きくにまつわるよもやま話
公務員時代に感じていたモヤモヤ。ヒエラルキー代表の行政組織がどうしたら、変わっていけるのだろうかをずっと感じていた。どの会社だってそうだと思うけど、「ここが変だよ」が中堅職員になってやっと物申せる、みたいな空気とシステムとかって、そもそも健全でない気がしていた。
でも、どうしたらいいんだろう。
思いだけ先ばしって、具体的にどうしたらいいのかわからなかった。
そんな中、慶應義塾大学に出向する機会をいただいたときに、夕凪50講という時代を先どるパイオニアの考え方をきくというイベントに出会った。
シンプルな答えからはじまるロングジャーニー
ゲストは西村佳哲さん。
最近は、あまり「働き方研究科」という肩書きを使っていないけれど、西村さんが働いていた時に感じていたモヤモヤはなんだったのだろう、ということを丁寧に問い続けた本「自分の仕事を作る」などを書いたり、徳島県神山で一般社団法人神山つなぐ公社の理事としても活動されていた。
西村さんは、この著書の中で、素晴らしい人々にインタビュー、いや、話を「きく」ことを行ってきた。西村さん自身、「きく」ことを
私にとってひとの話を〝きく〟ことは「相手が自分をより表現出来る時間を、一緒につくること」です。
と書いている。本だけじゃなく、さまざまな人の話を聞いてきたプロセスを通して、西村さんが感じている「きく」の世界観が構築されていったようだ。その世界観に触れることのできるワークショップもある。
さて、前段が長くなってしまったけれど、ゲストに来ていた西村さんが言っていた言葉がこれだ。
「話をききあえる組織が一番強い」
冒頭のモヤモヤを感じていた自分は面食らった。そんな日常にあることが回答だった。けど、これだけじゃわからない、とインタビューのワークショップに即応募していた。
言葉に温度が灯る瞬間に感動する。
好奇心が強く、人の話に興味を持ってきくことに長けていると思っていた。そんな自分がこれまで本当にきけていたのだろうか、という問いをもらったインタビューのワークショップであった。僕は、そこから「きく」ということの世界にどっぷりとハマっていく。
西村さんのワークショップ後には、産業カウンセラーの資格を取得。NVC(ノンバイオレンスコミュニケーション)、コーチング、メタファシリテーション、対話、1on1、様々なフォーマットで「きく」を実践し、学んだ。極めつけは、スウェーデンの大学院で学んだリーダーシップの本質は「きく」ことであった。
自分の中で、話をする、きく、の意味や文脈が普通の人がイメージするもの以上になっていった10年だった。
「きく」ことって日常の中にもあるし、それこそ専門的にカウンセリングや精神的な治療などの分野でも扱われているので、言葉が持つ幅や意味がとてつもなく広く深い。なので、自分がどういった領域や文脈で「きく」を扱っているのかっていうことを説明するのもとてつもなくむずかしい。
けれど、なぜ魅了されているかは説明できる、、、
例えば、1on1やワークショップのシチュエーション。話すこと、きくことの心理的安全性やタイミング、その場にいるメンバーや場所、様々な要素が絡み合って、その場でしか出てこないであろう本当の言葉、飾らない言葉、立場や人が持つ囚われをカタルシスできた言葉などが出てくる瞬間がある。
自分は温度がある言葉って表現している。
その言葉が出てくる瞬間にたまらなく人間を感じる。ライブを感じる。喜びを感じる。生を感じる。心のゆれを感じる。
そんな感じだ。
アウトカムが見えないコンプレックス
帰国してからずっと対話、対話といっていて。なぜ話をすること、きくことが大事なのかは、社会的な文脈でもやっと言語化できてきた。シンプルにいうと、適切な課題発見っていうことなのだろう。
今なら適切な課題発見以外にも、話せる、きけるっていうことは心理的安全性が高くなって、パフォーマンスも上がる。エンゲージメントも高まる。メリットはいくらでも科学的根拠に基づいて説明ができる。
一方で、気づいたこともたくさんある。
・わからないものを扱っている。
・評価しずらいものを扱ってる。
・あったときとなかったときの比較ができない。
・変化があったとして、そのことの価値が主観的であること。
・時に、とてつもなくプライベートなことが表出することもあるので、心理領域のプロでないものがどこまで扱っていいのか、という葛藤。
・北欧のように話す、きくの技術や心構えなどの土壌がないと、そもそもとっつきにくい。
など、様々な気づきがあった。そして、もっとも大きなことが、
「対話しよう。」っていうと、自分が寄り添いたいことから、遠く離れてしまうような感覚があった。
日本とスウェーデンの文脈の違い
スウェーデンかぶれな視点なんだけど、やっぱり話をする、聞くの技術や心構えの土壌が育っていないのだと思っていて。育っていないっていうと上から目線なんだけど、教育の中に組み込まれていないんだな。
スウェーデン人は、小学校のときから、主権者教育というとぶっきらぼうだけど、個人と社会がなぜ繋がるのか、なぜ支え合わないといけないのか、という答えのない問いに対して対話を重ねる。一人一人の声に価値があるし、声を出す権利があるというマインドセットが育っていく。この積み重ねにより、話すこと、きくことの技術や心構えが育っていく環境がある。ここらへんは自分が住んでいても感じたこと。
主権者教育の中身について気になる人には、こちらの本を紹介します。
自分が日本でも同じことを求めようとしても、そりゃぁ無理な話。土壌を育てるところからスタート。きくこと、話すことって大事なんだ、価値があるんだって考えてる人がいるっていうことを世界にちゃんと表明しないとっていう思いから書いている。
ほんと、そんなところからスタートだ。