閑話休題、語られていることより語られていないことに目を向けてみる。
連日のウクライナ報道で、心が悲しくなったり、かきむしりたくなる感情を抱えているのは自分だけじゃないはずだ。2018年、ロシアでワールドカップが行われたし、たとえ社会主義的な側面があったとしても、民主的な側面や資本主義的な側面もあって、おそらく住む人たちの感覚って、日本の人と、さほど変わらないと思う。例えば、大学院時代の友達がウクライナにもロシアにもいるし、ほとんど自分と変わらない。
そんな感覚がある(と想像している)国が戦争を始めるって、、、自分と変わらない人たちが体験してるかと思うと、とても悲しい。と、同時に世界ではまだ、どこかで内紛や内戦や戦いがあると思うと心がキュッとなる。
東日本大震災のときに感じた感覚と同じようなものも感じる。自分の持ち場で自分のできることをハチドリのようにするしかないけど。。そんな思いを抱えつつ、戦争のことをちょっとおいて、自分の心を落ち着かせるためにもnoteを書く。
世界は良くなっている。
気候危機、戦争のこと、貧困問題、食料問題など世界では多数の課題が未だ浮き彫りだけれど、それでも世界は良くなっている。そのことを数値や事実でちゃんと示してくれたのが「ファクトフルネス」だ。良くなっているという側面を受け止めつつ、悪い面も受け止めた方が心が軽くなる。
貧困問題において、1日2ドル以下で生活をしている人々の割合は、1997年には世界の人口の29%を占めていたけど、2017年には9%まで下がっていたり、他にも飛行機事故やHIVの感染者の減少、オゾン層の修復など、良くなっていっている側面ちゃんとあるよねっていうことをまとめていてくれる。
その上で、どういうメガネを持っていたらデータをちゃんと見れるか示唆してくれるのがファクトフルネス。いろんな人が書評書いてくれるてるので、関心ある人はぜひ。
認知バイアスを刺激する性悪説に基づくものが世界に溢れている。
もうひとつ紹介したい本がある。ヒューマンカインドだ。新進気鋭の歴史家、ルドガー・ブレグマンが書いた本だ。大雑把にいうと、人間の根本は「善」であるということを、科学的見解や事実を踏まえて述べている。また、どういった背景や歴史のもと悲観的な「悪」と見る見方が広まったのかを合わせて論じている。
ファクトフルネスにも出てくるが、人はバイアスがある。しかも悲観的な見方をしてしまうのが、強い。この本でも紹介しているが、ジョージ・ガーブナーの「ミーン・ワールド・シンドローム」や「ネガティビティ・バイアス」「アベイラビリティ・バイアス」、様々なバイアスがある。
ヒューマンカインドで好きな事例は「蝿の王」にアンサーする「トンガ」での出来事だ。もともと蝿の王は1950年代の作品で、とある無人島に難破し、漂流した少年たちがお互いを助けるのではなくて、傷つけあう作品といった類の作品らしい。今でいうイカゲームやバトルロワイヤルを彷彿とさせる。
作者のゴールディングは人の持つ暴力性、みたいなものにフォーカスしている。ブレグマン曰く、実際、作者は暴力性に見初められる環境、つまりは精神が病んでいたと本の中でいっている。蝿の王は、第二次世界大戦などの時代背景もあって、人間ってやっぱり「悪」じゃんっていう風潮が広まりやすかった。
語られていない世界線は慈悲であふれている。
しかし、ブレグマンは、「蝿の王」は本当なのか、という問いを思いつく。そのアンサーが「トンガの漂流者に関する日曜番組」だ。トンガで起こった事件は世間にはひろまっていない。ドキュメンタリーが撮られたらしいが、あまり面白くないものだったらしい。1960年半ば頃の話だ。
内容は、こうだ。
驚くのは、ここでの生活の期間。
15ヶ月もの間だ。しかも、彼らをピーター・ワーナー船長やメンバーは一生涯の親友になった。(今も生きている。)
語られてない世界の大切さ
少し話を飛ばして、今自分が考えている領域のこと。ギリガンが端を発したケアに基づくものって色々なところで語られていないらしい。ケアの倫理とエンパワメントでも書いてあったが、文学の世界でも「ケア」に関しての研究考察がない。でも、調べていくとこれからの時代に大事なものがあるような気がしてならないんですね。
ファクトフルネス視点で見ると、世界は良くなっているし、ブレグマン的視点でいくと人間は善良だ。心をかきむしりたくなることばかり見えてしまうとつい忘れがちになってしまう。だからこのnoteに書いておいた。見えてない世界、語られていない世界に目を向けることで見えてくる大切なことがあるはずだから。
あなたは、見えてないこと、語られていないことに目を向けるとしたらどんなことが思い浮かびますか。
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