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【映画】ボレロ 永遠の旋律

音楽好きな次男(中二)からの夏休み映画の希望が本作だったので、初日に長男も一緒に、3人で観てきました。

ボレロといえばクロード・ルルーシュの『愛と哀しみのボレロ』(1981)ですが、私は中学の時ゴールデン洋画劇場をエアチェック(死語……放送されたラジオやTV番組をカセットテープやビデオに記録すること)して何度も見ました。
ヘラルド映画文庫というレーベルで出ていた日本人著のノヴェライズも読んだりして(でも映画をノーカットで鑑賞したことはないという……)。
あの映画は、モーリス・ベジャール振付でジョルジュ・ドンが踊る『ボレロ』を堪能できる作品で、ボレロのイメージのスタンダードを多くの人に植え付けたのではないでしょうか。

今回の映画『ボレロ 永遠の旋律』では、モーリス・ラヴェルがボレロを作曲し、その後ヒットしすぎて苦しむ経緯を中心に、彼の生涯を描く伝記映画。
物語はオーソドックスな印象もありながら、『オッペンハイマー』のように時間軸が交錯する複雑な構成もあり、そうすることであの曲に物語が収束していく感覚を味わうことができるなかなかの作品でした。

なんといっても素晴らしいのは音響デザイン。
工場の騒音や生活音、小鳥のさえずりや海の波といった自然音など、多く流れる音楽と対等に様々な効果音が使われており、こうした音に満ちた世界から主人公が曲を作って行くのだなと感じさせる音響でした。
いろんな音の中から、時々「あのリズム」が覗いたり、ジャズバー(? っていうの?)でサックスのソロが印象的に使われたり、作曲家のインスピレーションを追体験するみたいで興奮させられます。

冒頭のアヴァンタイトルは騒音に満ちた工場の場面。
20世紀初めの未来主義的な世界が表現されるとともに、トーンを抑えた一流を感じさせる映像で始まりますが……
直後のオープニングでは世界中でポップスやジャズにアレンジされて親しまれるボレロのビデオ映像が次々とクリップされ、その時は「ダサっ!」と一瞬思いました。
TVドキュメンタリーみたいじゃんと。
しかし普通はエンディングで使うような実写映像だけに、ラストには持っていけなかったんだろうと納得。
フランク・ザッパとかキメラといった私のお気に入りアーティストも使われてたのでヨシ!です。

それ以外の本編映像の方は、かなり暗め、被写界深度浅めでちょっと見づらいぐらいなんですが、フランス映画らしい風格ある映像に浸れます。
演技・演出もひたすらシブくて、内省的なラヴェルの微妙な表情を眺めながら、彼の内面への旅につきあうかのような映画になっています。

ラヴェル役のラファエル・ペルソナという俳優が、寡黙な主人公を味わい深く演じました。
『2001年宇宙の旅』のボウマン船長っぽい顔だなと思っていたら、後半で彼が器をテーブルから落とすところで『2001年』にますます似ていると思い、その後の展開も2001年っぽく…… ニーチェ曰くの赤子に回帰するボウマン船長に重ねられている……
いや、これは単に「どんな映画を観ても2001年宇宙の旅かブレードランナーに見える病」の症状かもしれませんが、ほとんどすべての映画監督は、意識せずとも2001年とブレードランナーと時計じかけのオレンジに似た映像を撮ってしまうものなので(暴論)仕方ありません。

さて本作でも、ボレロのバレエは出てきますが、初演時のイダ・ルビンシュタインによるバレエの再現、後半でのフランソワ・アリュというダンサーの踊り、双方がかなり対比的に感じられ、とりわけ後半での踊りには感動させられます。
『愛と哀しみのボレロ』のジョルジュ・ドンのその先に、これがあるんだなっていう感動もありました。

そのイダはちょっとヴィランぽくて、彼女のバレエにも違和感があったりするのですが、なんといっても曲の発注者であることや、曲が持つ性的な感覚を敏感に指摘してました。
ラヴェルには絶対に必要であったと思える、そんなアンビバレントなところがありました。
人妻のミシアとも、その関係性はアンビバレント、またはそれ以上に複雑なものがあったように描かれています。

このような形でラヴェルの人間としての姿に迫ろうとしたしっかりした映画で、我が子たちも満足したようでした。
次男は「夜のガスパール」を演奏する場面があったと喜んでました(私は知らない曲でした)。
私としては、もっとテンション上げて盛り上げたり、エグい描写があってもいいんじゃない? と思ったりもしましたが、(耳と目をしっかり使って鑑賞すれば)全編が高密度ですので、十分以上の出来だったんじゃないでしょうか。

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