東京
カレンダーに沿わない僕の休日。
起きる時間に縛られないからと、ダラダラと深夜まで眠らずにいた昨日の夜。
ギリギリ太陽が出ないくらいの時刻に眠りについただろう僕が目を覚したのは、リビングから聞こえる、彼が電話で話す声だった。
「いつもお世話になっております!〇〇株式会社の〇〇です〜。今少しお時間よろしいでしょうか!」。
僕は今、友人と二人で暮らしている。
三歳年上の彼は、僕が所属するモデル事務所の先輩だった。
彼は退所して現在は僕しかいないけれど、今もずっと仲が良い。
僕から見る彼は「戦がある時代に生まれていれば、戦国武将になっていただろうな」と思わされるような男だ。
決断力があり、勝負事が好き、賭け事が好き、金儲けに精力的、女遊びが好きで、多趣味。
ファッションモデルをやるぐらいだから細身ではあるものの、190cmを超える身長と長い手脚、着る服に困る事もある程の広い肩幅。
好みの差はあれど、十中八九誰からもイケメンと認められるだろう適度な甘みを持った美しい顔立ちで、低く落ち着いた男らしい声で話す。
現代社会における、男性性の塊みたいな人だ。
あれはたしか二年ほど前。
僕が東京のモデル事務所に所属が決まり、上京して一年弱。
全く思い通りにいかないモデル業と私生活に鬱屈としていた頃、彼と出会った。
初めて彼に遊ぼうと誘われ、指定されて向かった店は港区西麻布にあった。
電車で数十分の距離にあれど、売れないメンズモデルには縁のない場所。
胸を躍らせつつも、日本一金が行き交うだろう夜の街を恐る恐る歩き店に向かうと、それは僕が想像していた港区を体現したような空間だった。
地下一階に構える、薄暗く小洒落た店内で彼が待つ席には、「これぞ港区女子」と言わんばかりの美女6人と、彼とその友人男性4人が座っていた。
「この男!東京だ!!!!!!」と思った。
彼とかなり気質は違えど、色恋沙汰が好きな僕は、自分にとって「東京の象徴ギラギラ男」である彼とよく遊ぶようになった。
先に言っておくと、僕は見せびらかすように派手な遊びに興じる人も場も好きじゃない。
彼の圧倒的な男性性に興味を惹かれはしたけれど、彼は僕が思う「下品な遊び人」ではなかった。
そんな彼と、僕は今一緒に暮らしている。
僕がモデル活動をしながら東京で過ごしたこの三年半で出来た友人の中で、彼は希少種だ。
仲の良い友人に、彼のようにギンギンに男性性を謳歌させて社会を走るような人はあまりいない。
そして僕はと言うと、ずっと中途半端だ。
東京に来た当初までは、わかりやすく社会に蔓延る大きな物差しで、高く評価されることが幸福だと思っていた。
モデルを始めたのも、ファッションが特段好きだった訳でもなく、ただチヤホヤされたかった。「自分はカッコいい」という証明が欲しかった。
でも、それらは思い通りに手に入りはしなかった。
金がないのに稼ぐ場もない僕には、時間と不安だけがあった(突発的に入るキャスティング(仕事のオーディション)と本番日直前まで出ないその合否で、アルバイトも安定してしづらい)。
抱いていた理想とかけ離れた現実にぶち当たった僕は、なぜモデルがやりたいんだ?、モデルで大成すれば満たされるのか?、なぜチヤホヤされたい?、なぜ金が欲しい?、と、自分の欲望と向き合うようになった。
そんな時、僕が考えるヒントを求めたのは本だった。
それまで23年間生きてきて(現在25歳)、全く興味が無かったのに、何故か僕は本に吸い寄せられた。
気付けば、自分でも気まぐれに文章を書いてみるようになった。
インターネットで急速に大量の情報が行き交い、人々の欲望を掻き立て金に変える現代において、恐らく本は最も広告とビジネスに相性が悪いメディアだ(自己啓発本は除く)。
そんな事も本から感じ取り、ますます本が好きになった。
そして僕は、殆ど全ての物事が金儲けを中心に回るこの社会と、それに振り回される自分を疎ましく思うようになった。
実情よりも、見せ方と効率と合理性ばかりが追い求められるビジネスと社会が嫌になった。
ありとあらゆる自分の欲望も、自分という存在も、社会の都合に植え付けられた俗物のように感じた。
それからは目と耳に飛び込む全てに、「誰がどのタイミングでどう儲かって成立しているのか」なんてフィルターを通してしまうようになった。
ますます東京が生きづらくなった。
そんな時頭に浮かぶのは、現在の同居人である彼だった。
社会をギンギンに走りつつも、それに飲まれずイキイキしてるように見える彼をもっと知りたくなった。
それでも東京が魅せる煌びやかな虚構を振り切れない自分と、そんな自分を自己嫌悪する自分に引き裂かれながら、この街に来て三年が経とうとしていた頃。
暮らしていた小さなワンルームに、二年間の契約更新が迫る僕を、「一緒に住もう」と僕に無理のない価格で彼が誘ってくれた。
元々二人で暮らしていた彼の家から同居人が出て行き、空いた部屋に僕は住み始めた。
この生活を決めた一番の理由は、彼が持つ「社会性」という僕にとっての毒素の摂取とその解明だった。
これは彼本人にも話した。
「僕にとって貴方は毒素でもあります!だからその毒素を浴びて自分がどう変わるのか、どう解毒するのか、何を思うのかを知りたくて、一緒に住むことにしました!」と。
とんでもなく失礼な奴だなと自分でも思う。
でも彼は「お前はやっぱりオモロいなあ」と、期待に満ちた微笑みで受け入れてくれた。
三年間モデル活動をして、ある程度実績は残せるようになった。海外でも仕事ができた。
その傍らで文章を投稿してみて、面白いと沢山声を貰えた。凄く嬉しくて楽しかった。
でも、好きだと思って挑戦したモデルを通して自己否定を繰り返してきた僕は、「好きなこと」に、利口とも臆病とも言える距離感を取る体になっていた。
「普通」とか「社会」を拒んでいるクセに、パソコン一台あればどこでも出来る仕事で生活を安定させて、気楽にモデルと読書と執筆をしたい。
なんていいとこ取りを思い描くようになった。
それに、金や社会に物申すなら、その恩恵をある程度受けてからじゃないと、説得力も思考材料も足りないと思った。
そんな僕に彼は、稼ぐ手段まで手助けしてくれた。
二人に主従関係が生まれないよう配慮した形で、スキル習得の機会も僕に無償で儲けてくれた。
「ショートカットキーって何ですか?」
なんて言いながら、彼がいなければ一生無縁だっただろう仕事の勉強を始めた。
暮らし始めて四ヶ月。
友人としての彼との生活は楽しい。
でも実はその反面、凄く苦しい。
ちなみに彼が仕事のことで、僕にプレッシャーをかけてくるようなことは全くない。
ただ、圧倒的に社会を生きる彼と共にする生活で、僕が勝手に劣等感を募らせていった。
彼を側で見ていると、自分の思考や言動全てが、社会を前向きに生きるため金を稼ごうと努力できないが故の、屁理屈にすぎないように思えてくる。
社会が回りやすいように、おおかたの人間が良しとしているものに対して噛みつき、それを表現して面白味にしていた自分が、滑稽に見えてくる。
東京が生きやすくなるようにともがく自分と、それを嫌悪する自分に益々引き裂かれる感覚ばかりが募る。
文章を書くという行為さえも、新たな「何者かっぽさ」への手段なんじゃないかと疑い始める。
本当に、自分が面倒くさくて嫌になる。
「何者か」なんてクソだ。と思いつつも、「何者か」っぽさへの憧れを捨てきれない自分。
安心とやり甲斐の両立に向けて、自分の体は思った通りには動かなかった。
でも現状の自分が東京で生きていくためには、その両立が必要不可欠だと今は思う。
そうしないと、東京も自分も、もっと嫌いになる。
東京という街で、現代社会で、「普通」とか「幸福」っぽいものにエラー反応を起こしてしまうのに、その「普通」や「幸福」に縋りたくもなってしまう自分。
25年もこの社会に属しているのに、未だ「人間」が拙すぎる僕は、早く東京を離れるべきなんだろうか。
そんな思いを抱えながら明日も撮影スタジオに向かい、きっと刹那な東京にいる理由を噛み締める。
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