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第123弾「はじめてそれを見たときのように」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

123曲目はこれ。はじめてそれを見たときのように。昨日、熱海で海上花火大会がありました。たくさんの家族連れがいて、こどもたちのテンションも高い。走ることを覚えたばかりの女の子が、あたしの方に向かって、全力疾走をしてきました。そして「ねえ、見て」みたいな感じで、変なポーズをする。きっと、彼女の目にはすべてが新鮮に映っているのだと思う。この世界にやってきたばかりで、目に映るものすべてが新しい。好奇心の塊というか、好奇心そのものになって、あらゆるものにぶつかって行く。彼女が世界を眺めている純度と、同じくらいの純度で、自分も世界を見れたらと思う。

「はじめてそれを見たときのように」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

無邪気な日々を 転がり落ちた 戻っておいでよ

忘れないことは難しいけど
何度でも 思い出せるから

はじめてそれを見たときのように
ちいさな腕を 伸ばして

同じ形に開いた口から
違う心に 流れて行く

記憶の海を 泳いで行くよ 透明なままで

こんな命(すがた)じゃ 恥ずかしいけど
もう一度 愛し直すから

はじめてそれを見たときのように
高鳴る 胸の 痛みと

同じ涙を 流した瞳に
違う景色が流れて行く

はじめてそれを見たときのように
おおきく 腕を 伸ばして

同じ形に握った指から
違う心が 流れて行く

はじめてそれを見たときのように 
もう一度 胸を 開いて

同じ景色を映した瞳に 
違う涙が 流れて行く

熱海の家は「逢初庵(あいぞめあん)」と名付けています。近所に伊豆山神社があって、そこは縁結びでおなじみ。源頼朝と北条政子が結ばれた恋愛成就のスポットで、二人が愛を語ったと言われている「腰掛石」とかもある。逢初庵は、あたしが二年間の家なし生活をした果てに、心ある方(名前をムラキさんと言います)から譲り受けた家になります。だから、自分一人で独占するのも変な話だなと思い、使いたい人なら「誰でも無料で使える(泊まれる)」家にしました。この活動(?)をはじめて、だいたい、四年間が過ぎました。この家に暮らし始めたときは、この家の存在と、ムラキさんの心遣いに感動しまくって、初夜とか涙を流していた記憶があります。ありがたくて、ありがたくて、そして、家なし生活を通じて「実は、おれはずっとさみしかったのだな」とかいうことを思い知ったりして、全部、涙になった。

この気持ちを忘れたくない。そんな思いから『逢初庵』と名付けました。初めて出逢ったときの新鮮な気持ち。これは、きっと、人間関係も同じだと思う。新鮮さを保つことは結構難しいもので、油断をしていると「あって当たり前」とか「そこにいてくれて当たり前」とか、思っちゃう。だけど、これって、もったいないことだと思う。家のない時期は、普通に野宿とかもしていた。二年間の家なし生活を通じて、一番しんどかったことは「横になれないこと」だった。カフェなどで座ることはできる。だけど、都会などにいると、横になって休むことができない。カラオケとか、漫画喫茶とかに行けばいいのだろうけれど、昔からお金がなかったあたしは、家のありがたみは『人目を気にせず、思い切り横になれること』なのだと、思い知っていた。

そして、幸せのハードルがさがった。家がないということは、布団がないということ。だから、誰かの家に泊まらせてもらえたときとか「うおー!布団だー!」とか、布団で寝れることに猛烈に感動した。寒い日に野宿をした次の日とか、あたたかいお風呂にはいれたときは「文明、最高・・・」とか、もう、天にも昇る気持ちだった。当たり前が当たり前じゃなくなると、当たり前が『史上最大の幸福』みたいになる。だから、あれから、あたしの幸福のハードルは、爆下がりした。逢初庵があり、いつでも風呂にはいれる。いつでも布団で寝れる。おまけに冷蔵庫まである。なんということだろう。これ以上、なにも文句を言うことはない。あたしは、ゴールをしてしまった。

だけど、油断をしていると「あって当たり前」とか思っちゃうから、時間を見つけては野営をしたり、お金もないくせに遠出をする。一回不便を味わうと、当たり前の快適さが身に沁みる。しんどいときも「ネパールでは、真冬は氷点下にもなるのに水で体を洗っているんだぜ」とか思えば、ちょっと、勇気になる。必要ない力かもしれないけど、生きる力を得る。比較的しんどい環境の中で、それでも「自分は、案外、幸せな人間だ」と思える思考の癖を、獲得できる。不便さのなかに身を置くと、知恵や工夫の余地も生まれるから、それが楽しかったりもする(それが思い切り面倒臭いときもある)。

はじめてそれを見たときのように。この気持ちを、大事にしたいと思う。こどもとか見ていると、その純粋な眼差しに、見ているこっちが泣きそうになることがある。なにをするにも一生懸命。彼らの姿が心を打つのは、一生懸命だからだと思う。命全開だからだと思う。思い込みや、決めつけが少ないから、きっとすべてが新鮮で、きっとすべてが『よろこびの対象』になるのだと思う。おとなになると濁るから、なにかを見ても「きっと、こんなものだろう」とか「あいつは、あんな人間だ」とか、一方的に思い込んだり、一方的に決めつけてしまうことが、どうしても増える。結果、過去(記憶)にとらわれてしまって、新しい世界を拓く機会を、ゆっくりと失ってしまう。

9月9日(月)に吉祥寺ライブがあるもので、いま、これに命を賭けています。この日が、あたしたちの命運を分けるような気がしている。無理やりひとを呼ぶのも違うのかな、とは思うけど、でも、みんなに見てもらえたらものすごい嬉しいです。デモ音源はあたしひとり(ギターと歌)だけだけど、これがバンド編成になると、一気に化けることがあるの。動画だけでは伝えきれない、リアルな振動というのかな、音楽って結局振動だから、それこそ『波動』みたいなものは、同じ空間を共有していないと、なかなか伝えることができない。もちろん、動画にそれを詰め込むことができたら一番なんだけど、もしよかったら、一度ライブに来てもらえたら本当にうれしいです。

8月31日(土)には、東京の四谷でライブがあります。この日はトークイベントも一緒になっています。主催者は、ロンドン在住のまさこさんと、キカさんです。ロンドンの風が、確実に吹きます。今月のあたしは謎に欧州づいていて、先週はパリ在住のきさよさんに会い、おとといはイタリア在住のミユさんに会い、来週はロンドン在住のまさこさんとキカさんに会います。不思議なもので、誰かに会うと、そのひとが暮らしている街の風まで、一緒に吹いているような気がする。日本で会ったとしても、不思議と、遠い異国に来ているような気持ちになる。きさよさんに会うと「またフランスのバゲットを食いてー!」となるし、ミユさんに会うと「またイタリアのカフェとかで『チャオ!』とか言いてー!」となるし、まさこさんやキカさんに会うと「またグラストンベリーのチャリスウェルに行きてー!」とか、思う。遠くに暮らしているひとといると、心が飛翔する。ひとと出会うということは、そのひとが暮らしている環境と出会うことと、似ているのかもしれない。

元気なひとって、二種類いる。一緒にいると『こっちまで元気になれちゃう』ひとと、一緒にいると『こっちはなんだか疲れちゃう』ひと。この、二種類。あたしは、言うまでもないことだけど、前者のひとが好き。だけど、前者のひとってめちゃめちゃ少ない。でもね、Agapeのメンバーは(少なくともあたしにとっては)前者の人たちなの。彼らは天然記念物だと思うし、彼らは絶滅危惧種だと思う。元気なひとって、テンションに無理がないひとなのかなって思う。逆に言えば、不自然に元気なひととか、一緒にいると疲れちゃう系のひとからは、まるで『テンションの押し売り』をされているような気分になる。楽しもうぜ、いえーい!とか言われても、あたしは偏屈者だから「楽しむかどうかは、俺が決める(お前は黙っていろ)」とか思っちゃう。お前に言われて楽しみたくねえよ、と。でもね、ナチュラルに元気なひとって、思わずこっちもつられて楽しくなっちゃうような、魅力がある。

それでね、あたし、思ったの。なにかを与えるひとって、受け取ることも上手なひとなのだと思う。愛が大事とか、言っているひとはたくさんいるけど「お前が、お前を愛せていないじゃねえか」って思うこと、腐るほどある。自分がもっていないものを、自分以外の誰かに与えることなんて、できるはずがない。逆に言えば、ああ、このひとは本当の意味で与えるひとだなあって感じるひとは、必ず『与えることと同じくらい、受け取っている』ひとだと思う。それって、普通の人が「そんなこと、当たり前のことじゃないか」って見過ごすようなことのなかに、大きなよろこびを見出したり、新鮮な輝きを見出すことができるひとだと思う。自分が、愛されていることを知っている。自分が、許されていることを知っている。朝日を眺めるだけで「ありがとう」って思えちゃうような、とかげの赤ちゃんを見て「うわあ」と力をもらっちゃうような、万物から力を受け取ることができるひとが、同じように、誰かに力を与えたり、元気を与えることができるのだと思いました。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

8月24日&25日(土&日) 15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

8月31日(土) 13時~@東京都新宿区四谷「シアターウイング」

9月9日(月) 19時半~@東京都吉祥寺「曼荼羅」

○バンドプロフィール紹介

Agape(アガペー=神の愛という意味がある)

2014年2月14日。Guitar & Vocal の坂爪圭吾が、当時同棲していた彼女に振られ、振られた勢いをそのまま活かすかたちで、「ひとは家がないと生きていけないのか」という問いを持ちながら、定まった家がない状況で如何にして生きていくかという実験を開始。

その体験談を綴ったブログ『いばや通信』が、爆発的な人気を博し、結果的に日本全国、世界20ヶ国ほどに、トークイベントなどで招聘されるようになる。「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトに基づいた会社、【合同会社いばや】の代表としてブログや講演活動に専念するなか、“家を熱海に買ってもらう”というゴールを果たした頃に、会社が円満解散。

ホームをレスしてからちょうど5年後。2019年2月14日。イタリアはヴェネツィアで、ある女性を通じて「音楽をやりなさい」という啓示を受けた坂爪圭吾が、日本に帰国後、一日一曲の曲作りに邁進するなか、一人、また一人と毎月メンバーが増えていき、現在5人体制で活動している(今のところ全員無宗教)。

メンバーのほとんどが、“中学校の授業以来”という驚愕のバンド結成状況の中、「ド素人から成長していく姿を公開していくことが、自他共に勇気が出るのではないか」と開き直り、約半年で、およそ百数十曲の音源を作る。それらの楽曲は、「ジャンルはなんですか?」とカテゴライズされないために、様々な趣向が凝らされている。

メンバーそれぞれが、駄目なら駄目なりに、失敗したら失敗したなりの姿を晒していくスタンスで、“技術だけではない何か”を感じてもらえるような演奏を心がけている。

◯メンバー紹介

Guitar & Vocal の坂爪圭吾(34)音楽活動歴約半年で、毎日一曲のペースで創作し、百数十曲の持ち曲のほとんどの作詞作曲を手掛けている。

Bass 保科亮太(31)音楽活動歴約五ヶ月で、「圭吾さんがギターで、ドラムは重そうだから」という理由でベースに挑戦。作詞も手掛けている。

Guitar 竹谷純平 (34)音楽活動歴約四ヶ月で、「誕生日が一番早いのと、唯一の長男だから」という理由でリーダーに抜擢。愛されキャラでありつつ、“アニキ”の愛称で親しまれる。ライブ時のMCと、エレキギターでのソロ演奏に注目。

Keyboard & vocal 稲村彰人 (26)音楽活動歴約三ヶ月で、仲良くしていた先輩たちに、半ば強制的にバンドに加入させられる。が、秘めていた才能が開花。その独自の世界観と歌唱力から、米津玄師さんに対抗しないかたちで人気を獲得している。

Drums 嘉向徹(28)バンド結成前から坂爪たちと親しくしていた、最後の精鋭。メンバー全員が「アガペーのリズム体になるのは、彼しかいない」と断言し、その登場を待ち続けていた。“ドラムというより、大地そのものを叩きたい”という独特の表現は、幼少期から海とさざ波の中で育った背景に起因している。音楽活動歴、堂々の0ヶ月で、初ライブに挑む。

◯バンドからのメッセージ

まずは「1年後、見ててください!」を合言葉に、Agapeを応援してくれているファンと共に成長していきたいと思っています。年齢的にはアラサーですが、まだまだ多感な我々Agapeの音楽を、ぜひリアルで体感していただけたら嬉しいです。


バッチ来い人類!うおおおおお〜!