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人生が1/5終わったと思ったら、1/4終わっていた件


こんにちは、Keigo Nozakiです。毎回この始まりかたなので、そろそろ飽きた感じが最近しています。新しい始まりかたも今後試していきたいですね。

今回書きたいことと重なるところがあるんですが、歳を重ねるにつれて変わることって難しくなってきますよね。

今の生活を変えたいと思っていても、なんかめんどくさかったり、周りがどう思うだろうかとか妄想したりして、結局時間だけが過ぎていく。

変われない。現状維持だけ。起きて、食べて、ネットをみて、食べて、トイレして、お風呂に入って、寝る・・・

ああ、今日も変われなかった。明日には一発逆転の変化があるかもしれない、とりあえず今日は寝よう。
そうしてまるで一発逆転できるギャンブルをしているかのようにずっと生きている気がする。

今闇バイトに手を染めている私と同年代の人たちも、もしかしたら明日にはお金がたくさんもらえて人生一発逆転できるのではないかと生きているのではないだろうか。私には彼らの本性がわからない。だからこそ私たちは彼らのことを想像してみるしかない。私は彼らだったかもしれないのだから。
この問題は、哲学者の森岡正博が『自分と向き合う「知」の方法』(ちくま文庫,2006)で、「この私もまたオウムなのではないか」ということを常に念頭に入れたように、慎重に考えなければならない。
森岡と私の思考の違いは、森岡は自身が「オウムは私だ」と断言しているが一方で私は、「私は(一歩間違えたら)彼らだった”かも”しれない」という曖昧な表現の仕方をしたという点にあるだろう。
しかし共通する点があるとすれば、そのどちらの視点にも「自分を棚上げしない」という点が共通しうるのではないだろうか。
すなわち、私にも闇バイトの当事者のように人生逆転のチャンスがあるのではないかと考えているということをまずは認めなくてはならない。

世間では私たち20代は、人生100年世代なんて言われている。
私が大学生だったある時期に、お隣の大学の2個年上の友達ができたことがあった。彼は私たちが100年間生きれると仮定して、「まだ1/5”しか”終わってないと考えるか、”もう”1/5”も”終わってしまったかと考えるか」で人生の生き方が変わってくるのではないかと教えてくれた。
なぜこの話を覚えているかというと多分私がそのとき”もう”1/5”も”人生が終わったのかと衝撃を受けたからだと思う。人生を5つに分けたとき、もう5つのうち一つがなくなった。そう考えたら、人生は途端に短く感じられた。
この20年間なにをやった?なにか成し遂げられたか?私はそう自分自身に問いかけたが私は自分自身の問いに応答することができなかった。


なぜこんな話をするのか?
最近、YoutubeでNHKクローズアップ現代「【就職氷河期世代も】子育てを終えうつ病に… 中高年の心の危機“ミッドライフクライシス”との向き合い方 著書が話題のphaさんに聞く【クロ現】| NHK」をみた。↓下から見れます。


動画の冒頭に出てきた佐々木さん(仮名)は、企業で働きながら30歳で博士号を取り、大学の研究と企業の仕事を掛け持ちで働いてきたという。
しかし50歳で子供が受験を終えたことがきっかけで精神的な不調になり、「ふとこれまでの人生で何も成し遂げられてない」と、自信喪失、自己否定に見舞われたらしい。

この動画をみて最初の感想は、それなりに歳を重ねていて、まともに働いている人でさえ、人生で何も成し遂げられていないと感じるのだなということを思った。

一方で、動画の後半には働かずに歳を重ねてきた人の事例も出てきた。phaさんは、大学を出てからしばらく働いていたが28歳のときに退職し、後にシェアハウスを開くことになった(私はphaさんをこの動画で初めて知った)。
phaさんが今年6月に幻冬舎から出版した『パーティーが終わって、中年が始まる』は、若かった頃から現在の40代での心境の変化を綴っている。
中年になることで若かったときにできたこと(例えば、人と一緒にシェアハウスに住むことや夜行バスで出かける)が40代になることで体力が衰えてくるため、以前のようにやろうとは思わなくなったという。
phaさんは次のように本書を締めくくる。

「人生に意味はない」とか「みんなそのうち死ぬ」とか、あまり本質がむき出しになってしまうと、人間は生きていけなくなるという、そんな気もしている。みんな適度に何かで何かをごまかしているから、なんとか毎日を過ごしていけている。難しい。ごまかさずに向き合うべきものと、ある程度ごまかしていくべきもの。その二つがこの世界では入り混じっていてややこしいのだ。

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』幻冬舎,2024-6.

私はこの本や動画をみて、ますますどう生きればいいかわからなくなった。真面目に働いたとしても、もしかしたら人生で何も成し遂げられないのではないかとも感じるし、働かないなら働かないで、40代になったときに何が残るのか?

40代(中年)に訪れるミドルクライシスが20代で襲ってきた。
今年私は25歳になった。この間まで人生の1/5”も”終わったと考えていたのに、いつの間にか1/4”が”終わった。しかし今は、1/4”も”終わったとは考えなくなった。


私たちは今早急に何かを成し遂げようと焦って無理をしてしまって、一発逆転の変化を期待してしまうのではないだろうか。
人生は積み重ねだ。私がなにもできなかった今日も積み重なって積み重なって何かが生まれてくるのではないか。
私たちの人生は一発逆転が見込めるギャンブルではない。
でも能力だけで人生が決められて良いとも思わない。

私は最初に「変われない。現状維持だけ。起きて、食べて、ネットをみて、食べて、トイレして、お風呂に入って、寝る・・・」と書いた。
しかしよくよく考えてみると、もうひとつできていることがある。
それは出会うことである。そもそもネットでYoutubeをみていなけばこの動画にたどり着くことも、phaさんの本と出会うことも一生なかっただろう。

そうだ。出会いを大切に、

ゆっくりと毎日を続けよう。

Keigo Nozaki

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