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いっぽだけ

こんばんは、Keigo Nozakiです。
世間は3連休なわけですが、私はといえばずっと休んでいるばかり。

でも久しぶりにindeedをちらっとみた。2日〜4日ぐらいの短期バイトではあるけど応募した。
結果は多分明日明後日にならないとわからないが、今は自分にできることがあるならやってみたいと思えるようになってきている。
なってはいるけど、途中であれこれ考えてやりたくなくなることもある。

あれほどまでに自分は自営業みたいなところを目指そうとしていたのに、なぜか動けず、またどこかで使われる(働く)という選択を取ってしまう自分が嫌だったりする。自分自身を裏切ったような、自分に嘘をついているような、そんな気分。

そういえば、7月に絶望の中に居て、8月ようやく家から出たときに図書館で借りた『モモ』という本の中で、掃除夫のベッポが主人公モモにこんなことを語っていた。少し長いが引用しよう。
(※なお、読書ノートに写した文章を引用したので、引用元と漢字等が相違するかもしれない(引用元は下記で間違いない))

(掃除夫ベッポ)
「なあ、モモ」
「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう」
「そこでせかせかと働き出す。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見ても残りの道路はちっともへっていない。だからものすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方はいかんのだ」
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?次の一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ」
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路が、ぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかはじぶんでもわからんし、息もきれていない」
「これがだいじなんだ」

ミヒャエル・エンデ『モモ』,大島かおり訳,岩波少年文庫,2005-6.


そう、自分のペースで。一歩一歩そこでじぶんが純粋なたのしさを楽しめるか。今はそれだけでいい。

noteも今たのしく書けている。先の人生なんてわからないけども確実に言えることは、私は物書きを楽しんでいる。

Keigo Nozaki

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