不安や恐れからはじまることに従うと、ロクなことが起こらない
今年で関東大震災から100年。とある映画の興行がスタートした。
「福田村事件」だ。
正直、10年に一度あるかないのズーン映画で、noteにでも記録を残さないとモヤモヤがはれない。そして、自分としても人類としてもの学ばないといけないと思い、記す。
関東大震災が起こり、社会不安がましていった。人は、不信感や不安感を募らせ、その矛先は、日本に住んでいた朝鮮人に向けられた。メディアといえば新聞だけで、人々は流言飛語に煽られいった。結果、6000人もの人が殺された。その中には、日本人や中国人や社会主義者なども含まれていた。
100年前の話だ。
扇動とはよくいったもので、社会不安は風みたいなもの。心の中の恐怖に火をつけて燃え上がらせる。恐れは不安にあおられてよく燃えるのだ。
映画の中で、集団心理に囚われたしまった人はそれぞれどこかに恐れがあったように見えた。そして、その気持ちは誰でも持っているような共通の感情だ。
村八分にされたくない
仲間はずれにされたくない
戦争が終わって自分のアイデンティティがわからない
舐められたくない
(村の中で)自分はすごいポジションにいると思われたい(実際はいないから、不安だ、、)
その気持ちを掻き消して、評価される行為が怪しい人たちから村を守ること、だったように思える。それが絶対に正しい!社会不安、そして自分の中の不安や恐怖が曲がった考えが正しいと思わせてしまう。
少し映画から離れる。
社会不安、扇動、集団心理、etcなんかをキーワードに思い出したコンテンツがあった。それは、コテンラジオのヒトラーの回だ。
簡単にいうと、第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、ハイパーインフレや賠償金、その他諸々によって、社会システムが崩れ、社会不安が増大していた。夢も希望もクソもない。
そんな社会状況の中でヒトラーが登場するんです。
ヒトラーは夢のない人たちに演説する。あおっているといっても過言ではない。
「戦争に負けた不甲斐なさ、敵は誰か、なぜ自分達がこの様な状況になっていて、それは誰のせいで、誰を攻撃すべきなのか」
人々の、どこにぶつければ良いのか分からない、不安、恐怖、怒りの矛先を示してくれる。
オレたちは悪くない、悪いのはアイツらだ。
結果、何が起こった。。。
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このヒトラー回で、コテンの皆さんがおっしゃっていたのが表題のようなこと。不安とか恐怖とか怒りとかで始まることってロクな方向に進まない。(うる覚えですが。。)
ヒトラーも福田村事件も、どこか構造が似ている。こういう構造で進んでいくと、やっぱりいけないことが起こる。そんなかでも、いけないことが起きる中でも必死に止める人たちはいる。映画の中では、とめる人たちはどこか村の価値観からはアウトサイダーの人だった。そして痛みを知ってる人たちだったように感じた。
けど、無情にも声は届かなかった。
非常時、興奮状態、聞ける状態じゃなかった。
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ウクライナとロシアもだし、イスラエルとパレスチナ。いろんないけないこと起こっちゃってて、それだけで心がキュッとなる。不断の努力していないと、簡単に火がついちゃいそうな世界かもしれない。
だからこそ、火がつく前に、、、
①不安や恐怖からじゃなくて、好きとか愛からはじまることに従う
②世界は信頼に値する場という観念も心にしまっておく。
※人間ってバイアスがあって、いいことよりもわるいことのほうが残っちゃうみたいですよ。
③普段から、声が届く人を増やす努力する。
結局、倫理観とか道徳に落ち着かせたくはないのだけど、どんな状態にあっても、その引き出しが開けれると人間らしくあれるのかもしれない
最後に、サンボマスター!!!!!!!!!!!!!
不安の構造を吹き飛ばしてくれよ!!!!!!!!!!!!!!!
どんなに打ちのめされたって、悲しみに心をまかせちゃだめだよ
心を少しでも不安にさせちゃダメさ、あかりをともそう
全員優勝