【往復書簡】男はバカ殿にならねばならぬ瞬間がある。
上の壇珠さんの記事へのお返事です。
おはようございます!!たとえ夜でも!!細胞はこの瞬間も生まれ変わっているならば、どれかひとつの細胞にとっては「おはようございます」が正解であることを信じて・・・おはようございます!!私も毎日絶好調です!!
普段人間が使っている能力って、たかだか全体の10〜20%って言われますよね。ならばこそ、眠っている80%の潜在能力に向かって本日も「おはようございます!!」と言える自分でありたい。自分の全部を使い果たして死にたい。メシ、風呂、寝ると同じレベルで「死ぬ」が常用語になっている我々ですが、好きです。俺、この人生が好きっす。毎日死んで、毎日生まれ変わりたい。昨日までの自分は全部嘘です。あんなもの、ゴミ箱にポア!!です。
ご覧のようにわたしは腐っていて腐敗臭が漂っています。〜中略〜
自分の固有の腐敗臭こそが、周囲に「壇珠参上・・!」の言葉代わりになるのだと思っています。臭くて気づかれる。臭さで知られていく。臭さで生きていく。その弱点臭が自分のフェロモンですらあるのだと思います。ある人には悪臭でも、別の人には良き香りかもしれません。
こう言える壇珠さんまじでかっこいいっす。ぼ、ぼ、ぼくも腐っているんだなあと裸の大将よろしく「仲間にいれてください」という気持ちになります。壇珠さんが汚物なら、僕は腐った死体です。僕をスミスと呼んでください(ドラクエ5参照)。腐った死体ってすごくて、ザキ【死の呪文】やメダパニ【混乱させる呪文】がまったく効かないのです。なぜならば、とっくの昔に死んでいるし、とっくの昔に狂っているから!!すごくないですか、これ!!無敵!!しかも、スミスの特技は「なめまわし」とか「どくこうげき」とか「どくのいき」とか、基本的にキモいです。生々しさが凄い。今日から俺はスミスだと思えば、無敵です。僕をパーティーに加えてください!
なめると言えば、壇珠さん、聞いてください。私は完全素人の状態で一年前に音楽をはじめたのですが、開始当初は音楽関係者から「お前は音楽をなめているのか」と言われました。へたくそなお前に音楽をやる資格はねえと言われたのです。私は、これを戦いのゴングだと解釈し「これはもう、令和おしゃぶり合戦ペロペロである(平成狸合戦ぽんぽこ参照)。どちらが最後までなめ抜けるかの勝負だ。」と思いました。お前は音楽をなめていると言われたとき、私は、そう言ってくる相手に「お前は俺をなめている」と思いました。俺をなめるな。人間をなめるな。お前が俺をなめるなら、俺は音楽をなめてやる。どちらが最後までなめ抜けるかの勝負、やったろうじゃねえかと思いました。他にも、別の人からは「お前は世の中をなめている」と言われました。スミスの得意技は「なめまわし」なので、そうだ、その通りだ、俺は世の中をなめまわしたい、俺はそれがやりたかったのだと思いました。
わたしは汚物を名乗るだけあっていつもどこかが汚れ、腐っていて、化膿しています。すぐにどこかが滞るのです!!そんな自分を手当しながら生きていますが、自分には腐敗臭によって周囲の昆虫たちを刺激して生態系に一役買っているラフレシアのような役割があるのだと夢のように思っています。
我ら、叶姉妹ならぬ「化膿姉妹」ですね!!うわー!!楽しい!!僕が美香さんをやります!!生態系に一役買ってやりましょう!!自ら率先して汚れ役を買って出る人間には、永遠に汚れることのない「美しさ」があると思います。キリスト教的な『逆説の美』などと言うと語弊があるのですが、俺はこんなに汚れているよ、こんなに汚れているのに生きているよ、だからお前も大丈夫だよ、どんなに汚れても生きていけるよ、困った時は俺を思い出してね、いまここにどんなに汚れても前を向こうとしている人間がいるよと、自分が汚れることを通じて我々に「大丈夫だ」ということを伝えているように見えて、なんだか泣けてくるのです。綺麗な人間だけが生きていてもいいという世界ではなく、汚れても、汚れたままでも、生きていてもいいのだという許可を感じます。おおいなる肯定を、おおいなる慈愛を感じるのです。
3年間母乳を与えて布おむつで育てた間の作業が、『おままごと黒帯レベル』という感じで忙しかったのですが、あとは徹底的に娘の味方をするのみで、子育てについてなにも立派なことが言えない汚物母です。子育てについて、「生むのはまだ楽!生んだあとがほんとうに大変なんだからね!」とあちこちで言われましたが、わたしは自分の歪みを心配しまくっていたためちょうどそれと反対の「生むのが最大苦で、生んだあとは極楽」でした。
壇珠さん、生まれてきてくれてありがとうございます。壇珠さんの存在は希望であり、光です。私は、常々「生きることより、生きたいと思うことが大事だ」と思っていたのですが、昔からなかなかそう思うことができませんでした。なにかこう「こうあるべき」とか「普通はこういうものだ」というガチガチの雰囲気やムードを感じることが多く、結婚も「なかなかしたいとは思えない」と感じることが多かったです。理由は「なんだか苦しそうだから」というものが多かったのですが、壇珠さんの経験談は、なにかこう「あれ、そっちの道も案外楽しそうだ!」という気持ちに僕たちをさせてくれます。こうあるべきの呪縛から解き放ち、こういうやり方もありだよ、自分はこんな感じでみんなとは真逆だったよ、と、新しい価値観(?)に触れさせてくれます。本当、もう、生まれてきてくれてありがとうございます!!!
本音を言うと、ダメなところがあったっていいじゃんっ、そんなあなただって素敵じゃぁん大丈夫よぉ、みたいなことを言いたいとは少しも思っていません。あぐぐぐこんなことを書いていいのだろうかという思いとタイマンで戦いながら書いていますが、自分はダメだという人に、チミはなにをナメたこと言っちゃってんだと思っています。最初から、「貴様は無敵だ」とばかり考えてしまいます。99.99%、「えっいや、でも・・」と返ってくるので、「うるさい!つべこべ言うな!貴様は無敵なのだ!」と言いたいのです。己の腐敗臭の強弱ツマミを最大にして言いたいのです。こんなところが弱くて、あんなところがダメでとあれこれと反論されても、「黙れ!戯言を言うな!貴様は無敵だ。なにかそこらの基準でダメに見えても無敵なのだ。それ以外の可能性はない!わかったな!!」と言いたいのです。怖いものがないという者が無敵なんじゃない。怖いものいっぱい、恥いっぱい、弱点いっぱいで腐敗臭最大なのに不敵な笑みをたたえている者こそが無敵なのだと思います。
ありがとうございます。ありがとうございます。爆笑したのちに、小生、合掌をしました。壇珠教の信者誕生です。これは「自分教」の信者であることを意味します。私は私を崇拝します。私は私を崇め奉ります。金輪際、つべこべ言うことをやめます。正直に言えば「たまに娯楽としてつべこべ言わせてください」と思う以外の部分では、屁理屈をこねることをやめます。私は私が無敵であると思うことを許可します。ありがとうございます。時折「坂爪さんのように、自分ももっとわがままになりたい」というお声をいただくことがあるのですが、正直、あなたはすでにわがままなのだと思います。わがままになりたいと願うことは勘違いで、あなたはとっくの昔から「わがままで強欲な人間」なのだから、そこを認めて、ただ、そこを解放するだけでいい。真面目で謙虚でいい人を演じたがる自分をぶちのめして、自分の『その部分』を認めやがれ、と。本当は色々思っているのだろう、と。本当は自分はもっとできるってことを知っているのだろう、と。見せてみろよ、お前を。遠慮はいらねぇ、出してみろよ、もっと生きてみろよ、と・・・!!!
男はバカ殿にならねばならぬ瞬間がある。男も女も関係ないのですが、周囲から「殿、ご乱心を!」と心配されちゃうくらいのことを、やっちゃう必要があるのだと思います。自分がバカ殿になると、誰かがバカ殿になることを許せます。あるよね、と。人間ってバカ殿になりたくなることがあるよね、と。とりわけ、世の女性陣(とりわけお母様方!!)にそれを言いたいと思います。こどもたちから「お母さんがおかしくなっちゃった!」って、心配されちゃうくらいのことをやったときに、案外すべてはスムーズに流れ出す気がしています。私の母親はかつて家出をしたことがあるのですが、最初は心配をしまくったけれども、それによって解放された母親を見て「よかったね」と思いました。あなたのために私は苦しいことにも耐えて生きているのよと疲れた姿を見せられるより、非常に申し訳ないけれど私は私のために生きる時間が必要でそれがないといよいよ発狂してしまいそうになったので逝ってきます、と、短期的に失踪をした方が「おお、人間だな」と思います。
私の母親は山形生まれのおしんみたいな人なのですが、60歳を超えたいま、パチンコと麻雀にはまっています。パチンコをしていると落ち着くらしいです。麻雀も「友達ができるから」という理由で、足繁く社交場に通っています。そういう母親を見て「いいな」と思います。私の両親は自営業(理容室)だったものですから、これまでは子育てと仕事ばかりの人生だったのだと思います。それから解放され、賭博だろうがなんだろうが、楽しそうに生きている母親を見ることはとてもうれしい気持ちになります。時折、数少ない友達とバス旅行みたいなものもしています。今日はこんな景色を見たよとかへたくそな写真が送られてくるのを見ると、和みます。どちらが親なんだかわからない気持ちになりながら「よかったね」などと返信します。次はここに行きたいと思っているのよと話す母親を見ると、ああ、なにかをやりたいと思っている間は生きていてくれるのだろうと、不思議な安心感を抱きます。どんどんやってくれ、どんどん自分の人生を楽しでくれと思います。
昨日、モテる男の伝授するモテ秘訣みたいなことが書かれた記事を読みました。そこには、まずは初デートの下見をしろ、どこで驚かし、どこで感動させ、どこでロマンチックな気分にさせ、それらのシーンでなにを言う事前に決めておけ、的な事が書かれていました。それを見て自分の心に自然に湧いたものを加工せずに表現すると、うっぜーわたしぁまっぴらごめんだわ、と、蹴りたい、でした。ここで予定通り驚いてくれるよねっ?みたいな期待のある人とわたしは一緒にいたくありません。どんなに大切にしたいという思いから考えてくれたことだとしても、こちらの反応までをもガチガチに予定しなくていいじゃないかよと。その初デートで女を一発で落としてかっこよくキメたいのはお前だろと思いました。わたしはその道具ではないので蹴りたいと思いました。わたしにとっては、ロッキー・バルボアとエイドリアンの最初のデート、あの行きあたりばったりの、必死の思いのこもったデートこそが真のデートです。圭吾さんは、女性とのどんなデートが好きですか。ああ、こうして自分の暴力的な面まで公開することに躊躇しかありません。しかし行く!!ビビっていてはせっかく圭吾さんからいただいたバケモノの名がすたります。
ありがとうございます!!壇珠さんの存在は救いです!!私も、昔は「こういうことができなければ男ではない」などと思い込み、世にあるマニュアルを必死でなぞるような生き方をしていた時期がありました。しかし、あまりにも窮屈(退屈)で「これをやらなければ生きていけないのならば、生きていたいと思えない」となりました。それ以降、悪い意味で開き直り「俺がいいと思うことをいいと思わない女とは合わない」と思うことを自分に許可しました。具体的に言えば、私は永遠に公園で遊べる女性が好きです。なんでもない道の「面白いポイント」を探しながら永遠に散歩をできる女性や、大型ショッピングモールで悪態をつきながら各店舗を回るという『遊び』を楽しめる女性が好きです。おしゃれカフェもいいですが「うまいものを食べるより、いかにうまく食べるかだろ」を重要視したいので、高級ホテルのラウンジで一杯1500円のコーヒーを飲むだけではなく、誰もいない新潟の海にシートを広げてコーヒー豆を手動ミルで挽きながら「風が気持ちいいね」とか言いつつその辺の水道水をキャンプ用バーナーで沸かして淹れたコーヒーを味わいながら楽器を弾いたりお昼寝をする、それが可能な女性が好きです。
あとは、大前提として「女性には、めちゃめちゃわがままを言ってほしい」と思います。できるできないは一回脇に置いておいて、自分はどうしたいと思っているのか、自分はなにを最高だと思っているのか、無理難題を引っ掛けて欲しいと思います。私自身は結構空っぽな人間なので、無理難題を言われると「よし、ここが男の腕の見せ所だ」となり、クリエイティブになれます。それは別に超絶高級なホテルに泊まりたいとかでもいいのです。普段の自分ならやらなそうなことでも、女性から言われたら「よっしゃ」となります。そして、できる限り意表を突いた形でそれを実現させてやりたいと思います。たとえリッツカールトンに実際に泊まれることはなかったとしても、精一杯のおままごと力を発揮して「これが本当のリッツカールトンだ」と、自分なりの世界観を相手に示したいと思います。それは、狭い自分の部屋を華美に彩っただけの一時的で矮小で周囲から見たら一笑にふされるだけのものかもしれませんが、自分なりの真心を込めた空間を作りたいと思います。
そして、これも大事なのですがダメ出しもしっかりされたいと思います。私は、女性から「カラッと言われるダメ出し」が大好きです。先日東京で女性編集者のM様と一緒に出版記念トークライブをやりました。その場があまりにも素晴らしく、後日、M様に「本当にありがとうございました!!今度、しっかりとお礼をさせてください!!」と連絡をしました。すると、M様からは「お礼なんていいからお前は黙って本を売れ。売って売って売りまくれ。」と言われました。本当はもっと柔らかい言い方ではあったのですが、私は、こういう風に言ってくれる女性が大好きです。ああ、たまんねえなあと思いました。一生ついていきますと思いました。男は女をけしかけて、女は男をけしかける。一緒にバカ殿になりながら、自分の理想を、そして『自分たちの理想』を実現させていく。小生、そんな関係性が大好きです!!!