪が 愛に 乾くまで
行かないで このまま Ah そばにいて
思い出の彼方まで そっと 連れ出して
消えないで このまま Ah そばにいて
夏の頬に 降る雪が 夢に 溶けるまで
あたしは「切ない」という感情が好きなのだと思う。2度とは戻らないこと。過ぎて行くことの切なさを感じるとき、グッとくるものがある。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは「永遠にそれを見ていることはできない」という悲しみだと思う。夏は、それを強く感じさせる。儚さとか、もののあはれとか、日本人的な感性だと思う。すべては流れて行くからこそ、それを大事にしたいと思う。それを忘れたくないと思う。それを忘れないでいるために、言葉にしたり、音楽にしたり、写真を撮影したりする。
昨日、華やかな世界で働いている女性Y様から「今日、とある番組に出るのでちょっとだけでも見てもらえたらうれしいです。いつも坂爪さんの言葉に励まされているので、今日は坂爪さんに歌います!」って、なんともありがたいメッセージをくれた。それで、あたしは、その番組を見ました。雛壇っていうのかな、そういう場所で一生懸命話す彼女は、なんだかとても輝いて見えた。それは、華やかってだけじゃなくて、テレビとかそういう世界って潰し合いとか非情なものがすごいありそうなのに、そこで生きるものの強さ、とでも言えばいいのかな。心から「よくやっているなあ」って思った。
テレビに出るような感じのひとって、遠い存在だと思っていた。でも、当たり前だけど、同じ人間なんだなってことを思った。ひとから悪く言われれば傷つくし、優しさに触れたらあたたかい気持ちにもなる。昨日、Y様はこんな言葉を言っていた。「みんなすごい人ばっかりで、私の価値なんか・・・って気が引けることばかりだけど、競争じゃなくて、愛の世界を作りたいって思って、生きてます。エンパス体質なので、競争社会での仕事って、凄く気を張るんです😅ポンコツだし。。その中で、頑張っているんだ。というのを、見せたい!」って。なんか、この言葉、すっごいいいなあって思った。
競争社会での仕事は、すごく気を張る。そんな気持ちになることがあるのは、決して彼女だけじゃないと思う。誰もが悩むことを、同じように悩む『ひとりの人間』がいる。そして、そのひとりの人間が、ひとつの思いを抱えながら生きていこうとする。それは『競争じゃなくて、愛の世界を作りたい』という願いだったりする。彼女のこの言葉を聞かなかったら、あたしは、彼女のことを「ただただ華やかな世界で生きているひと」くらいにしか、思えなかったかもしれない。自分と彼女の間に線を引いて、あのひとはあのひと。自分は自分。みたいな風に、境界性を作ってしまっていたと思う。
でも、同じ人間なんだなあって思ったら、なんだかすごい尊敬した。前に作った曲の中に「あなたはもうひとりの私です」って歌詞があるのですが、なんだか、そういう気持ちになりました。競争じゃなくて、愛の世界を作りたい。こんな気持ちで働いているひとがいる世界って、なんだか、すでに夢の実現に貢献しているって思わない???あたしは、勝手に、世界の『捨てたものではない度数』が上昇するのを感じました(って、まったくうまい説明ができていなくてY様ごめんなさい!!)。素晴らしい時間をありがとう。
99曲を作って、次で100曲になります。今日、ふと思ったこと。大嫌いなものを直視する。そこに自分がいる。大嫌いなものを直視すると、そこに『自分がいる』ことを知る。こいつだけは許せないとか、こいつのことだけは好きになることができない、みたいに感じるひとのこと、よーく見てみると、どこかに『自分がいる』ってことを思う。どれだけ嫌いなやつだって、懸命に生きている。それがわかると、全部許せる。具体例を出せなくて申し訳ないのですが、自分が嫌いなひと、自分が敵対視をしているひと、そのひとのことを考えるだけでも虫酸が走るようなひと、長い間嫌悪感を覚えているひと、そのひとと、友達になっている姿をイメージしてみて。一緒になって、自分たちの好きなものの話をしている場面を、お互いのこれまでを仲睦まじく話している場面を、イメージしてみて。そこから開く風景が、それによって解かれる封印が、あると思う。あたしは、今日、それがありました。
じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。
坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com
【イベント情報】
7月28日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけましたら最高に嬉しいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!
6月30日開催「Agape 定期演奏会」の動画です。